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2020-03-16

ほっこり落ち着く新しいゲストハウス後編<ゲストハウスUME/奈良県高取町>


ほっこり落ち着く新しいゲストハウス前編<ゲストハウスUME/奈良県高取町> 続き

土佐街道の古い標石前にて

おはようございます。旅先では早く目が覚めてしまうのは、旅人の性でしょうか。もちろんうちのドギーも早起き。ゲストハウスUMEさんに泊まった翌朝、近くの土佐街道を朝のおさんぽしてきました。

土佐街道

高取町内を縦断する古道「土佐街道」

古くは南朝がある吉野へ続く道として。西国三十三所・第6番壷阪寺(つぼさかでら)から第7番岡寺(おかでら)へ続く巡礼道でもあり、戦国時代には高取城が築かれ戦国武将が往来に用いた歴史の道が、現在の国道168号の東側に古い家並みとともに残されています。

地図はUMEさんで頂きました

土佐街道に関して予備知識はありませんが、とりあえず山の上にある高取城や壷阪寺まで行くほど心づもりをしているわけではない事と、行ったところでドギーが入ることはできないでしょうから、今回は近隣のさんぽに留めておきます。

UMEさん(ローソン付近)を出てファミリーマートがある角を曲がって土佐街道へ向かい「札の辻(ふだのつじ)」へ。そこから土佐街道を歩きながら壺阪山駅へ出て戻って来る、四角ルートを計画します。

 

江戸時代の街の中心

土佐街道の「札の辻」

「札の辻」とは、街道など人々の往来が多い地点に高札を立てた辻(=交差点)のこと。

「高札(こうさつ)」とは、周知内容を掲示して住民・通行人に周知する点では掲示板と同様ですが、新法令の発布や、隠れキリシタン告訴の奨励(=密告)、幕府や藩主の威厳を示す内容等、現在街中で見ることができるような掲示板より厳格な内容のものを周知するのに使用されました。

江戸時代の当地は高取城に藩主が居て、そこへ続く道として土佐街道が繋がっていました。壷阪寺や吉野への分岐点でもあるこの場所は、武士や住民だけでなく巡礼者や公家の方々の往来も頻繁にあったことが想像できます。江戸時代の高取は、ここがコミュニティの中心だったと言えます。

 

札の辻で見ることができる標石を考察

交差点対角線に標石

札の辻らしく標石がありました。斜め向かいには別の標石もあります。

変体仮名遣いを用いた難易度の高い標石解析


徒保左か(壺阪)
与し能(吉野)

個人的な仕事の一つとして四国八十八ヶ所の標石調査・解読を行っておりますが、その経験をもってしてもこちらはなかなか解読に難易度が高い変体仮名遣い。

*「どうしてわかるんですか?」

↑合ってるかわかりません。カンです。

コツではありませんが、標石は近隣の観光地(=寺社が多い)と同方角にある大きな町が併記されていることが多い。ここでは壷阪寺はそれとして、この方角にある知名度が高い町は吉野。字を「つぼさか」「よしの」と仮定して眺めていると、同じ読みの漢字を当てているのが見えてくる、というわけです。

【関連サイト】四国遍路 野瀬照山制作記事

明治8年は西暦1875年

明治八年乙亥七月建之(めいじ8ねんきのといしちがつけんのう)

同年同月、東洋のエジソンと呼ばれた田中久重(たなかひさしげ)が田中製造所を設立しています。同社は後に東京芝浦電気株式会社と改名。現在の東芝の源流になりました。

 

高取と製薬

土佐街道の沿道には製薬事業所がとても多い

壷阪寺や吉野へ向かう場合は標石が差す方向通り、札の辻交差点を曲がります。ここまでの土佐街道同様、乗用車一台がやっと通れるくらいの道幅に、旧家の面影を残す住宅が街道沿いに並んでいます。

またおさんぽしていて気付くのですが、沿道に薬屋さんがとても多い。現在も「薬の町」と呼ばれるほど、高取町内には数多くの製薬メーカーさんが拠点を置いています。

その歴史は古く、推古天皇20年(612)に

「夏五月五日に、薬猟(くすりがり)して、羽田(はた)に集いて、相連(あいなら)きて、朝(みかど)に参趣(おもぶ)く」

との記述が日本書紀に記されています。

「薬猟」とは、薬効がある動植物を獲ったり摘むこと。「羽田」は現在の高取町と推定される場所で、町西部に波多甕井神社(はたのみかいじんじゃ)の名称が見られる。

推古天皇(すいこてんのう/554-628)は歴史の授業にも登場する女帝で、自身の甥である厩戸皇子(うまやどのおうじ)こと「聖徳太子」が摂政(せっしょう)を務めたことで知られる。推古天皇や聖徳太子が活躍した時代の朝廷は飛鳥に置かれていたので、それからすれば高取は目と鼻の先の土地。都であり早くから開発が行われた飛鳥と比べて、高取は「原風景が広がっている近郷の土地」だったことでしょう。現在の明日香村・高取町の関係とよく似ています。

そのような自然豊かな土地で薬猟が行われ、それが転じて製薬事業が発達した。高取の製薬に深い歴史あり、です。

 

もう一つの標石が示す寺院

札の辻のもう一つの標石

<北面>

観音院道
是ヨリ十六丁
<東面>
施主神戸観音講

「高取で観音」と言えば、押しも押されぬ「壺阪の観音さま」ですが、こちらはどうやら違う様子。札の辻を真っ直ぐ進むと壷阪寺には行くことができません。
それに距離も「16丁→約1.7km」なので、ここから壷阪寺までそこまで近くありません。

どこの寺院の事を言っているのかと地図を広げて調べて見ると、ありました。札の辻を真っ直ぐ進んで山の中に入ったところに「観音院」

調べて見ると日本で最古クラスの宝篋印塔(ほうきょういんとう)が現存しているようですが、文化財指定されることなく荒れ放題なのだとか。県外の信者さんたちが標石を立てるあたり、信仰が篤かったことが窺い知れますが、現状は残念な状態のようです。

現在は車道が開通していて、標石が差す方向へ進んで途中で分岐すると壷阪寺へ行くことができます。また、途中で曲がらず道路の終点まで行くと「宗泉寺(そうせんじ)」という高取藩主の菩提寺があり、そこから高取城へ登ることができるようです。

ゲストハウスUME→土佐街道→札の辻→宗泉寺→高取城→壷阪寺→札の辻→ゲストハウスUME

半日を要するなかなかの健脚コースですが、高取町欲張りコースとしていかがでしょう。

関東大震災が発生した同時期に建てられた標石

<南面>
大正十二年九月建之

大正12年は西暦1923年。同年同月1日、関東大震災が発生しています。

石はすぐに手配できるものではないで、地震関わらず元々建てることが決まっていたものだと思います。関東と関西離れているとは言え、世間の無事を祈るため観音院へ向かう巡礼者たちにとっては、行く先を知らせるこちらの標石は重宝されたことと想像します。

 

UMEさんに戻ります

時間帯一方通行の土佐街道。車両の交通量はなかなか多い

土佐街道をちょこっと散歩と思って朝早くにお出かけしましたが、札の辻の標石群が大変興味深く、ここだけでお腹一杯。というか標石周辺をじっくり探索し過ぎて時間が無くなりました。ここからは足早でUMEさんに戻ることにします。

こちらの道は時間帯一方通行ですが、乗用車の交通量がなかなか多い。街並みとドギーの写真を撮ろうにも、少々危険がありました。

うめUMEには「U(you)」と「ME」の意味もあるそう

UMEさんに戻ってきました。
庭に壁に少しづつ改良を加えて行っているようで、これからどう進化していくのか楽しみです。

どっかで見たウルトラマン

このウルトラマンの石像は、どこかで見たような…。餞別に頂いたのでしょうか。師弟関係っていいですね。

光がたっぷりのUMEさんの朝

キッチンや風呂などの水回りはとてもきれいにリフォームされていて、とても清潔。
宿泊定員はそれほど多くはなく、目的に応じて落ち着いた時間を過ごすことができます。オーナーさんが敷地内に居て応対されているのも大きな安心感です。

まだ出来たばかりで、これからのゲストハウスUMEさん。次に来る時は、近隣の史跡をじっくり訪ねて歩きたいと思います。

 

ゲストハウスUME


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