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2020-03-09

小学校の外壁に残された無数の機銃掃射痕<旧開明小学校/兵庫県尼崎市>


飼主の地元を訪ねるドギー。弾痕の残る小学校の壁

旅犬ドギーの飼主の地元・兵庫県尼崎市(ひょうごけんあまがさきし)。古くから工業を中心として栄えた兵庫県を代表する都市の一つですが、戦時中は日本全国の都市空襲の例に漏れず、尼崎も空襲に遭いました。市南部、阪神尼崎駅に近いこちらの旧小学校の外壁には、米軍戦闘機によって攻撃されたと見られる機銃掃射の跡が生々しく残されています。

旧尼崎市立開明小学校

開明中公園<かいめいなかこうえん/兵庫県尼崎市>

明治元年(1868)1月… 藩治職制

明治3年(1870)1月… 尼崎藩によって正業館が開校(開明小学校の起源)

明治5年(1872)9月… 学制

明治6年(1873)… 正業小学開校

明治18年(1885)8月… 教育令

明治19年(1886)4月… 小学校令

明治43年(1910)… 第三尋常小学校が開校

昭和11年(1936)… 第三尋常小学校を開明尋常小学校に改称

平成16年(2004)… 城内小学校との統合により廃校

藩校に起源を持つ開明小学校は、開校以来法令の改正や街の発展により幾度もの統合・改称を経て、正業館(せいぎょうかん)があった地に校舎(現尼崎市役所開明庁舎)が建てられた。昭和12年(1937)2月竣工。この時は昭和9年(1934)9月の室戸台風の被害を受けて、災害復興事業の一環として建設されました。

 

外壁に残された機銃掃射の跡

おびただしい数の機銃掃射痕

長い学校の歴史において戦争を経験していて、敷地南西角のコンクリート壁には米軍戦闘機によるものと思しき機銃掃射の弾痕を見ることができる。

尼崎空襲のあらまし

記録に残されている中で、尼崎市の空襲は大阪大空襲が行われた日に準じて発生。

第1回大阪大空襲 … 3/13→14

第2回大阪大空襲 … 6/1

第3回大阪大空襲 … 6/7

第4回大阪大空襲 … 6/15

第5回大阪大空襲 … 6/26

第6回大阪大空襲 … 7/10

第7回大阪大空襲 … 7/24

第8回大阪大空襲 … 8/1

※全て昭和20年(1945)

人口密集地ゆえ、尼崎市は大小空襲に何度も遭っている。
中でも家屋など民間建造物を狙った無差別爆撃は6/1と6/15。特に15日の空襲は明確に尼崎市を狙ったものであり、最も大きな被害が記録されている。こちらの校壁の弾痕はそのどちらかの日に受けたと考えられる。

尼崎市 人口270,073  罹災者数42,094  罹災率15.6

西宮市 人口127,457  罹災者数67,867  罹災率53.2

芦屋市 人口37,762   罹災者数18,171  罹災率48.1

神戸市 人口918,032  罹災者数470,820  罹災率51.3

明石市 人口78,585   罹災者数49,356  罹災率62.8

姫路市 人口102,359  罹災者数57,466  罹災率56.1

大阪市 人口2,842,978 罹災者数1,135,140 罹災率39.9

昭和20年当時、神戸市に次ぐ県下第二位の人口を擁していた尼崎市ですが、大阪や神戸など近隣の大都市、西宮や姫路など同規模の街と比べると市民の罹災率はどの街よりも低い。
これは尼崎市が大阪市に隣接する位置関係上、大阪市に付随する地域と考えられていたため。つまり、米軍目線では「大阪のはずれ」の位置付けだったわけですが、これは尼崎市民にとって幸いでした。

出展 → Web版尼崎地域史事典

 

子どもや逃げ惑う市民を狙った空襲

弾痕の多くが地面に近いところに付けられていることがわかる

当時米軍機によって行われた都市爆撃の目的は、焼夷弾(しょういだん)を投下して火災を誘発。木造で燃え易い日本家屋を焼き払い、戦争を支える日本国民の戦意喪失を狙ったもの。

こちらの弾痕は、その爆撃を行う戦闘機の護衛にあたっていた戦闘機「P51マスタング(ノースアメリカン社)」の機銃掃射によってつけられたものと考えられている。

日本の本土爆撃が行われるようになった当初は、米軍爆撃機が飛来すると日本は局地戦闘機など迎撃機が出撃して応戦。地上からの高射砲も併せて一定の防衛を果たした。そこで米軍が考えたのが爆撃作戦を円滑に行うことができるよう、護衛として同行するようになったのがP51機を始めとする戦闘機だった。

当初は日本から飛び立った迎撃機と上空で格闘戦を行うことがあったようですが、戦局の悪化に伴い日本軍側の機材・資材・人材など全てのものが不足して、それが散発的になった。敵機は悠々と日本上空を飛ぶことができるようになり、当初の護衛の目的を外れ逃げ惑う人々に上空から機銃掃射を浴びせ市民を殺傷した。

機銃掃射の弾痕を見ると地上から一定の高さではなく、より地面に近い辺りに銃撃が加えられていることがわかります。場所が場所だけに身体の小さい子どもか、伏せている人々を余すことなく狙ったか。この場所は城下町を由来とする住宅街。地域に大きな軍需工場はなかったと思われます。

戦争において軍属や軍関係の施設以外を狙うことは国際法違反、戦争犯罪です。そこは戦勝国の解釈により有耶無耶になってしまった部分ですが、こちらのコンクリート壁につけられた弾痕は、無抵抗の市民を狙ったであろう記録として、これからも保存されることを望みます。

旧開明小学校は、阪神電車の尼崎駅を下りて徒歩2・3分

現在校庭は整備されて公園になっており、市民憩いの場所になっています。

 

開明中公園


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