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2020-05-04

プラットホーム上に県境線がある駅<宝珠山駅/福岡県東峰村・大分県日田市>


鉄道に乗車していると県を越えることがありますが、乗車する駅自体に県境線が存在している場所が世の中にはあります。県カウントとしては一石二鳥のその場所へドギーと訪ねました。

プラットホーム上に県境線が走る駅


日田彦山線と宝珠山駅

宝珠山駅(ほうしゅやまえき/福岡県東峰村)

福岡県北九州市の小倉(こくら)から大分県日田市を南北に結ぶ「日田彦山線(ひたひこさんせん)」
両端の始発列車はそれぞれ「小倉」「日田」に乗り入れていますが、それらは他路線に所属する駅であり「城野(じょうの)-夜明(よあけ)」の68.7kmが純粋な路線長。沿線に炭鉱が点在する地域で、そこから産出される石炭輸送で栄えました。それゆえ炭鉱の多くが閉山した今、人口減少など過疎化問題を抱えています。

路線南端に位置する宝珠山駅

駅がある位置は日田彦山線の南端。あと数駅で路線の終点「夜明」駅。列車はそこから久大本線に乗り入れて、日田駅まで運転されます。
北側は「筑前岩屋」駅の先で釈迦岳トンネル(4,378m)を通過して、戦後間もない頃に火薬爆発事故が発生した「爆発踏切」を経て「彦山(ひこさん)」駅へ繋がっています。

【関連記事】
日田彦山線…山が一つ吹き飛んだ!火薬爆発事故現場へ行く<爆発踏切/福岡県添田町>
久大本線…かつての扇形機関庫に残された機銃掃射痕<旧豊後森機関庫/大分県玖珠町>

駅名標とドギー(災害により運休中)

宝珠山駅最大の特徴が「プラットホーム上に伸びている県境線」
駅の入口は福岡県ですが、プラットホーム端に福岡/大分県境線が走っていて、両県を跨ぐことができる県境スポットになっています。

 

プラットホーム上の県境線

県境線があるのはプラットホームの端

その地点へはプラットホーム上を歩いて南の方向(=大分県)に進みます。

現在は使用されていない低床ホーム部分

コンクリートで嵩上げされている部分が途切れて、低いプラットホームに変わるあたり。県境線があります。

県境線に立つドギー

通常、公私共に建物が県境に跨って建てられるのは珍しい。県を跨いでいると建築確認申請や固定資産税の配分等、単純に手間が二倍になるためです。両方の所轄省庁へ行く必要が発生します。

「つえたて温泉ひぜんや…大分県日田市/熊本県小国町」
「イオンモール高の原…京都府木津川市/奈良県奈良市」
などが県境上に位置するお店。
後者の専門店の場合、店舗が完全にどちらかの府県内に収まっていれば申請等は一府県で済みますが、県境線上に位置している店舗は二府県分書類が必要だそうです。

また鉄道駅では、
「山崎駅…京都府大山崎町/大阪府島本町」
など。公共交通機関では伊丹空港もそうですし、意外と多く存在するのかもしれません。

 

右足は福岡県、左足は大分県

全県制覇を目論む旅犬ドギーにとって、県境たずねは一度に二県訪れることができる一石二鳥スポットです。

 

豪雨災害により運休している日田彦山線

代行バス時刻表

日田彦山線沿線は、平成29年(2017)7月に発生した九州北部豪雨で被災。「添田(そえだ)-夜明」間で大きな被害を被りました。現在も復旧作業が行われず、地域の輸送は代行バスによって行われています。

彦山・小倉方面

被害の大きさは甚大で集落の復旧作業を優先するためか、こちらのように線路が仮道路で覆われている場所さえある状態。

「城野(小倉)-田川後藤寺(たがわごとうじ)-夜明(日田)」の乗客数を見た場合、県境越え区間を含む田川後藤寺から夜明間の乗客が少ない。赤字が分かり切っているところに多額の費用と時間を投じて復旧させてしまうと、沿線の過疎化もあってより赤字が嵩んでしまう。というのがJR九州の見解。

線路や駅は沿線自治体、鉄道の運行はJR九州。いわゆる上下分離方式の提案があったようですが、沿線の主要自治体である東峰村にとって鉄道運営に関わる多額の費用負担を受け入れる財政力は無く、着地点が見いだせない状態が続いています。

三陸鉄道がそうであったように、鉄道の復旧は「復興の象徴」と成り得る被災地にとって明るいニュース。一鉄道ファンとして、この場所に再び鉄道が走る姿を見たい気持ちがあります。
けれど自分らが再び訪れて、支援を込めて列車に乗ることができるかと言えば、それは一年一度出来るかどうか。それよりも地域の方々が普段から利用されていることによって、維持されています。

昨今、災害の規模が大きくなり、過疎化や鉄道事業者の疲弊も伴って鉄道が復旧されないケースが増えてきました。公共交通機関は当たり前に存在しているわけではない。改めてそのように感じます。

 

国境石

復旧工事が行われている、駅前を流れる大肥川(おおひがわ)

駅前を流れる大肥川を渡って、道路の県境がある地点へ行ってみます。地図と照らし合わせて見ると、ガードレールが見えている辺りが県境と思われます。

川の中に重機が入っていますが、大雨災害が発生した際はこちらの川が氾濫して、家屋を始め道路・鉄道など、多くのものが流されました。その復旧工事が行われています。

大肥川は下流の夜明駅がある地点で筑後川(ちくごがわ)に合流。有明海に注ぎます。関東の「坂東太郎(ばんどうたろう、利根川)」、「四国三郎(しこくさぶろう)、吉野川」と並んで「筑紫次郎(ちくしじろう)」と称される筑後川。その呼び名は古くから知られる地域を代表する大河川であることと、「日本三大暴れ川」であることを示しています。
この地域にとって治水事業は常に隣り合わせなのだと感じます。

道路脇に立つ国境石

先ほどのブルーシートが掛かっていた地点。左側(東)の斜面を切り取って国道211号とした様子。その県境地点に國が変わることを表す国境石が残されています。

三國境界の村

<正面>従是北筑前國

記載されている内容から「誰がどのような目的で建てたものか」を考えてみますが、こちらを建てたのは「筑前」の人物と考えることができそうです。

東峰村は「豊前(ぶぜん)」「豊後(ぶんご)」「筑前(ちくぜん)」と接する地にあり、「筑後(ちくご)」も近い。それゆえ大小国境争いがあったことは想像に易いところですが、ここで記されているのは「筑前」。平地で國境が接する豊後(現大分県)方面に、ここからうちの国だからね。とアピールしたように見えます。
地面がコンクリートで固められているので、元々は別の場所にあったかもしれませんし、向きも異なっていたかもしれません。そうなると意味合いが少し変わってきますが、今立っている場所と向きではそのように考えることができます。

東峰村は旧豊前國とも東・北で接していますがそれらとは山で分けられているので、南側ほど頻繁に侵入される恐れはなかったように思います。

 

石が建てられた期間は、大飢饉真っ只中

<左面>上座郡福井村抱
<裏面>天保五年甲午

上座郡福井村(じょうざぐんふくいむら)→現福岡県朝倉郡東峰村
上座郡福井村(-1889)→宝珠山村(1889-1896)→朝倉郡宝珠山村(1896-2005)→朝倉郡東峰村(2005-)
「抱」の意味は分かりません。

天保5年は西暦1834年。前年に始まった「天保の飢饉」真っ只中。東北地方から山陰にかけての日本海側の広い地域で多数の餓死者が出たことが記録されています。大山寺参道の供養地蔵に見られるような「申年がしん」は、この時のものです。

【関連記事】中国地方最高峰大山へ・後編<大山/鳥取県大山町ほか>

甲午→きのえうま、こうご
十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を合わせたものが「干支(えと)」ですが、60年周期で同じ干支がやってきます。
日清戦争の引き金となった「甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)」が起きたのが、干支が一回りした1894年(明治27年)の出来事です。

国境紛争を予防するために石が建てられた可能性がある

「國境の村」という性質上、国境石はこの場所を含め19基置かれていたようです。

 

宝珠山駅

 

旅の期間

平成28年11月ほか


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