画面上部に戻る

story

そらうみ旅犬ものがたり

硫黄島一望の岬と続源平合戦を伝える場所<薩摩硫黄島/鹿児島県三島村>

岬へ行く途中でクジャクとヤマハリゾート話に脱線してしまいましたが、改めて島の岬へ向かいたいと思います。

早朝、まだ太陽の照らされていない時間帯の硫黄岳

 

牛が飼われている硫黄島の丘

美瑛の丘を彷彿させるような丘の上の木

硫黄島の集落背後の丘は台地状になっていてそこには広大な土地が広がっています。

方角的には奥に三島村を構成する一島「黒島」が見えるはず

そこにあるのが薩摩硫黄島飛行場や牧場。こちらでは主に牛が飼われています。

岬へ行く途中でこんなの見つけました

沖縄へ行くとauさんが強かったりしますがここはまだ鹿児島県。そして島嶼部(とうしょぶ)ではdocomo一強です。

 

岬橋

牧場を通り過ぎたところ

丘を下った先で橋に差し掛かります。

フェリーみしまが入港する港から見えるのが岬橋

こちらは港から見上げた時にこんな感じに見えている橋。

「岬橋」と名付けられた赤い欄干の橋

幅は乗用車一台分。橋を渡った先が「恋人岬」です。

早朝、まだ陽が昇らない時間帯の硫黄島

橋の上からは展望が開けて硫黄島港と集落、そして噴煙を上げる硫黄岳を見ることができます。この時はまだ朝早い時間帯で太陽が昇り切っていない状態。集落や港に陽が当たっていません。これから先、太陽は硫黄岳の向こうから上がります。

 

恋人岬

絶海の孤島にある恋人たちの楽園

橋の先にはとてもロケーションが良い場所が広がっていました。硫黄岳に向かって設けられたゲートには「しあわせのかね」と名付けられたベル。景気良く鳴らしたいところですがこの時まだ朝早い時間だったので眺めるだけにしました。

とても静かなこの場所

今回は一人と一匹で訪れた恋人岬。訪れるまで名前の上では少し小バカにしていましたが(失礼)、こことっても良いです。雄大な自然を遮られることなく見ることができて港と集落を一望。島の形がよくわかります。

「硫黄岳展望所」
「恋人岬」

どちらも良いのですがどちらか一つだけしか行けないのであれば「恋人岬」がお勧めです。

 

長浜温泉野湯

実は港の砂浜には湯が沸いている

滞在しているうちに陽が昇って島が明るく照らされ始めました。ここにはいつも変わらない茶色の茶褐色の海が広がっています。

左端のテトラポッドが入っている地点。島では数少ない砂浜ですがこの周辺は地底(海底)から温泉が湧き出していて、浜を掘ると即席温泉の出来上がり。35℃前後のお湯に浸かることができるそうです。

とは聞いた話&ガイドブックに書かれている話。実際にやったことはありません。足湯程度なら道具が無くても造ることはできるでしょうが、人間が浸かれるほど広く深く掘るためにはスコップが必要。それを硫黄島で調達はできないでしょうから鹿児島から持参する必要があります。

それでいて湯は砂と海水・鉱物混じりでしょうから、言葉選ばずに言うと「風呂入る前より汚れる」。ジャンルとしては入浴と言うよりは海水浴と思う方が楽しめるように思います。それでいて民宿泊まりでシャワーを浴びることができる状況かすぐ横にある「三島開発総合センター」が営業している日にトライすると良いと思います。

 

続・源平合戦を伝える場所

第81代安徳天皇(あんとくてんのう/1178-1185)墓所

硫黄島には安徳天皇の墓所と伝えられる場所があります。

時は平安時代末期

壇ノ浦の合戦(1185/山口県下関市)にて平家の最期を悟った祖母・平時子に抱かれ海峡に身を投じた悲運の天皇。さらっと「第81代安徳天皇(あんとくてんのう/1178-1185)」と触れましたが、即位は満1歳4ヶ月で歴代2位の若さ(一位は第79代六条天皇の0歳7ヶ月)。崩御満6歳4ヶ月は歴代最年少。また歴代天皇の中で未婚だった3名のうちの一人(ほか2名は「第22代清寧天皇(せいねいてんのう)」「第79代六条天皇(ろくじょうてんのう)/1164-1176」)で、安徳天皇以降未婚の天皇は存在しない。

なお、今上天皇は第126代徳仁天皇(なるひとてんのう/1960-)。

即位があまりに若いため政治を摂ったことはなく祖父である平清盛が担った。天皇に自分の娘である徳子を嫁がせて外戚になることで実権を掌握した政略結婚と言えます。

奥祖谷二重かずら橋(徳島県三好市)

早過ぎるその最期に関して壇ノ浦で命を落とすことなく逃げ延びた説が中四国・九州地方を中心に広く存在しています。四国では徳島の祖谷(いや)地方が有名で、有名観光地となっている「かずら橋」は源氏の追手が来ても素早く橋を切り落とせるように木の蔓(かずら)で編んだもの。
また、祖谷地方にある四国第二の高峰「剣山(つるぎさん/標高1,955m)」は当地に逃れた安徳天皇が三種の神器の一つ「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」を山頂に納めた故事にちなんで、太郎笈(たろうぎゅう)から改称された。

ドギーとカヌーツーリングで下った高知県仁淀川沿いに「越知(おち)」という地名がありますが、これは安徳天皇が町内の横倉山に落ち延びた伝説にちなみます。

カヌー犬第二章は日本一の清流・前編

仁淀川を下った時の記事です(この時は越知町の流域は下っていません)

硫黄島には安徳天皇の末裔とされる一族が現在も暮らしている

硫黄島には平家討伐の陰謀により配流された僧・俊寛僧都の伝説がありますが、それとは別に平家方の人間に連れられて島に逃げ延びた伝説があります。その伝承に従うと「流人(るにん)」「落人(おちうど)」が結果的に硫黄島に同居したことになります。

また安徳天皇はこの地で結婚して子を儲け血脈を繋いだ。その子孫と伝わる長浜家の人物が第二次世界大戦後に「自称天皇」の一人として当時のメディアに取り上げられ、時の人となったこともありました。いずれの話も言い伝えの域を出ないところではありますが、日本人特有の「判官贔屓(ほうがんびいき)」がこのような伝説を生んだのでは、と思います。

盛んに噴煙を上げる山と熊野三山

硫黄島の平家落人伝説のことを書いた記事です。

 

インドクジャクが闊歩する島

集落の木の上に営巣する孔雀

恋人岬から戻り安徳帝の墓所を訪ねていると頭の上から甲高い鳥の声が盛んに聞こえます。

ヤマハリゾートの忘れ形見「インドクジャク」。ここは天皇の墓所(と伝わる場所)ですがしっかり営巣しています。

絶海の孤島にかつて存在した高級リゾート

かつて火山島にホテルを建設したヤマハリゾートのことを書いた記事です。

島内を歩き回るクジャクたち

そこが墓地だろうがニワトリのように駆け回りこの島ではハトやスズメのようにどこにでも居る。動物園で見るオスのクジャクは王者の風格があるものですが、ここのクジャクは庶民的です。けれど島で暮らす島民さんたちにとっては野菜を作っても食べてしまう害鳥の面もあります。

 

墓石に刻まれた五文字

空風火木地の五文字が刻まれた特徴的な墓石

墓地と言えば硫黄島の墓が特徴的です。





これらは「五大(ごだい)」と言って宇宙を構成している五つの要素を表すもの。

五輪塔(写真は高野山にあるもの)

ヤマトにおいて五大は「墓石」もしくは「五輪塔」の認識が一般的。字ではなく梵字でそれぞれが表されることが多い。梵字が刻まれている時の意味はそれぞれ上から、

キャ=空
カ=風
ラ=火
ヴァ=木
ア=地

と読む。

ここにあるその多くが江戸時代のもの

硫黄島で見られる墓石は五輪塔が形成される以前の形式の物であり非常に原始的。これらは俊寛の時代にもたらされた熊野信仰由来のものでしょうか。

年季の入った墓石群を観察していると、

文政(1818-1831)
天保(1831-1845)

など19世紀初めから中盤にかけてのものを多く見ることができます。

 

早朝おさんぽからただいま

さっきは丘の上から見下ろした港の波打ち際

集落-恋人岬-安徳天皇墓所-集落

と回って帰ってきました。出発した時は早朝でまだ薄暗かったのがすっかり明るくなって天気も上々。早朝の岬へのおさんぽ、ゆっくり歩いて往復して2時間コースでした。

 

続き

活火山を眺めながら旅立ちの船出

今回訪れた場所

恋人岬(こいびとみさき)

日程

平成28年(2016)2月


back

前の画面に戻る

前の画面に戻る

© そらうみ旅犬ものがたり