同じ漢字と音が二度反復される珍しい駅名「吉里吉里」。駅は東北岩手の三陸海岸沿いにあり震災時はこの場所にも大津波が押し寄せました。
高台に位置する吉里吉里駅
吉里吉里駅のプラットホームは階段を上がったところにあります。吉里吉里の街は三陸地方特有のリアス式海岸沿いに広がっているので、平成23年(2011)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって発生した津波はこの場所にも到達したことと思います。「google earth」で駅周辺を眺めていると駅のすぐ下に新しい家が建っていたりまだ更地のままであったり。インターネット上の地図からはほんの僅かな差が生死を分けたように感じられます。
駅や線路は山側の盛土の上。あの日この階段を駆け上がって避難した…なんて方々もいらっしゃったのではないでしょうか。
吉里吉里駅
同じ文字を繰り返すことを「畳語(じょうご)」と言います。
*「行きたいのはやまやまですが…」
のような使い方。
ただしこの「やまやま」の品詞は名詞で物事を強調するために用いられているもの。「吉里吉里」は固有名詞なのでおそらく畳語として使われているものではありません。地名の由来が気になります。駅を訪れてみたくなった動機はもちろんこの音感からです。
吉里吉里駅の前後風景
見えている山を越えると大槌(おおつち)の街が広がっています。三陸地方独特の地形で隣町へ行くには必ず山を越えなければいけません。現在は鉄道も道路もトンネル等によって隣町へ容易に行くことができます。
大地震によって発生した津波は例外なく吉里吉里駅を含む大槌町にも到達。大勢の方々が亡くなられました。その中には大槌町長や町議員ら町の幹部らが含まれていたため一時的に町の指揮系統がストップするなど、大槌町の被害全容把握や復旧に支障が出たことは記憶に新しいところです。
この先、陸中山田を経て宮古へ。宮古駅からは路線が分岐していてそのまま三陸海岸沿いを北上する三陸鉄道と県都・盛岡へ向かう路線に分かれます。
駅舎に「JR東日本」と書かれていますが、震災当時この路線はJRの山田線(やまだせん/盛岡-釜石)。震災後に山田線のうち「宮古-釜石/55.4km」が三陸鉄道に移管されて「三陸鉄道リアス線(盛-久慈/163.0km)」として復旧を果たしました。訪問当時は復旧工事が行われている時期。駅ではまだJRの名残を見ることができました。
久慈
↓ 北リアス線…リアス線
盛岡→山田線→宮古
↓ 山田線…リアス線
花巻→釜石線→釜石
↓ 南リアス線…リアス線
盛(さかり)
震災以前の三陸沿岸の鉄道は場所によってJRと三陸鉄道が混在していた状況。震災後に中間の山田線が三陸鉄道に移管され平成31年(2019)3月に従来の北リアス線・南リアス線と合わせて「リアス線」として復旧を果たしました。東日本大震災から8年の時を経て再び列車が走り出したことが復旧の象徴にもなりましたが、その運営は厳しく赤字経営が続いています。人口が増える要素も多いわけではありませんし復旧した年の10月には東日本台風が襲来。翌年3月まで再び運休を余儀なくされました。三陸鉄道の正念場は続いています。
しかしながら盛駅以南は鉄道復旧が断念されたことを考えると三陸鉄道の全線復旧はいち鉄道ファンとしてとても嬉しい出来事です。
吉里吉里駅訪ね
三陸鉄道に乗車しながら三陸の美しい海を眺め復旧しつつある被災地を感じる旅をドギーとしたいです。