主の趣味趣向ではありますが旅犬ドギーと戦争遺跡探索の旅に出ることがあります。こちらは大分県のとある半島。対岸に四国を望むこの海域では敵艦敵機から厳重な防衛が行われていました。
九州最東端の岬
かつての軍事要塞は現在公園として整備されていて九州最東端の岬として散策することが出来るようになっています。
大分県南部。豊予海峡に突き出した鶴御崎へ来るためには一番近い街である佐伯市街(さいきしがい)からも時間を要します。
ただ来ることができたらドギーのおさんぽにはとっても良いところ。何より「●●最▲端」という先っちょ称号が嬉しい。これはライダー気質でしょうか。
かつての軍事要塞が見え隠れ
太平洋から瀬戸内海への入口にあたるこの場所。陸軍の広島、海軍の呉という両軍の拠点への入口となるこの海域の守護は帝都防衛と共に明治維新後の日本においては看過することができない命題でした。戦後70年以上が過ぎその多くは草木に埋もれ野に帰ってますが、鶴御崎自然公園内では所々でこのような戦争遺構を目にすることができます。
要塞跡地に建てられた灯台
それだけ重要な場所であるからさぞ灯台も古くから存在するのでは…と思いきや、鶴御崎灯台の初点灯は1980年台と全国に存在する灯台の中では新しい部類。
鶴御崎の要塞化の起源は日本と清国が衝突する日清戦争に備えて明治27年(1894)に「海軍望楼(かいぐんぼうろう)」が築かれたことに由来します。(公式的に)灯台が築かれなかったのは、軍事上の事情があるのかもしれません。
灯台と燈台の違い
「灯台」「燈台」
ぱっと見、後者の字を目にするとそちらは旧字。現在は前者で表記されるようになった。
その解釈も一つの回答。現代日本では常用漢字を正式表記として用いるルールがあります。鉄道の鉄橋のことを「橋梁(きょうりょう)」と呼びますが、「梁」の字が常用漢字外であることから固有名詞名としては「吉野川橋りょう」のように平仮名で表記されます。
ただその常用漢字ルールが制定される以前は、
「灯台」…灯台機能を有する施設の名称=名詞
「燈台」…地名を冠してどこにある灯台機能を有する施設なのかを表す=固有名詞
のような使い分けがあったそうです。
なお「台」の字も「臺」という旧字が存在します。「仙臺四郎(せんだいしろう)」の臺ですね。戦後に行われた国語審議会を経て常用漢字から外れてしまったりして現在は「台」の方が一般的。そもそも「臺」を書きなさいと言われても書けません…
古い灯台の銘板には「燈臺」と記されているものがあるようなので一度目に掛かりたいです。
九州最●端あれこれ
九州最東端…鶴御崎(つるみさき/大分県佐伯市)
九州最西端…神崎鼻(こうざきのはな/長崎県佐世保市)
九州最南端…佐多岬(さたみさき/鹿児島県南大隅町)
九州最北端…門司港(もじこう/福岡県北九州市)
※離島を除く
九州の東西南北端っこって最南端の「佐多岬」はよく知られていますが、北や西はあまり知られていません。北に至っては門司港のコンテナターミナルで一般人は立ち入ることが出来ません。
西は佐世保市小佐々にある「神崎鼻」
鉄道の最西端「たびら平戸口駅」が同じエリアなので位置としてはなるほど分かりますが、行ったことがなければ一般的にあまり知られていないように思います。
それらからすると東の「鶴御崎」は一定の知名度を有しているように思います。
鶴御崎から見える風景
左に少し顔を出しているのは豊後大島。大分県って地面から湯けむりが噴き出ているようなどちらかと言えば大地の県。山の県のイメージがありますが海に面した県南部を中心に有人離島がいくつか存在します。
この方向には日本の灯台50選に選ばれている「水ノ子島灯台(みずのこじまとうだい)」がある水ノ子島や、その奥には東から細長く伸びる四国愛媛の佐田岬半島が見えるのですが、うーん、見えているようなそうでないような。右奥にうっすら見える陸地は宇和島から定期船が就航している日振島(ひぶりじま)じゃないかなあと思います。
この方向に見ることができる陸地は愛媛県南部。愛南町(あいなんちょう)北部の由良半島や同町南部の高茂岬(こうもみさき)が見えているものと思われます。分かりづらいところではありますがここで見える一番高い山があるとしたらそれは「篠山(ささやま)/1,065m」。愛媛県・高知県を分ける地域の名山です。
いつもはそちら側から九州の陸地を眺めては「大分行きたいなあ…」とうらやましく眺めていましたが、はい、今回はドギーと訪れることが叶いました。