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2019-08-31

今や鉄道が走らなくなった国鉄20,000kmを訪ねる<国鉄2万キロ記念碑/広島県安芸太田町>


国鉄2万km記念碑とドギー

そらうみ駅駅長であり鉄道にも造詣が深い旅犬ドギー。国鉄時代の「キリ番」を求めて、かつての線路跡を訪ねました。

国鉄20,000km達成記念碑

旧可部線沿いにある

明治維新以降、政府が道路より鉄道を優先する政策を進めました。現在のJR主要路線の多くは、戦前に開通しています。

戦争によって建設が中止になった路線や、開通していたけれど参詣や温泉地等レジャー輸送を目的としていたために不要不急線(=戦争や国威掲揚に関係ない)として休止されたもの。それは国鉄・私鉄問わず存在しました。

ドギーと自分が暮らす香川県で不要不急線に指定されたものとしては、

琴平急行電鉄(=参詣、その後廃線)
塩江温泉鉄道(=レジャー、その後廃線)
屋島ケーブル(=参詣、その後復活するも廃線)
八栗登山鉄道(=参詣、現役)
等があります。

戦後、それらの復活や計画されていた路線工事が再開されたものがあれば、改めて考えると収支が見込めないな、とそのまま廃止・中止になったもの。先の大戦を契機に全国各地の鉄道で大きな変化がありましたが、こちら可部線(かべせん)は山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡線」として、戦後も工事が進められました。

 

広島から浜田を目指して

82年後の20,000km達成

元々は広島(=山陽)と浜田(=山陰)を結ぶ陰陽連絡線・廣濱鉄道(ひろはまてつどう)として、広島・浜田双方から建設が進められてきた可部線(かべせん)
昭和29年(1954)3月30日、可部線布(ぬの)-加計(かけ)間の延伸開業を果たしたことで、国鉄総延長2万kmを達成。達成地点の坪野駅近くには「国鉄2万km記念碑」が立てられました。

その後も可部線の延伸工事は進められ、昭和44年(1969)には加計-三段峡が開通した。引き続き浜田を目指して工事は行われたものの、結果的に延伸することができたのは三段峡まで。昭和55年(1980)には今福線(=広浜鉄道、可部線の延長工事)自体の工事計画が中止され、三段峡駅が終着駅になりました。

 

工事凍結から部分廃止

2万kmを達成した地点は、現在は廃線

建設凍結によって一応の完成を見た可部線でしたが、だからと言って路線の維持は安泰では無かった。赤字であった可部線は三段峡駅開通前から廃止勧告を受けており、幾度もその危機にあった。
近年まで生き永らえた理由として、国鉄の廃止基準が全線での収支としていた点。可部線は途中の可部駅で電化/非電化が分かれていたが、広島市街地から近い電化区間(横川-可部)はむしろ黒字。赤字区間である非電化区間(可部-三段峡)の赤字をカバーしていたため、廃止を免れていた。

全国的に見れば、ある区間では黒字なのにこの基準に従って廃止基準としたため、北海道の松前線のように廃線になった路線も存在します。

 

その後、可部線は国鉄からJR西日本に継承され、明らかに赤字である区間の収支は見過ごせなくなった。沿線地元では、近くにあった津浪駅(つなみえき)とヒット曲・TSUNAMIをかけた存続運動等も盛んに行われましたが、可部-三段峡の46.2kmは平成15年(2003)12月に廃線になりました。

廃線になった一番の理由は「乗客の減少」ですが、当地が既にマイカー社会であり、列車に乗ろうと言う層が少なかった。
街へ行くにも元々広島はバスが発達しており、列車で街へ行くという概念が薄い。可部線を利用して広島駅に行ったところで、市中心部へは市内電車に乗車しなければならない。バスなら市街地の紙屋町(かみやちょう)等へ直通。所要時間は列車より早く、バスタイプによっては着座保障。

車両運用面でも可部駅で電化/非電化が分かれていることで、車両や司令所を別で用立てする必要があったため、その経費が重くのしかかっていた。かつては浜田へ向かって工事が行われているから、という理由で廃止を免れたこともあったが、今はそれは無い。電化して広島直通としたところで乗客が増える材料は乏しく、廃止は止む無しというところでした。

 

廃線区間となった国鉄20,000km達成地点

レールと20000を表す刻印

そうなると困ったのが「国鉄2万km記念碑」
2万kmを達成した地点から鉄道が消えることとなり、記念碑だけが取り残されることになった。

一時は廃線後の未整備によって記念碑は雑草に埋もれ、その存在が忘れられつつあった。
その後線路跡の一部が舗装されることになり、それに伴って記念碑が現在地に少しだけ移設された模様。

「レール」と「20000」の字は劣化、コンクリート自体に含まれる石灰成分が流れ出して、これらのモニュメントが判別し辛くなっています。

舗装された廃線跡

旧坪野駅があった方向。
カーブの径と単線幅が、かつて線路があったことを想像することができます。

可部線廃止区間では、安野駅や加計駅のように駅舎と車両が保存され、公園や広場になっているところがありますが、駅舎等の多くは取り壊されバスターミナルに転用されたり、この場所のように線路跡が道路に転用されています。

 

また、一度廃線になった可部-河戸(こうど)間では、周辺の宅地化を理由に電化整備の上、

可部-河戸帆待川(こうどほまちがわ)-あき亀山
と、駅名・駅位置を変えて平成29年(2017)に復活。そんな明るいニュースもあります。

 

国鉄2万キロ記念碑


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