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2020-04-12

野に帰りつつある島の礎となった鉱山跡<燐鉱石貯蔵庫跡/沖縄県北大東村>


今回一番の旅の目的、北大東島「燐鉱石貯蔵庫跡」。前日夕方に訪れたものの、探検を自重して夕陽を眺めました。翌朝素晴らしい青空になり、探検開始です。

ナビゲーターを務める旅犬ドギー


北大東島始まりの地・西港

西港(沖縄県北大東村)

人類が初めて北大東島に上陸した場所がこちら西港。現在も島の玄関口であることは変わりません。

開拓以来、大規模農業と製糖が主産業の南大東島に対して、北大東島が歩んだ島の歴史は「鉱業」。戦前を中心にリン鉱石の採掘で栄えたその歴史と遺構を、西港へ向かう道路の右左に見ることができます。

太平洋ど真ん中の絶海の孤島を甘く見てはいけません

波風容赦なく吹き付ける大東諸島。強風や波が高い時は安全のためゲートが閉められ、進入できなくなります。

♯海に向かって延びる道

この部分だけ切り取ると、香川県豊島(てしま)で人気のスポットと似た感じ。そこと比べると訪れる旅人は格段に少なく、気ままに写真を撮ることが可能です。いかがでしょうか。

 

燐鉱石貯蔵庫跡・裏側

燐鉱石貯蔵庫跡(りんこうせきちょぞうこあと/沖縄県北大東村)

崩落している筒のような部分が燐鉱石を貯蔵していた部分。

燐鉱石貯蔵庫入口

こちらがそのコンクリート筒への入口。

採掘→選別→乾燥
が行われたリン鉱石がこちらの運び込まれ、船での出荷を待ちました。

崩落を興している内部

在りし日は内部にレールが敷かれ、その上に所狭しと燐鉱石が積まれたトロッコが並べられていたのではないでしょうか。

どの貯蔵庫も上部が等間隔で崩れているのが不思議な点ですが、全ての列がそうなっているので元々筒を覆う上屋か何かがあったのかもしれません。

 

鉱山から発展した北大東村

西港から望む南大東島

燐鉱石が積み出されていた港を探検することにします。昨日は日没間近の訪問で薄暗かったのですが、こうして明るいとまた印象が違います。

見えている島は南大東島で北大東島から見える唯一の陸地。

一島一村の南大東村に対して、こちら北大東村は沖大東島(ラサ島)島を含めた二島から成ります。これは戦前の北大東島の産業が「鉱業」だったことに由来。

明治18年(1885)に沖縄県による調査を経て、大東諸島が日本領に編入されたのが同年。その後、玉置半右衛門(たまおきはんえもん)率いる八丈島出身の開拓者たちが北に上陸したのが、南の上陸から3年経った明治36年(1903)。
玉置半右衛門は島に堆積しているグアノ(鳥の糞や死骸が積もってできた物質。リン鉱石の原料)に目を付け、明治43年(1910)頃に採掘を試みましたが、さすがに鉱山経営のノウハウまでは無かったのか数年で断念。玉置商会自体が経営不振になり、経営権が他社に売却されてしまいます。

 

北大東島での開拓を受け継いだのが東洋精糖で、大正8年(1919)にリン鉱石の採掘を開始。昭和2年(1927)には大日本製糖に引き継がれ北大東島のリン鉱石採掘は戦時中の昭和17年(1942)に7万トンを生産、ピークを迎えました。

こちらバラ印の「大日本明治製糖」のルーツになる一社が、北大東島の鉱山経営を行っていました

 

沖大東島では玉置半右衛門を含む数名によって開発競争が行れた後、日本で初めて燐鉱石を発見した地質学者の恒藤規隆(つねふじのりたか)が利権を獲得。明治44年(1911)2月、ラサ島燐礦合資會社(らさじまりんこうごうしがいしゃ)を設立。以降、鉱山経営が行われました。現在のラサ工業の起源です。

ラサ工業ホームページ→http://www.rasa.co.jp/
※トップページで沖大東島の写真。コンテンツ内に沖大東島の歴史について触れられています

燐(リン)は主に肥料の原料として不可欠な物質。当時は大きな戦争(第一次・第二次世界大戦)や世界恐慌に際して、食糧増産が不可欠な時代。その肥やしとなるリンは、どの国においても欠かせない産物でした。

 

リン鉱石の出荷が行われていた絶壁の港

北大東島・西港の「断崖絶壁っぷり」

北大東島を訪問した前日、フェリーだいとうの乗船・荷役関係は、天候等の関係でこちら西港ではなく江崎港(南港)で行われました。

天候は申し分の無い好天。波風があると言えばありますが、荒れてるなあという印象ではありません。

島のターミナル的性格である西港の方が、固定設備や港湾作業員さんたちの通勤など利便性で勝ると思うのですが、そこは海流など素人にはわからない事情があるのでしょうね。

「ゾウの鼻」と呼ばれた出荷風景

この近くの岸壁で行われていたのが、現地にあった案内板・左下の写真にあるようなリン鉱石の出荷。

トロッコで岸壁まで燐鉱石を運んで、そこから漏斗(ろうと)で直下に浮かべている艀(はしけ)に落とし込む。それを沖に碇泊している船にピストン輸送。何隻かの艀舟を用いてその繰り返し。海から岸に高低差がある北大東島ならではの方法です。

西港の岸壁上に立つ飼主とドギー

高さ10mくらいはあるでしょうか。犬はもちろん飼主も高所恐怖症なので、とっても恐ろしいです。

現在、西港にフェリーだいとうが発着を行う際はこの場所からクレーンによって、各種荷役が行われています。

かつて、全てのものの上陸が行われていたスロープ

西港で最も海面に近い陸地はこちらの部分。周辺を見渡して、ここがそれほど急傾斜でなく水辺に下りることができる部分だったのではないでしょうか。おそらくこの幅ではなかったでしょうから、そこは人為的に開削して幅員を確保したもの。そこにコンクリートが敷設されています。

クレーンが無い時代は荷物・乗客など、島に上陸する全てのものが艀を介してここから上陸していたと思われます。

燐鉱石貯蔵庫跡・表側

燐鉱石貯蔵庫、表側へ続く階段

崩落した筒が並ぶ場所は燐鉱石貯蔵庫の内部であり、裏側。実際に搬出が行われていた表側へ行ってみます。

足元はゴツゴツ、尖った岩がたくさん

施設の性質上、釘などの金属が落ちていることも十分考えられます。靴を履いていないドギーは抱っこ一択です。

燐鉱石貯蔵庫の表側

北大東島を象徴する風景。村発行のパンフレットの表紙など、島のイメージ写真に登場するのがこの場所です。

壁の前にある案内看板には、操業当時の写真

石積みの外壁にいくつか開いたトンネルがそれぞれ石壁裏側に並ぶコンクリート筒に繋がっていて、トロッコに載せられたリン鉱石が敷かれたレールの上を通って港の先端へ運ばれる仕組み。

現在崩落している左端の壁

往時の写真と見比べて眺めると、どのような営みが行われていたのかがよくわかります。

高いトンネル、低いトンネル

トンネルと繋がっている入口は四本だったようですが、上の写真を見ると坑門はその隙間にいくつかあったようです。それと思しき箇所には岩盤をくっつけて埋められたような跡を見ることができます。

トンネル入口は健在

この部分、石垣がほぼ崩れてしまっていますが坑門は健在。コンクリート資材の強さが実証されているようです。

海側の損傷が激しい

左側から崩れていくのは、単純に最も潮風が当たる海側ということでしょうか。一帯が国の登録有形文化財に指定されているので、補強など一定の保存政策が取られているものと想像します。

文化遺産オンライン・北大東島燐鉱山遺跡→https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/449130

内部が気になりますが、眺めるだけ

貯蔵庫内部は折り重なったコンクリート瓦礫に剥き出しの鉄骨。案内人を伴わない進入は危険が伴うので、入口から眺めるだけにしておきます。

北大東島に鉄道があったわけでは無いけれど、西港一帯にトロッコのレールが敷かれている様子や、工場が盛んに操業している様子は、それはそれは産業革命的な様相だったのでは、と思います。

 

北大東島における燐鉱石鉱山の終焉

北大東島の盛者必衰を体感するドギー

第二次世界大戦後、沖縄が米軍の施政下に移った際に、それまで行われていた作業人夫が鶴嘴(つるはし)で掘るような人力ではなく、ブルドーザー等機械を用いた採掘方法へ転換を迫られました。そうするとリン鉱石に砂や珊瑚の欠片が多く混じることで品質が低下。市場価値が低下し、北大東島産のリン鉱石が売れなくなりました。

「アメリカがいらんことして!」
と思えてしまうところですが、そこは世界規模で見るとその後重機械を用いて年間数百万トンのリン鉱石を産出する場所が登場しているので、最盛期でも数万トンの生産量だった北大東島ではいずれ競争力を失っていたことは明白。早い段階で島の政策転換を行うことができたと考えると、悪い面ばかりではなかったように思います。

農業の移住者が多かった南大東島に対して、鉱山の出稼ぎ労働者が多かったのが北大東島。鉱山の操業は戦後の昭和25年(1950)頃まで行われていたようですが、それが閉山すると暮らしていた人々の多くが島を離れ、北大東島には早くも過疎化の波が訪れました。

鉱山の島が閉山して離村→軍艦島こと長崎県の端島(はしま)と同じ歴史ですが、北大東島は無人島にはなりませんでした。そこは主産業が鉱業であったとしても農業と製糖も行われていたので産業がゼロにはならなかった事。米軍統治下・日本復帰いずれにしろ国防上重要な島だったことがあり、離村を防ぐための政策が取られたため、と想像することができます。

 

燐鉱石貯蔵庫跡

 

続き

 

フェリーだいとう編

 

南大東島編

 

北大東島編

 

旅の期間

平成30年5月21日-5月24日


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