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2019-08-24

雪に埋もれる未完に終わった終着駅<北濃駅/岐阜県郡上市>


雪深い奥美濃・北濃駅

ドギーとの全県制覇の旅で鉄道の駅を訪ねることは、目的の一つ。彼自身が現役でそらうみ駅駅長を務めているので、研修を兼ねて訪問するようにしています。

雪に埋もれる終着駅

北濃駅(ほくのうえき/岐阜県郡上市)

平屋の駅舎は、飲食店(おそばやさん?)同居。
終着駅は現代においてはその性質上、無人化され駅舎自体が簡素な造りであることが多い。その点においては、北濃駅は立派な駅舎を備えていると言えます。

 

未開通に終わったことで生まれた終着駅

長良川鉄道の終着駅

高山本線・美濃太田駅(みのおおたえき)から分岐する長良川鉄道。「郡上おどり」で有名な郡上八幡(ぐじょうはちまん)は同線の沿線都市。沿線の大部分で清流・長良川を横目に見ながら、終点の北濃駅を目指して走る、第三セクターの地方鉄道。

元々は国鉄越美線(えつみせん)として計画された路線で、

前國…福井
濃國…岐阜
両國の頭文字から一文字ずつ取って命名。
路線名の通り岐阜と福井、広義的には東海(名古屋エリア)と北陸を直接結ぶ路線として、岐阜・福井両県から鉄道敷設工事が進められましたが、両県境付近に達したところで工事は凍結。全通を果たすことなく、越美線の岐阜県部分で開通していた越美南線(えつみなんせん)は、国鉄から第三セクターに転換されました。
福井県のJR路線「越美北線(えつみほくせん)」は、越美線の福井県部分として、その名が残されています。

多くの列車が始点の美濃太田行き

列車の多くが美濃太田行き。つまり、北濃駅を発車する殆どの列車は、長良川鉄道線を全走することになります。

美濃太田駅は美濃加茂市の中心駅ですが、同時に

高山本線… 岐阜・高山方面
太多線(たいたせん)… 多治見方面
長良川鉄道… 郡上八幡方面
の各列車が乗り入れる、岐阜県における鉄道の要衝でもあります。

 

レトロな観光案内図

周辺はスキー場だらけ

駅舎内に掲げられている手作りエリアマップを見ると、周辺はスキー場天国であることがわかります。昔はスキーは鉄道で行くもの。この場所に限らず、都会からスキー場へ向かうシュプール号など、冬場にはスキー場最寄り駅へ向かう夜行列車が数多く設定されていました。

それもですが、この絵のレトロ感がたまりません。色褪せ具合、フォント…
今はあらゆるもので統一された書式・規格が用いられますが、昔はそれぞれがオリジナル。情報が変わっても末永く存続して欲しいマップです。

 

雪に埋もれたプラットホーム

雪深いホームが見えます

無人駅なので、検札はありません。雪に埋もれたプラットホームへ、ドギーと繰り出します。

哀愁のある案内文章

雪に埋もれたプラットホームと、そこで発車を待つ長良川鉄道の列車。駅舎上の電光掲示板「さようなら又どうぞ」の文字が、とても哀愁を誘います。

個人的な感覚かもしれませんが、駅や港は「別れの場所」というイメージ。空港は「旅立ちの場所」。どちらも旅立ちには違わないのですが、この感覚はどうしてでしょうね。昔からあるものと、比較的歴史が浅いものということでしょうか。

すごい雪

プラットホームはシンプルな一面二線構造(実際に列車が発着するのは一線のみ)。
ほぼほぼ積もる雪任せですが、駅舎からプラットホームへ一筋だけ雪を除けた道が作られています。

発車を待つナガラ300形

長良川鉄道が現三世代・11両保有する車両のうち、二世代目にあたる300形列車。大きな特徴としては最下部に備えられたラッセル機。これがあるかないかで車体重量が大きく違ってきますが、豪雪地帯を走るがゆえの必要装備です。

 

国内で二番目に古い転車台

転車台を眺めるドギー

雪に埋もれたプラットホームのおさんぽ中。ドギーが眺める先にある広い円形の区画。

雪に埋もれた転車台

かつてSLの運行には必要不可欠だった「転車台」が残されています。
北濃駅の転車台は元々岐阜駅にあったもので、越美南線の延伸に伴って当地に移設されました。明治35年(1902)の製造。国内に残る転車台としては明治30年(1897)製造の大井川鉄道のものに次いで二番目に古い。

現代の電車・気動車・機関車の殆どは両側に運転台があって、列車が終点の駅に到着すると運転士さんが反対側の運転台へ移動することで、すぐに再発車が可能。
しかしながら運転台が片側にしか存在しない蒸気機関車はそうはいきません。終着駅に到着したSLは客車を切り離して転車台で方向転換。それからプラットホームに再進入して客車と再連結するのですが、この間にSLの燃料である石炭と水を充填しなければなりません。SL一つを動かすためには、多くの人員と時間を要する大変な作業がありました。

 

今と昔の終着駅の違い

SLの運行に必要な給水塔があったことがわかります

駅舎内に往時の北濃駅の写真が掲げられています。現役運行されているSLと、今は亡き給水塔。国鉄型気動車の姿が見えます。

起点駅で乗客を集め発車した列車は、途中駅で一人、また一人と乗客が下車しながら終点へ向かう。減る一方では無く途中駅での乗車もありますが、それでも下りる乗客の方が多いので、終点に来る頃には乗客は少なくなっています。現代は方向転換に人員を要すことはないので、乗客規模を考えてもローカル線の終着駅が立派である必要はありません。

が、SL時代はその逆。
駅周辺の集落規模がどうであろうと、終着駅では列車の方向転換を行わなければならず、多くの人員を要します。かつて全国に「鉄道の街」が点在していたのはそのため。鉄道の機関区は郊外に設けられたことが多かったことがあり、住民の殆どが国鉄職員とその家族、なんてこともありました。

人が大勢暮らすとなると商店等が必要になり、街が発展します。
列車の発車(折り返し)に時間を要するとなると、その時間内で弁当が売れます。
また例えば10人でやっていた仕事が1人でできるようになると、9人は失業することになります。

利便性が向上して時短になった反面、商売や雇用の機会が激減したと言えます。

 

雪もぐれドギーと、未完に終わった越美線

雪もぐれくん

暑さには弱いドギーですが、寒さは平気。特に雪は大好きで、雪もぐれになって遊びます。
訪れた時が豪雪であったこともあり、非常に印象深い訪問になりました。

建設されることが無かった越美線

この駅名看板の後ろに目をやると、ここから先も線路が続いていたような、続いていくような空間があります。これは建設されることがなかった越美線の名残。

 

越美線が全通することができなかった理由は、

■ 建設中にマイカー時代が到来、収益が見込めなかった
■ 県境の油坂峠の高低差を考えると、建設と設備に多額の費用を要した
■ 岐阜県側はそこそこ集落があるが、福井県側は山深く住民があまり住んでいなかったため、建設に消極的だった



特に三つ目の理由。
経由地とされていた「石徹白村(いとしろむら/現岐阜県郡上市)」は元々福井県大野郡に属する自治体であったが、昭和33年(1958)に岐阜県白鳥町に越県合併している。
これは冬場は福井方面への交通が雪で遮断され、街へ出るのはもっぱら岐阜方面だった。人口希薄地帯であり、福井県の組む予算は小さいため、住民感情の中には不公平感が潜んでいた。

これらの事情は福井県側の越美北線の建設にも表れていて、越前花堂(えちぜんはなんどう)~勝原の越美北線初代開通区間・43.1kmが開通したのが昭和35年(1960)。岐阜県側の越美南線が昭和9年(1934)に現在の北濃駅まで開通していることを考えると、非常に遅い。

県都から離れた特殊なエリアという事情はありますが、福井県側の消極さが石徹白村の岐阜県への越県合併と、越美線の未開通を招いた理由の一つと言えそうです。

 

北濃駅


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