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2020-04-06

さとうきびを運んだ鉄道跡と、絶海の孤島にあった戦争<南大東島/沖縄県南大東村>


さとうきび畑の横に植えられた木は「フクギ」。沖縄では防風林として馴染みの深い植物です。この緩やかなカーブに植えられたフクギ林には秘密があります。

森林ではなくここだけ帯のように植えられているフクギ林


絶海の孤島の鉄道跡

フクギの木が植えられている部分は、かつての鉄道跡

かつて南大東島には、収穫したサトウキビを製糖工場に運搬するための鉄道、通称「シュガートレイン」が、島内を周回するように敷設されていました。

軌間は762mmの軽便鉄道軌間(標準軌1435mm、狭軌1067mm)

シュガートレインは製糖工場所有の貨物鉄道でしたが、非公式的に乗客を輸送することもあったようです。
その点は全国各地にある森林鉄道と同様。四国であれば、高知県に林業のために敷設された魚梁瀬森林鉄道(やなせしんりんてつどう)が、林業と乗客輸送を行っていた話があります。

戦後は沖縄県唯一の鉄道だった

日本最南端
沖縄県唯一

戦前、沖縄本島には那覇を中心とする県営鉄道が存在しましたが、沖縄戦で破壊。戦後復活することはありませんでした。

当時は南大東島にも機銃掃射など空襲があり(※日の丸山展望台で後述)、シュガートレインも大小被害が出たことが記録されています。しかしながらシュガートレインは戦後も運転が続けられ、それは「日本最南端」「沖縄県唯一」の鉄道でした。

人類の南大東島入植以後島の発展に寄与してきたシュガートレインですが、昭和58年(1983)の収穫を最後に廃止。以降はトラック輸送に転換されました。

姿を消しつつある軌道跡

廃線後は圃場整備事業等により、軌道の多くは道路や畑に姿を変え、痕跡は年を追うごとに減少しています。
今回は訪れる時間がなかったのですが、村の中心部の在所には機関車や客車、車庫から転用された倉庫などを見ることができます。

地平線が見える島の展望台

島南部の丘陵上にある展望台は、南大東島を一望できるビュースポット

南大東島の魅力の一つに「地平線が見える」点を挙げることができます。

*「そんな大きな島なんですか!」
いえいえ、決して広い土地がある島ではありませんが、島の形状が円形の真ん中が窪んでいる形なので、島内の土地が低いところからは海が見えません。その代わりに集落をぐるりと囲う丘陵の稜線が、地平線のように見える。そんなカラクリです。

亜熱帯植物の間を抜けて展望台へ

特に駐車場のようなスペースは無かったように記憶しておりますが、道路端のお邪魔にならない場所に車を駐車して歩道を上がります。

日の丸山展望台(沖縄県南大東村)

道路から展望台まではすぐ。眼前にはこのような絶景が広がります。

南大東地平線

展望台から広がるのは抜群の展望。

南大東空港がある北東方向

一面広がる圃場は「さとうきび畑」
仮にこの景色を「北の大地」と紹介しても、みんな信じてしまいそう。それくらい雄大な風景。

真ん中右に見える、白い平っべたい土地は南大東空港。現空港は、集落をぐるりと囲う台地の上に位置しています。

【関連記事】2020,4/10 南大東島グルメと特産品巡り<南大東島/沖縄県南大東村>

僅かに北大東島の島影が見える

同じ北東方向。灯台のような白い建造物の方角を注意深く眺めていると、わずかに山が顔を出している事がわかります。

あちらは大東諸島を構成する僚島「北大東島」
南大東島から見ることができる海の上にあるものとしては、唯一の存在が北大東島です。

 

集落がある北西方向

真ん中右、煙突がある区画は製糖工場。島の経済を担う事業所で、人々が暮らす集落はその周りに形成されていることがわかります。

こちらの方角は注意深く眺めていると海が見えます。

空・海・大地。
道東(どうとう、北海道東部)の風景を眺めているようです。

 

絶海の孤島にも訪れた第二次世界大戦

樹木に覆われたコンクリート建造物の存在

日の丸山展望台で景色を堪能した後は、その足元にも必見。島の歴史が埋もれています。

「日の丸」の由来

地名「日の丸」とは、この場所に国旗掲揚所があったことに由来。

積み石で擬装された跡を見ることができる

こちらはその要塞跡ですが、外壁には擬装のための石が張り付けられているのがわかります。

絶海の孤島にも訪れた第二次世界大戦

戦時中、この場所には帝国海軍の電波探知機部隊が置かれました。その役割は南大東島の防衛と言うよりは「電波探知」とあるように、敵機のレーダーや動きを傍受して本土に伝えるのが主な任務。

戦時中のドラマ等で「空襲警報~!!」とサイレンが流れ人々が防空壕等に避難する場面がありますが、これは紀伊半島や房総半島など本土の入口に当たる地点にあった電波探知部隊から発信された情報を基に、敵機が都市部に最接近する前に流されていたもの。

そういう意味では、こちら南大東島の周辺海域は敵機観測において相当重要な拠点。奪還されたサイパン島やテニアン島にあった飛行場から西日本各方面へ爆撃を行うB-29等は、南大東島近くの海域が飛行ルートでした。

リトルボーイ…広島原爆…エノラ・ゲイ
ファットマン…長崎原爆…ボックスカー
これらのB-29二機も、テニアン島の飛行場を飛び立ってこれら二都市に原爆を投下しました。

当時の日本には制空権・制海権が無いに等しかったため、米軍が行った都市空襲に対して成す術も無かったのが現実ですが、島からもたらされた米軍爆撃機が飛来する情報は、日本の防衛や都市住民の避難に大きく寄与したはずです。

保存が行われているわけではないので、状態は良くない

戦後70年以上が経過しているため、植物の繁茂も伴って原型を留めていない感があります。それは戦後放置されたため崩れてしまった部分や、意図的に破壊されたものかもしれません。

後者は自軍・敵軍で行われる場合があり、自軍の場合は接収されないよう隠蔽されたり破壊されるパターン。どちらかと言えば要塞より航空機等の兵器で行われる場合が多い。「琵琶湖にはゼロ戦が多数沈んでいる」のような俗説は、そこから生まれたものと言えます。

敵軍によって破壊される場合は、占領された国の民衆が再び屯集して反乱を起こすのを防ぐため、再利用を不可にするもの。四国では佐田岬要塞などにその破壊痕を見ることができます。

かつての日本防衛最前線の跡

海軍の守備隊が置かれた南大東島では、第二次世界大戦末期を中心に激しい空襲を受けました。

島民は事前に強制疎開が命じられ南大東島で罹災することはなかったようですが、移動させられた沖縄本島でもっと悲惨な目に遭った事が考えられます。
島に駐留する日本軍からの反撃は限定的、破壊すれば補給ままならない絶海の孤島。沖縄を手中に収めた米軍からすれば、孤立した大東諸島の守備隊を掃討することなんて容易な事だったと想像します。

戦後、南大東島への帰島が許され島民が帰ってきた時には、生活の基点となる製糖工場は壊滅。シュガートレイン等、島のインフラは大きな被害を受けていたそうです。開拓者やその子孫たちは、今度は復興に取り掛かったそうです。

日の丸山展望台では南大東島の素晴らしい景色だけではなく、島や日本の国を最前線で防衛していた兵隊さんたちの活動遺構を見ることができます。

 

日の丸山展望台

 

開拓以来の大規模プロジェクト

目指すは南大東島の北側にある港

南大東島に滞在することができる時間が短くなってきました。残された時間でまだ行くことができていない場所を堪能することにします。
行先は島の最も北にある漁港へ。こちらは近年大規模工事が行われ、南大東島初の掘り込み式の港が出来たと聞きます。

南大東漁港(沖縄県南大東村)

大東諸島は隆起珊瑚礁の島。入江や内湾はありません。こちらは人工的に開削されて出来た港です。

掘り込み式の港の沖に見える陸地は北大東島

硬い岩盤をくりぬいて作られた漁港の誕生は、島にとって開拓以来のビッグプロジェクト。

漁に出ていた舟が帰ってきました

周囲をぐるりと大海原に囲まれた大東諸島から大海原に舟を出すことは、容易ではありません。相変わらず舟を海に係留したままというわけにはいきませんが、波風静かな内港で安全に舟を出し下ろしすることが出来るようになった事は、画期的な進歩でした。

南大東漁港が出来るまでの歩み

この漁港の完成によって島の産業、漁師さんが受けた恩恵は大きい。
それまでの漁は、自家用か島内で消費する程度の「漁労」規模でしか行えなかったものが、那覇に出荷することが出来る「漁業」に進化したそうです。

反面、島の土砂が海へ流出することによる海洋汚染や、ダイトウオオコウモリなど固有の動物たちの棲家が減少してしまった、自然環境への影響も見過ごすことはできません。

「日常」の島民さんにとっては便利が何より求められることですし、「非日常」の観光客にとっては不便な原風景こそ心に留まるもの。鉄道のローカル線等と同じ理論です。
難しい問題ですが、日常利用者である島民さんが生活することが出来ているからこそ島外民が行けると考えたら、島の利便性が向上する開発には賛成です。

 

南大東島の大地に足をつけるドギー

北港に降り立ったドギー

旅犬ドギー、せっかく南大東島まで来たのだけれど、なかなか出番がありません。
訪れたのが初夏でありこの陽気。十数時間の船旅を経てきたドギーにとって、高熱のアスファルト上は消耗が大き過ぎます。

それでも大東諸島に来ることができるなんてまたと無い機会なので、ドギーをいたわりつつ島内をレンタカーで回っています。

漁港竣工の記念碑前にて

漁港を見下ろし北大東島を望むこの場所には、漁港竣工の記念碑が建てられていました。

穴がたくさん開いた岩は隆起サンゴ礁。すなわち南大東島の岩盤であり、おそらく港の造成工事の際に掘り出されたものと想像します。人間はともかく、ドギーは本当によくこんなところまで来れたなあって、旅犬っぷりに感心します。

 

南大東漁港

 

続き

 

フェリーだいとう編

 

南大東島編

 

北大東島編

 

旅の期間

平成30年5月21日-5月24日


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