日本には離島がたくさんありますが交通手段が船しかなくそれも週に2・3便という島々があるのをご存知でしょうか。いわゆる「絶海の孤島」を島旅ドギーと向かいます。
魅力的な道路標識
*「日本の中で好きな場所は?」
と聞かれたらパッと思いつくところで「この場所」と回答します。厳密に言えばこの道路標識がお気に入り。これほど全方向が魅力的な道路標識はなかなか存在しません。
種子島
屋久島
三島村
十島村
これに違う埠頭から奄美諸島と沖縄、対岸の桜島行き。ここへ来ると鹿児島の皆さんはいいなあっていつも思います。住んでみると桜島の降灰や数多ある離島を含む県内転勤があったりするのでしょうが、それにしても後者は魅力的です。
吐噶喇列島とは
鹿児島の離島代表格「奄美大島」
世界自然遺産の「屋久島」
ロケット打ち上げで知られる「種子島」
これらの3島が知名度の上では鹿児島top3でしょうか。自分のルーツがある「徳之島」も鹿児島県ですし鹿児島から南方向だけではなく西へ向かうと「甑島列島(こしきじまれっとう)」、北方向の天草諸島と向き合う場所には「長島(ながしま)」。以前ドギーと旅した三島村の「硫黄島(いおうじま)」も鹿児島県です。
ドギーと硫黄島を旅した時の記事はこちらです。
島の魅力を一つ一つ挙げて行くとどの島も魅力的でどこに行こうか選びかねる鹿児島の離島ですが、今回は目指すのは「吐噶喇列島(とかられっとう)」。屋久島と奄美大島の間にある七つの島々のことでそれぞれの島に50~150名の島民さんが暮らされています。なのでトカラへ行こう!と決めたら、その中でどこの島に行くか選ばなければいけません。
*「一度に七島全てに行くことはできないのですか?」
出来なくはないですが予備日の想定を含めとても時間が掛かります。交通手段がフェリーしかなくその運航周期が2~3日に一回。それでいて島によって潮流や港湾能力が異なるのでフェリーの就航率が島によってバラバラ。このようなアクセスの難しさが秘境度を押し上げていて常勤で仕事をしている方にとっては就航率の低さを考えると、一島であっても行くのがなかなか難しいエリアです。年に何回か検診のため各島で普段より長い時間碇泊する特別ダイヤの便があるそうで、それに乗船したら七島全て上陸することができるという噂です。
十島村(じっとうそん)
現在はトカラ列島=十島村(としまむら)。ですが戦前は十島村と書いて「じっとうそん」と読み行政範囲が異なりました。その10島とは、
①竹島(たけしま)・硫黄島(いおうじま)・黒島(くろしま)
②口之島(くちのしま)・中之島(なかのしま)・臥蛇島(がじゃじま)・平島(たいらじま)・諏訪之瀬島(すわのせじま)・悪石島(あくせきじま)・宝島(たからじま)
※小宝島(こだからじま)は宝島の属島扱い
①上三島(かみさんとう)…日本国
②下七島(しもしちとう)…アメリカ合衆国
しかしながらポツダム宣言受諾により北緯30度より南の島々の施政権が停止され十島の行政が分断されました。
明治41年(1908)4月…島嶼町村制により大島郡十島村(おおしまぐんじっとうそん)発足
昭和21年(1946)2月…下七島(現・十島村)がアメリカ合衆国の統治下に入る。十島村(じっとうそん)は名前がそのままで、行政範囲が上三島(現・三島村)に限定されて存続
昭和27年(1952)2月…日本国復帰。新たに下七島を行政区域とする十島村(としまむら)発足。それまでの十島村(じっとうそん)は上三島に区域変更の上、三島村(みしまむら)に改称
十島村(じっとうそん)・十島村(としまむら)
どちらも同じ字を書きますがかつての十島村(じっとうそん)を受け継いでいるのは現在の三島村です。三島と十島の間には屋久島を挟むので、同じ行政区とするには元々無理な面もありました。十島村(じっとうそん)時代は村役場が中之島に置かれていましたが、現在は三島村・十島村共に島民にとって公平な鹿児島市に役場が置かれています。全国に3つあるヤドカリ自治体のうち2つが鹿児島にあることになります(残り一つは沖縄県竹富町)。
島へ渡る唯一の交通機関
ドギーとの島旅はもちろんなのですが今回は珍しく旅の仲間がいます。主にはゲストハウス・旅人宿仲間の方々なのですが、みんな旅人ということで現地集合。その現地とは鹿児島港集合の仲間が居れば現地離島に直接集合という仲間もいます。みんな旅人です。
トカラ列島にある七つの有人島のうち二島上陸を目指してまずは一島目。最も遠い「宝島」へ向かいます。この島を選んだ根拠は島の名称。これって日本一素敵な島名じゃないでしょうか。それと飼主がまだ行ったことがないトカラの島ということで選びました。
手荷物運賃
「犬」という手荷物を運ぶためです。荷物扱いなので人間と同じように寝室などは与えられませんが、愛犬と一緒に島旅ができるのがとてもありがたいです。
館外にある荷物がたくさん積まれている場所に受託手荷物用窓口がありました。港周辺を十分おさんぽしてから手続きを行い、ドギーを託しました。