toggle
2020-03-25

絶海の孤島を目指す快適フェリー<フェリーだいとう/沖縄県>


大東諸島へ向かう旅情満点の交通手段「フェリーだいとう」。天候や荷役作業によって出港・入港時間が都度変わるため、この船に乗ることができた我々は幸運です。

旅犬ドギーと飼主、フェリーだいとうに乗る


made in四国のカップラーメン

新造船だけあって中はとてもきれい

観光バスと同じタイプのリクライニングシートが、船室の左右対称に設置されています。

船旅の友・カップラーメンの自販機

その座席横に、流し台と電子レンジ、カップラーメンの自動販売機があります。

徳島製粉謹製

商品ラインナップは驚きの金ちゃんヌードル!」
これ、十数年前に乗船した先代のフェリーだいとうでもそうでした。

何故に沖縄に?それも絶海の孤島へ向かう船の中に。毎度このチョイスが気になります。それは好意的な意味で、です。
むしろまだ金ちゃんヌードル販売していたら嬉しいなあと期待していたので、密かな微笑みはMAXでした。

 

※ここ重要1

フェリーだいとう、船内販売は無く食べ物はこちらのカップラーメン自販機だけ。飲み物はコカ・コーラの自販機のみ。出港前に食べ逃すと、南北大東島到着まで何も食べる物がありません。カップラーメンが売り切れていることもありました。

そして特に安謝港の場合ですが、この注意書きを見た時点で食べ物を買いに行くことは不可能に近い。スーパーマーケットやコンビニはそう遠くない場所にありますが、安謝港発の場合は危険物積載便のためフライング出港が多いためです。

正規の泊港出港の場合は、とまりん(港湾ターミナル)内にローソンがあるので、急いで買いに行けば間に合うことがあるかもしれません。

まあ十数時間寝てばっかりなので、一晩食べないくらいで身体はどうにもなりません。もし食べ物を買い忘れた場合はそういう船旅を楽しみましょう。

 

サロン

フェリーだいとうのサロン・左側

向かって左側、さきほどのリクライニング座席の後ろにあります。進行方向向かって右側も同じ配置になっています(簡易キッチンは左側の一箇所)。

こちらで持参したお弁当やカップラーメンを食べるのですが、

※ここ重要2

「飲酒禁止」

フェリーだいとう船内でお酒を飲んではいけません

過去にお酒のトラブルなど色々あったようですが、当航路は「太平洋一人ぼっち」
航海中は周囲を見渡しても、他の船舶はもちろん大東諸島が近づくまで陸地は一切見えません。飲酒して誤って転落事故となると高確率で助かりませんし、もし体調悪化をきたしてしまうと自衛隊や保安庁出動の事態となり、色んな方々に大きな迷惑がかかるためかと思われます。

船旅好き・お酒好きとしては個人的にとっても残念ですが、航海の特殊性とどちらも好きだからこそルールは守って楽しみたいと思います。

 

進行方向左側のサロンは北大東島の紹介

北大東島の地勢や観光情報、テーブルには北大東小中学校の校歌がプリントされています。

 

通路に大きな手荷物を収納するロッカーあり

ロッカーが横にある通路を通って、

進行方向右側のサロンは南大東島の紹介

進行方向右側のサロンは南大東島の地勢や観光情報。

フェリーだいとうのサロン・右側

進行方向右側のサロンは、女性優先区画になっているので男性は利用状況に注意が必要です。

・左側が北大東島渡航者
・右側が南大東島渡航者

観光案内・寝室共に、このような区分けになっています。

 

大東諸島の位置と特殊性

改めて大東諸島の位置関係を確認

宮古島より遠く、石垣島とほぼ等しい距離。地図には描かれていませんが、奄美大島よりも遠い。

ただし宮古・石垣島など先島諸島(さきしましょとう)や奄美諸島は、沖縄本島と離れていても同じ「琉球弧(りゅうきゅうこ)」の上。
これらの島々は、氷河期等の海面が低くなる時代はそれぞれの島同士、またはユーラシア大陸や日本列島と繋がっていました。その時にナウマンゾウなどの動物や、それを追って人類がやってきた。大和民族と琉球民族、先祖はどちらも同じとする「日琉同祖論」の根拠のおはなし。

その頃の大東諸島は、島が海面上に現れた時の位置は日本のはるか南洋、ニューギニア島付近にあったそうです。それから数千万年・数億年の時を経て、プレートの作用で島が北へ向かって移動していき、現在の位置になった。
ゆえに地質学上では琉球弧に乗ることはなく、明治になるまで人類が近寄ることができない無人島だったので、独自の生態系が育まれた。

沖縄が最も近い陸地ということで沖縄県にはなっていますが、明治以前は諸外国の船との接触はあっても(ボロジノアイランドと呼ばれていた)なんせ上陸自体が困難だったので、琉球王国や沖縄県とは関わり合いが薄かったと言えます。

最初に入植した人類は八丈島の人たちで、明治33年(1900)の出来事。それ故言葉や文化等、島の風習は八丈島がベース。そこへ沖縄からの労働者たちが定住して、両者の文化がミックスされた特殊な地域になっています。

そんな経緯があって、大東諸島は現在も伊豆諸島に近い雰囲気があります。
当地は長らくテレビ未放送地域であり、地上波アナログ放送が実施されたのは平成10年(1998)のこと。小笠原諸島等と同じく衛星放送回線を通じて叶いました。そのため大東諸島で見ることができるテレビ放送では、首都圏の天気予報や番組が放送されていました。沖縄県の放送を見ることができるようになったのは、平成23年(2011)の地上波デジタル放送開始の時。

地質学
民俗学
生物学



どの切り口にしてもとても珍しく、学者さんたちから注目される存在。それが大東諸島です。

 

南北大東島の地図

南大東島と北大東島の地図

珊瑚礁が隆起して出来た島で、中央が窪んでいる形状も両島同じ。浜辺は無い。

南大東島はほぼすべての人たちがその一段下がった内陸部に暮らされていますが、北大東島は内陸部の他にメインとなる港・西港付近にも集落が形成されています。

今は東西南北いずれかに港があって、当日の入港は風向きや潮の流れによって決定される。どの港も基本的に断崖絶壁。
両島は10km程度しか離れていませんが、その間の水深は1,000mにもなります。太平洋ど真ん中に2つの陸地が顔を出している事自体が、奇跡のような存在です。

南北大東島共に線路が敷かれていた

明治33年(1900)。「玉置半右衛門(たまおきはんえもん)」を統領とする八丈島出身の開拓者たちは、まず南大東島に上陸して土地を開墾しました。

その後北大東島へ入植。こちらでは土地の開墾の他、豊富な鉱物資源の採掘が行われました。

北大東島では鉱物資源運搬用のトロッコが。南大東島ではサトウキビ運搬用の鉄道が敷設され、島の発展に大いに寄与しました。フェリー船内にはかつて南大東島に存在した、通称「シュガートレイン」の絵が掲げられています。

フェリーだいとうの寝室

十数時間にも及ぶ長距離航海の寝る場所

それだけ時間がかかるので、もちろん夜行フェリー。そうなると寝るところはどんな感じだろう。気になる点だと思います。

ゲストハウスで言うところの男女混合ドミトリー部屋

フェリーだいとうの寝室は基本的に寝台。行先が北大東島か南大東島かで、寝室の区画が分かれています。

今回は先に南へ上陸するので、南大東島を目指す方々と同室でした。

隅っこはこんな感じ

自分に与えられた寝床は「8番」
隅っこを用意して頂くことができました。

内部には蛍光灯とコンセントが一箇所。足元上部には網棚、頭の上にはベッドで言うところの宮にあたる小物置きがあり重宝します。

外洋航路でお決まりの洗面器とエチケット復路

ザックなど長尺物は各自の棚へ。洗面器とエチケット袋が備え付けられているので、有事の際も安心です。けれど間に合うのであれば、周囲の事を考えてお手洗いに行くようにしましょう。

カーペット敷きの座室もある

船内を探検していて、こちらの部屋を発見(左右二箇所)。

誰も居なかったので覗いてみると…

ゲストハウスで言うところの男女混合和室ドミトリー

こちらは座敷の寝室でした。

「サンライズ瀬戸 & 出雲」の「ノビノビ座席」に似た感じ。けれど仕切りカーテンはありません。
特に案内は無くリクエストもせずだったのですが、乗船手続きの際にこちらの部屋で就寝することもできるのかもしれません。

昔の離島航路と言えば、シミのついた床や毛布に、破れた枕。洗面器もへこんでぼこぼこになったものが無造作に置かれているのが当たり前でした。
それが必ずしも悪いものではなくて、そのぶっきらぼうさが果てへ行く感を演出していた面もありました。

現在のフェリーだいとうは、船齢が新しいこともあって設備全体とてもきれいです。また、船内を随時警備役の方が巡回されているので、安心して乗船することができます。

 

大東海運

 

続き

 

フェリーだいとう編

 

南大東島編

 

北大東島編

 

旅の期間

平成30年5月21日-5月24日


関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です