土讃線の吉野川橋りょうをバックに川から上がってカヌー旅の休憩を取るカヌー犬ドギー。初めての乗ったカヌーで川に落ちて少々不機嫌…なのかもしれません。
土讃線吉野川橋りょう
同じ徳島県内では高徳線吉野川橋りょうに次いで二番目の全長571m。昭和4年(1929)完成。河原で休憩していると一両の各駅停車が鉄橋を通過して行きました。
箸蔵駅(はしくらえき)-吉野川橋りょう-佃駅(つくだえき)
当区間を含む「琴平-阿波池田」間は香川・徳島の県境を越える区間で近距離移動の需要が少ないため、各駅停車より「岡山・高松-高知」のように都市間で運転されている特急列車の方が本数が多い。ここで日中に各駅停車を見ることができるのは珍しいです。
奥のコンクリート橋は徳島自動車道の吉野川橋(852.5m)。徳島からここまではずっと吉野川の左岸(北)を経由していますが、この地点で右岸(南)へ渡ります。
桜の時期に箸蔵駅へ行った時の記事です。
と、列車も見たしそろそろ漕ぎ始める事にします。
再スタートしたところで一度落ちた恐怖からかコクピットの方に寄ってきます。
「漕げないから!」前へ行くよう促します。名カヌー犬になるにはまだまだ遠い道のりです。
美濃田大橋
吉野川橋梁・徳島自動車道をくぐると次の見所は「美濃田大橋(みのだおおはし)」。徳島県道266号昼間辻線の吊橋で、自動車で渡ることのできる吊り橋としては吉野川最大。
ある雪の日に渡ったことがありますがなかなかスリリングな橋。先行車優先で対向車が来ている時はそれぞれ橋のたもとで待機するルールが存在します。
昭和34年(1959)の架橋ですがそれまではこの区間には「辻の渡し」と呼ばれる渡し舟がありました。
カヌー旅の魅力の一つに、↑一つ上の写真みたいにより水面に近い目線で川を眺める事ができる点がありますが、この場所のように巨大な橋を下から見上げることができるというのも、普段なかなか見ることができないアングル。
考えてみれば川にしろ池にしろ通常は上、もしくは斜め上など高いところから眺めるもの。この目線が新鮮に感じることができるのはそのためかと思います。
今カヌーは川の流れと直角の状態。船体が横になっていると風にしろ流れにしろ影響を受ける面積が縦の時の倍以上になるので、危険が伴います。
この区間がどうかと言えば美濃田大橋手前に流れが変わる瀬があるので要注意ですが、それを過ぎると橋の周囲は流れが弱い瀞場(とろば)。むしろ漕ぐのが大変。この日風が弱いことと一度下ったことが有ってある程度川の流れが分かっているので写真を撮っている余裕があります。
美濃田の淵
ドギーが乗るカヌーは「美濃田の淵(みのだのふち)」と呼ばれる区間に差し掛かります。
「淵(ふち)」と言うくらいなので深くて流れが弱い区間なのはそうなのですが、巨岩の他にこちらの人口建造物が目に入ります。
吉野川は「四国三郎(しこくさぶろう)」と呼ばれる大河であり、暴れ川でもあるこの川に橋を架けるのは容易ではなく川の対岸への行き来は専ら渡し舟が用いられてきました。しかしそれでは大きな荷物は運べないし大水が出ると川を渡ること自体ができなくなる。
不便を強いられていた人々の生活向上を目指して昭和26年(1951)頃、地元の有力者・森金次郎氏が発起人となり架橋運動を始めた。森氏の精力的な働きかけによって徐々に寄付金が集まり、昭和28年(1953)に工事着工。翌昭和29年(1954)にこの橋脚ができたと記録されています。
しかしながら昭和33年(1958)に発起人の森金次郎氏が病に倒れ橋の完成を見ることなく急逝。それからは資金難に陥り村からの工事費用調達もままならなくなり工事半ばで中止となった。
美濃田橋は一個人が建てようとして未成に終わった橋。吉野川ではこの近隣にも未完成の池田橋があります。この時代に個人で吉野川に橋を架けるのは、分限者をもってしても困難なことだったことが分かります。
スタート・ゴール地点は計画的に
カヌーに乗るのもだいぶ上達してきたところで間もなくゴール設定地点。ドギーにとって初めてのカヌーツーリングはお互い事故・ケガ無く終えることができました。
この場所には徳島自動車道の「吉野川サービスエリア」や一般道からも利用できる「吉野川ハイウェイオアシス」があります。
川の近くまで自動車を下せるのでカヌーの回収が楽チン。ハイウェイオアシスに入浴施設が併設されているので川から上がってすぐに入浴することもできます。カヌーのスタート&ゴール地点に、とても便利な場所です。