我が国の近代化に寄与した人物・施設は世の中に数多く存在しますが、ここダム湖から顔を出す煉瓦建造物もその一つ。旅犬ドギーを連れてその歴史を紐解く旅にやって来ました。
金鉱山がある街
場所は鹿児島県北部の内陸に位置する「伊佐市(いさし)」
市域内には日本で産出される金の約9割を占める「菱刈鉱山(ひしかりこうざん)」があり、現在も採掘が行われています。それらの金鉱山の存在がこの地に早く近代化をもたらしたと言えます。
近代化遺構を見ることができるのは「鶴田ダム」のバックウォーター(湛水)部分。その上流には「東洋のナイアガラ」と称される「曽木の滝」があり、同市の観光資源になっています。
川の名前は「川内川(せんだいがわ)/137km」で九州では筑後川(143km)に次ぐ大河川。熊本県あさぎり町付近を源流として宮崎県えびの盆地→鹿児島県曽木の滝と流れ、薩摩川内市で東シナ海に流れ出ます。どちらの川も三県をまたいで流れる大河という点が同じです。
近代化遺産に認定されているものはかつて操業が行われていた発電所の遺構。下流にある鶴田ダムの完成によって操業が停止になり、施設の大部分がそのままダム湖に沈みました。自動車を停めて遊歩道を歩きながらその遺構を眺める事ができる展望所までドギーとおさんぽです。
「スロープ」
「階段」
と並んで書かれているとスロープの方が楽チンな感じがしますが、そちらを進むと遠回りなように感じました(通っていないので分かりません)。
「150m」と書かれている通りその場所へはすぐ。近付くと木々の間からダム湖とそこから僅かに顔を出している発電所の遺構が見えてきました。
ダム湖から顔を出す旧発電所の遺構
訪れたのは11月でダムの水量が多い時期。
ダムの水量が減少し始めるのが5月頃。来たる梅雨や台風で川の水位が上昇することを想定してダムの水位が下げられます。そうするとダム湖に沈んでいた旧発電所の遺構がその姿を現します。夏場はこの様子に準じた状態が続き秋が訪れると冬に備えて再びダムの貯水量が上がり始め旧発電所は再びダム湖に沈みます。この写真の状態を見ることができるのはまさに今、そしてこれからです。
電気化学工業の父と称される人物
曽木発電所の始まりは、当地で採掘が行われていた金鉱山へ送電を行う目的でシーメンス東京支社の元技師であった「野口遵(のぐちしたがう)」に発電所建設を依頼。発電所を建設したことに始まります。
シーメンス社はドイツ発祥の世界的電子機器メーカー。製品は曽木発電所で用いられた発電機はもちろん医療機器など多岐に渡ります。
同社は電車の部品も手掛けていて、京浜急行の列車の中には発車時に「♪ドレミファソラシド♪」と愉快な音を奏でる車両がありますが、これもシーメンス社が製造した部品です。
※ドレミファインバーターは交換時期が迫っており、あと少しで聞くことができなくなります
設立の目的は鉱山への送電ですが発電量に余裕があったためその余剰電力は近郊町村に供給。そのため大口村(おおくちむら、現伊佐市)は他地域と比べて早い時期から電気の恩恵を受けることができました。それでもなお電力に余裕があったため同氏は水俣村(みなまたむら、現熊本県水俣市)にカーバイト製造工場を設立。そちらの工場へ送電を開始します。
カーバイトは炭化石灰(CaC2)の事で水を加えると炭素と水素の混合ガス(C2H2)が発生するので、ランプの燃料などに用いられる他、残留物として発生する消石灰は運動場に引かれる白線やチョーク、畑においては酸性を中和するための地盤改良材に用いられました。いずれも日本の近代化に欠かせなかったものです。
身近に有るあれもこれも
野口遵はこれらの事業に手応えを得たのか明治41年(1908)曽木電力と日本カーバイト商会が合併して「日本窒素肥料株式会社」を設立。当時引く手あまただった肥料製造を立ち上げ、その後総合化学メーカーとなります。
鉱山と肥料製造を行っていた場所を訪れた時の記事はこちらです。
その手腕を買われ広島へ移り広島電灯(現中国電力)の取締役に就任。地場産業である東洋コルク工業(現マツダ)や福屋デパート(現福屋)の立ち上げにも参画した。事業所は全国そして当時日本領の一部だった朝鮮半島に拡大。
信越窒素肥料→現信越化学工業。雨樋(あまどい)などに用いられる塩化ビニル樹脂(塩ビ管の原料)製造で世界シェア一位
旭絹織(あさひけんしょく)→現旭化成。ナイロンやレーヨン等の合成繊維、サランラップ、ジップロックなど
朝鮮半島においても電源開発から化学メーカー(朝鮮窒素肥料)設立。その中で最大の事業となったのが朝鮮半島北部に建設された「水豊ダム(すぷんだむ)」
竣工当時「東洋一のダム」と謳われれた湛水量は琵琶湖の半分。工費5億円。この金額は当時の国家プロジェクト「東京下関間弾丸列車(→新幹線の前身、未開通)」の予算に近い金額でしたが、それを野口遵率いる日窒コンツェルンが一社で請け負い8年がかりで完成させました。同ダムは終戦間際にソ連軍の侵攻により発電機の略奪や、朝鮮戦争時に米軍機によって爆撃を受けるなど厳しい時期を乗り越えて、現在も北朝鮮における貴重なエネルギー源。国章に描かれるほど重要な存在であり続けています。朝鮮窒素肥料は京城(けいじょう、現ソウル)に挑戦半島初の洋式ホテル「半島ホテル(現在のロッテホテルソウルの前身)」も立ち上げています。
また、戦後の財閥解体の過程で誕生した会社の中にも、
積水化学工業→ポリバケツ、セロハンテープなど
積水ハウス→プレハブ住宅
現在に至るまで我々の生活に馴染んでいる製品を挙げると枚挙にいとまがないほど。しかしながら繁栄の陰で深刻な公害病「水俣病」を引き起こしたことも忘れてはいけません。
化学の恩恵は犬にも無関係ではないはず
金鉱山操業のための発電所建設は大きく発展して我々の生活に欠かせない化学製品を生むことになりました。その恩恵は人間だけでは無く犬も享受しているはず。ここは初夏に訪れて是非とも発電所の全貌を眺めてみたいです。イヒ。