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2019-08-10

田んぼに浮かぶ島々。旅犬が訪ねる俳人の聖地・前編<象潟/秋田県にかほ市象潟>


「象潟や雨に西施がねぶの花」とは、俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)がこの場所で詠んだ一句。芭蕉が「おくの細道」で訪れた最北の地をドギーと旅しました。

山形県と県境で接する秋田県にかほ市象潟(きさかた)。西の松島と呼ばれる

田んぼに島々が広がる独特の景観

町を見下ろす丘から眺めた象潟俯瞰

象潟の街を見下ろす丘の上から、市街と現在は田んぼになっているエリアを眺めたところ。(左)街は街でまとまり、(右)に田んぼが広がっていますが、田のエリアには大小様々な丘が点在していて、そこに樹木が生えているのがわかります。

これらは元々は海に浮かぶ島々です。象潟と言えば「東の松島、西の象潟」と呼ばれる、古くから知られた景勝地。松尾芭蕉が奥の細道で訪れた時代、この場所は海。そこかしこに浮かぶ島々と水面に映る鳥海山の山容が素晴らしかったと記しています。

しかしながら文化元年(1804)に発生した「象潟地震」によって、一帯の土地が隆起。特に象潟では土地が2m余り隆起して、この場所の海は現在のような陸地となった。松尾芭蕉が訪れてから115年後の事でした。

地名が示す「潟(かた)」は、波が運んだ土砂などで海岸線が埋まって砂州がとなり、湖沼化した地形の事。細い水路によって外海と繋がっていることが多く、塩湖や塩分濃度の薄い汽水湖であることが多い。

国内では北海道のサロマ湖や、同じ秋田県の八郎潟等が潟湖として挙げられます。

北海道の道東エリアでは、他にも能取湖(のとろこ)、風連湖(ふうれんこ)なども同じ潟湖です。

俳人の聖地

最も有名な陸島

象潟にいくつもある陸島の中で、名前が付いていて松尾芭蕉が訪れる理由として挙げたのが、こちらの島。

能因島(のういんじま)

芭蕉が象潟を訪れるよりも、ずっとずっと前の時代。能因法師(のういんほうし)という僧侶・歌人が象潟を訪れました。

能因法師ゆかりの場所

かつて象潟を訪れた、

西行法師(さいぎょうほうし/1118-1190)

能因法師(のういんほうし/988-1050?)

小倉百人一首にも登場する、

第六十九番「あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり/能因」
第八十六番「嘆けとけ 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな/西行法師」

有名歌人であり、松尾芭蕉(まつおばしょう/1644-1694)にとって憧れの人物。
西行が150年以上前の能因の遺跡(ゆいせき)を訪ね芭蕉が500年以上前の西行の足跡を追ったように、象潟は俳句の歌枕の地として古くから知られる「俳人の聖地」

芭蕉が、

「象潟に船をうかぶ。先(ま)ず能因嶋に船をよせて…」
と、象潟に来て一番初めに能因島を訪れているあたり、そのことを窺い知ることができます。「船をよせて」の一節も、当時この場所が海であったことがわかる、貴重な証言です。

 

現代の能因島

能因島に上陸

先人たちは海に小舟を浮かべて上陸したことでしょうが、現代の能因島は徒歩で上陸することが可能。

田んぼの中に大島小島

能因法師が庵(あん)を結び、三年幽居(ゆうきょ、俗世間を離れて暮らす事)した場所に立った旅犬ドギー。象潟の島にはこのような角柱の石が置かれていることが多く、これらはもしかしたら船をロープで繋いでいた「舟つなぎ石」だったかもしれません。

能因が、西行が、芭蕉らが。彼らが眺めたであろう「海に島々」の景色ではないけれど、現代だからこそ見ることができる「田んぼに島々」の風景。これはこれで象潟ならではの風景として一見の価値ありです。

鳥海山が見える

ドギーが眺める先に見える雪を冠したお山は、出羽富士(でわふじ)こと「鳥海山/2,236m」

海が広がる当時はその水面に鳥海の山容が映り、それはそれは風光明媚だったようです。現代の「逆さ鳥海」は田んぼに水が張られる春の一時期のみ見ることができる、プレミア景色となっています。

 

能因島

旅の期間

令和元年7月

 

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