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2020-01-21

三県が接する水辺とそこに立つ古い木造建築<三県境、瀞ホテル/奈良県十津川村・三重県熊野市・和歌山県新宮市>


今居る場所は三つの県境が交わる地点

深い峡谷の中を流れる川を下るカヌー犬ドギー。ここは紀伊半島南部「瀞峡(どろきょう)」と呼ばれる奇岩が立ち並ぶ、古くから知られる景勝地。観光ジェット船が行き交いカヌーの旅はそれと接触しないよう注意が必要ですが、川旅を通じていくつもの見所を感じることができます。

川下りスタート地点のロケーション

紀伊半島にある三つの県が出会う場所から川下りスタート

今回下る川はどんな場所なのか。この場所の事をよく知り準備を入念に行ってから、川下りへ移りたいと思います。

三つの県境が交わる珍しい地点

県境・県界(けんざかい)と言えば、通常は二県が接してそこを境に行政区分が変わり人々の習慣が徐々に変わっていく。そんな「県民性」の変化を見ることができる場所が県界ですが、この場所は境目が分ける県が2県ではなく3県という珍しい場所です。

瀞峡(どろきょう、奈良県十津川村・三重県熊野市・和歌山県新宮市)

紀伊半島南部の有名な景勝地の一つで、瀞峡観光の足となるジェット船が発着する港「田戸(たど)」がある。

ここで接する三県は「奈良」「三重」「和歌山」

川のT字路がそのまま三県境に

地図で見るとこのように、北山川に葛川(くずかわ)が合流するこの場所が三県県界。

県界を写真に落として見ると…

こんな感じでしょうか。

川の左岸は三重県で右岸は和歌山県。そこに奈良県が入り込んでいる。
が、webで地図を引いて見てみるとこの和歌山県の部分は飛び地。

この上流に全国で唯一、一自治体が丸ごと飛び地になっている和歌山県北山村(島じゃないのに周囲は奈良県か三重県)があるように、この地域は山が深いので陸上交通が発達しなかった。山坂を越えるより川を筏や舟で往来する方が容易。すなわち川が道。川を通じてどこと繋がっているか考えた場合、それは河口にある新宮(しんぐう)だった。

明治になり廃藩置県が行われ、広大な紀州藩は解体され和歌山県と度会県(わたらいけん、現三重県南部)に分割された。その際、それまでの慣習を無視する形で熊野川を境に東を度会県・西を和歌山県。北山川を境にして北を奈良県・南を度会県とした。

このことで、北山川を通じて新宮との結びつきが強かった地域は奈良県となったため困惑。新宮と同じ和歌山県になることを望み、それが叶った結果和歌山県に編入されたが、周囲で自県と接することが無い飛び地になった。

 

紀伊半島の秘境郵便局

瀞郵便局(どろゆうびんきょく、奈良県十津川村)

元々は横の木造建築が郵便局だったのでしょうか。集落の診療所のような建物にも見えます。

紀伊半島の山中を旅していると、山の中で小さな郵便局を見つけることがありますが、こちらもそんな感じ。在りし日の東の川簡易郵便局が思い出されます。
郵政も民営化されてだいぶ時間が経ちますが、その後集落の過疎化などで不採算の局がどんどん閉鎖されて行っているので、味のあるローカル郵便局を訪ねることができるのは、今のうちかもしれません。

 

テレビでお馴染みの…ではなく

瀞駐在所(どろちゅうざいしょ、奈良県十津川村)

「十津川(とつかわ)」「警察」

を見ると、とある推理小説かテレビドラマを連想してしまうのですが、テレビの見過ぎでしょうか。

調べて見るとあれは奈良県の十津川村(とつかわむら)は関係なく、作家さんが地図を眺めていて目を惹いた地名が「十津川」で、そのまま採用されたようです。

 

今は昔になったバス停・バス路線

瀞八丁バス停(奈良県十津川村)

古びたバス停を発見。ここは奈良県なのに和歌山県を拠点とする熊野交通のバス停が設置されているのが着目すべき点です。

※令和元年9月30日をもって、熊野交通(現:熊野御坊南海バス)瀞八丁線は廃止になりました

宝物級の瀞峡周辺のバス路線図

待合所を覗いて見ると、周辺のバス路線図が掲げられておりました。この路線図、宝物級です。

路線図を見るとこのエリアには、

奈良交通
熊野交通(現熊野御坊南海バス)
十津川村村営バス

三事業者によって運行されています。
けれど令和二年に熊野交通が南海系のバスと合併する等、他地方の例に漏れず当地域も交通網再編が著しい。奈良交通の枝線も廃止になるか片っ端から十津川村村営バスに事業譲渡された印象があります。

こちらの写真は少し前に撮ったもので、在りし日のバス路線を確かめることができる点で貴重です。

 

意外な点として、

熊野本宮大社
玉置山(玉置神社)
熊野古道中辺路(なかへち)
熊野古道雲取越(くもとりごえ)
熊野古道大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)
湯の峰温泉
ほか

この路線図に描かれているエリアの地形は大部分が「山地」ですが、この中にはいくつもユネスコ世界遺産が存在します。

日本人なら自家用車で行くか、交通機関利用でも予めバス路線と時刻を調べて行けばそれほど困難はありませんが、これが外国人さんとなるとなかなか難しい問題。日本語が困難な上に土地勘にも乏しい。バス停に来たところで夕方までバスが無い、学休日運休などは当たり前。結果的に時間とお金がある旅行者しか訪ね歩くのは難しい。

かと言って観光客がオールシーズン訪れるのかと言えばそうではなく、旅人が乗ることで支援というのもバス会社にとっては計算できない事案。ローカル交通全般に言えることですが、難しい問題です。

十津川村営バス時刻表

すっかりバス王国の十津川村。国道168号を幹線として、その路線上にある十津川村役場をターミナルとして数々の枝線が運行されています。

今は亡き熊野交通・瀞八丁(どろはっちょう)線の終点バス停

令和元年9月に路線が廃止されて熊野交通のバス停自体が存在しません。

この場所に交通機関で来ることができないのかと言えばそうではなく、ウォータージェット船が代替交通機関を担っています。幹線の「志古(しこ)」バス停で船に乗り換えて「田戸(たど)」で下船すれば、この場所に来ることができます。

在りし日に行先だった「神丸(かんまる)」は幹線のバス停。ここで枝線の小口(こぐち)線に乗り換えると清流・赤木川へ行くことができます。小口集落は熊野古道雲取越で本宮から来た場合の「小雲取越」の下山地点、那智大社へ向かう「大雲取越」への登山口でもあります。

 

かつての名物ホテルは今

三県境に立つ大きな木造建築

斜面に立ち増築されているので何階建てと言ったら良いでしょうか。この小さな集落に似つかわしくない巨大な建造物です。

瀞ホテル(どろほてる、奈良県十津川村)

あづまや(大正6年/1917)→招仙閣→瀞ホテル

始まりは上流で切り出した木で筏(いかだ)を組み、それを操縦しながら下流へ運び材木として出荷する「筏師(いかだし)」のための宿で、昭和初期に現名称となった。筏師たちの中継点であり、景勝地としても古くから知られる場所だったので、かつてこの場所には宿屋がたくさんあったようですが、今は一軒も残っていません。

佇まいは昔のまま残されている

瀞ホテルも宿屋として長い歴史を刻んだ後、平成15年(2003)に惜しまれながら閉店になりました。

瀞ホテルから眺める瀞峡

その10年後、瀞ホテルは復活。建物自体の老朽化や耐震強度等の問題があり、当面は食堂・喫茶として営業。こんなロケーションで食べるごはんは、何食べても美味しそう。

今は宿泊することは叶いませんが、こんな素晴らしい建物とロケーションで泊まることができたら、素敵な夢を見ることができそうです。

三國に またがる声や ほととぎす(読み人知らず)

瀞ホテルの前に誰が詠んだかわからない歌碑が立っています。

地理マニア的に細かい事を言うと、ここで見えている和歌山と三重は元々同じ紀伊國(きいのくに)なので、「國の分け目」と言うと大和・紀伊の二國になります。

北山川の水辺と瀞ホテル

川辺に下りて瀞ホテルを眺めてみました。上から眺めると清流と奇岩。下から眺めると新緑と建屋。どちらもとても美しい絵になります。

 

三県境と瀞ホテル


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