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2021-01-25

実は犬のおさんぽ向きな古道歩き<馬越峠/三重県尾鷲市・紀北町>


日本が誇るスピリチュアルゾーン紀伊半島には、歩く旅として有名な熊野古道があります。熊野古道とは各地から熊野本宮大社を目指した道の総称ですが、その中の一つ伊勢路の峠をドギーと歩きます。

古くは伊勢から熊野本宮を目指した巡礼者たちが歩いた古道の峠

 

馬越峠

馬越峠は「まごせとうげ」と読みます

三重県南部の紀北町(きほくちょう)と尾鷲市(おわせし)の間にある峠。

長島温泉、鈴鹿サーキット、伊勢神宮、伊賀忍者、松坂牛…
三重と聞いてパッと思いつくものを挙げてみましたが、海に山に名物や見所がたくさんあります。とは言えそれらはほぼ伊勢から北にあるもの。三重県南部は何があるのでしょうか。地図で海岸線を見るとギザギザ入り組んでいますが、これはリアス式海岸の特徴。三陸地方や愛媛県南部と同じ地形。陸地が山から海にストンと落ちているため、海岸近くでも水深ドン深。これは釣り人にとっては願ってもないロケーションです。イカ釣り行きたい!
他の利点としては、単調な砂浜海岸と違ってリアス式海岸は湾が陸地の奥深くまで入り込んでいるので、奥は深くて波が穏やか。これは養殖漁業にもってこいの環境です。真珠養殖発祥は三重県ですし、的矢牡蠣(まとやかき)など有名ブランドの海産物がこのエリアにはたくさんあります。

難点を挙げるとすれば、平地に乏しく隣町に行くために必ず山を越えなければいけない事。これは四国で言えば高知県須崎市や愛媛県宇和島市などが似ています。現代は鉄道や国道バイパス、高規格道路がトンネル等であっと言う間に抜けてしまうので苦労は殆どありません。

そこを敢えて山越えしよう!というのが古道歩き。楽チンなはずがありません。馬越峠がある伊勢路は、越えるのに半日かかるような大きな山越えは八鬼山越え(やきやまごえ)くらいで、登って下りて1時間くらいの峠が連続するのが特徴。今回は峠を越えて反対側へ下りるのではなく、馬越峠頂上付近から分岐して便石山(びんしやま)を目指す計画です。

 

熊野古道

旅の始まり。紀北町側から登山開始

後から気が付いたのですが、峠に行くだけであれば尾鷲市側からの方が近そうです。ただ、そちらが自家用車の駐車や、下山してから車を取りに戻るのに便利かどうかは分かりません。

杉木立に石畳は熊野古道の代表的な風景

石は濡れるととても滑るので歩行に注意が必要です。もっとも石畳自体が階段としての目的は副次的なもので、主目的は道路の流出保護。熊野古道がある紀伊半島は日本一の多雨地帯であり、その中でも尾鷲市は日本一雨が多い市町村。夏から秋にかけては台風が襲来することも考えると、多くの人々が利用する街道の保護は至上命題でした。

 

夜泣き地蔵尊

少し広くなっている場所の左側に石積みの祠がある

登り始めて20分くらい来たところで、少し休憩させてもらいます。

子どもの守り仏である地蔵菩薩

石積みの祠(ほこら)の中には地蔵菩薩が祀られていて、ここでは「子どもの夜泣き」にご利益ありとされているようです。
お地蔵様は我々にとって最も馴染みのある仏さまで、このような山中に限らず街中・寺院など様々な場所で目にすることができます。よく知られているご利益としては「子どもの守り仏」。子を想う親の祈願所として無くてはならない仏さまがお地蔵様でした。昔も今もご子息が成人できること事態が奇跡。昔は特に時代時代で再三流行した疫病や、そもそもの医学が未発達、栄養失調など。飢饉が続くと口減らしが行われた悲しい歴史もあります。そのようなことがなく、特に不自由なく暮らすことができていたであろう天皇家や徳川将軍家でさえ「授かった十数人の子女のうち生存できたのは1名、2名」という記述を見ることができます。
それだけに3歳・5歳・7歳という成長の節目は重要で、それを盛大に祝ったというのが七五三祝いです。

 

犬のおさんぽ向きの道

整備されていて歩き易い古道

登山だったら岩場や梯子があり、山へ来たものの殆どダッコ移動。なんてことがよくあります。その点この道は歩き易いです。

熊野古道の成り立ちを考えた時に、主には「①生活道②交易③参詣」の目的が考えられますが、

中辺路(なかへち、田辺-本宮)…①③②
小辺路(こへち、高野山-本宮)…②③① ※熊野と畿内を結ぶ最短ルート
伊勢路(いせじ、伊勢-本宮)…①③②
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち、本宮-吉野)…③
など

このような優先順位だったことが考えられます。基本的には①地元の方々が生活していくための道であり、次に國外・藩外から訪れる人々がどのような目的でその道を利用したのか、ということになります。駕籠屋(かごや)はもちろん、牛や馬に乗っての移動、もう少し時代が進めば荷車なども往来したはずなので、道幅や路面状態は登山道と比べると概ね高規格です。

伊勢路を歩く人々で最も多かったとされるのが、東国(江戸など)から伊勢を詣でた後、そこから笈摺(おいずる、白衣)に着替えて紀伊半島を南下。那智の滝を目指したというもの。その目的は「観音まいり」。今日の西國三十三観音です。那智にあるのが西國三十三所霊場・第1番青岸渡寺(せいがんとじ)。ここを皮切りに2番・3番…と回って、第33番の華厳寺(けごんじ、現・岐阜県揖斐川町)へ。そうすると帰り道は中山道経由が自然な成り行きになりますが、その道中で信濃國の善光寺に立ち寄り長旅の感謝をお参りをもって報告した。というわけです。
今日西國三十三所を回った後に善光寺へ行く方が多いのはその習わしによるものです。

 

峠の茶屋

登山開始から小一時間で馬越峠到着

古道沿いに小さな小屋や立札が並んでいる場所に到着です。

現在句碑が置かれている石積みの区画は茶屋跡

この場所が峠道の頂上「馬越峠/332m」です。

他古道の例に漏れず、峠には茶屋はつきもの

茶店・古道、いずれにしても絵図等で見るイメージから「古道=ちょんまげ頭の人が歩いていた=江戸時代の道」と思われがちですが、その限りではありません。新道ができなければ古道は存在しません。
特に険しいリアス式海岸が連続する三重県南部の道路は長らく旧来の道(=現在の熊野古道)しかなかったため、昭和になってもまだその道が使われていたということも珍しくありません。
茶店は水分・食糧、時には宿泊面でも街道歩きには欠かすことができなかった施設。特にこの場所から南を目指して進む場合、尾鷲の街から先にあるのは西國一の難所と恐れられた「八鬼山越え」。茶店や旅籠(はたご)の重要性は高かったはずです。

茶店前で給水休憩

古道歩きドギーの馬越峠越えはここまで。次は峠から分岐する便石山を目指します。その前にお茶休憩です。犬なので真水です。

結果的にここまで急な階段や梯子などはなく、犬連れ登山としては珍しくほぼ自分の足でここまで来れた印象。登山と考えるとなかなか珍しいケースでした。

 

便石山へ

馬越峠の頂上から熊野古道を外れて、便石山を目指します

ここまでは古道歩き、ここからは登山。

山の取り付きまで下りスタート

古道感がなくなり、整備された階段になります。が、これから登山なのにまずは下り道です。ちょっと損した気分になります。

 

尾鷲という街

湾に開けたわずかな平地に尾鷲の街が広がっている

木々の間から尾鷲の街が見えます。

時間を要した鉄道開通の話

中央にあるのがJR紀勢本線の尾鷲駅。昭和9年(1934)12月に開業時の駅名の読みは「をわし」駅が公式名称でした。

昭和9年(1934)12月…紀勢東線が尾鷲駅まで開通
昭和32年(1957)1月…九鬼駅まで延伸
昭和34年(1959)7月…紀勢本線全通、駅名の読みを「おわせ」に改称

紀勢本線は三重県北部の亀山駅から南下。紀伊半島をぐるっと回って和歌山市までの384.2km。全通したのは昭和30年代と「本線」を名乗る路線の中では新しい。険しい地形と長大路線のため工区を分けて建設され、亀山から延びて来た紀勢西線は戦前に尾鷲まで開通しましたが、そこから先の紀伊木本(現・熊野市)までの34.3kmが開通するまで長い時間を要しました。戦時中を含む約20年間尾鷲駅が終着駅だったわけです。この点では岩手県の三陸地方沿岸の鉄道と似た事情があります。

・中央(東京)から遠い
・リアス式海岸
・トンネル→街→トンネル→街…
・工区を分けて工事
・戦後の開通
ほか

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駅の右下、国道42号バイパス沿いにスーパーマーケットにイオンさんがありますが、こちらは三重県らしさだったりします。「イオン」の名称には馴染みが無いかもしれませんが「ジャスコ」と言えば三重県発祥の企業。そのお膝元としては県南部と言えど外せない存在です。

 

日本有数の清流

谷間を流れる銚子川と大台ケ原へ続く山なみ

北の方角には銚子川が見えています。計画では便石山からの下山時にそちら側に下りて川を渡る計画です。

銚子川はNHKのハイビジョン特集が組まれるような日本有数の清流。その後背にそびえる山なみが大台ケ原(おおだいがはら)へ続く山系。日本で一番雨が多い地点です。

NHK・見えないものが見える川 奇跡の清流 銚子川→https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20181111

 

便石山を目指して

見上げた先に便石山頂上

登山道を見上げると木々の隙間から便石山の頂上が見えました。高さ自体は知れているのですが、下ったり登ったり。階段が多かったり。所要時間こそ半日コースですが、その心構えで登ると結構大変な印象でした。

 

馬越峠

 

旅の期間

平成29年4月

 

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