華のある観光地・沖縄にあって、どちらかと言えば地味な部分。沖縄本島の最奥部に「奥」という集落があります。その名が示す通りの場所で、下手な離島よりも行きにくい。その秘境集落の特徴を探検してみます。
海上国道58号
沖縄本島を北から南へ縦断する「国道58号」
鹿児島市中央公民館前(西郷隆盛銅像付近)を起点として、まずはドルフィンポート付近まで(朝日通り)。そこから国道はカーフェリーが「海上国道」として担うことになり、種子島、奄美大島を経由して、奥から那覇・明治橋まで沖縄本島を縦断します。
総延長884.4km(陸上区間274.9km)は、国道の距離としては日本一の長さ。
鹿児島市の起点から忠実に国道58号を辿ろうとすると、鹿児島市内の奄美・沖縄方面のカーフェリーの発着場所の変更により、現港へはドルフィンポート(鹿児島市内の国道58号終点)から県道を経由しなければ船に乗ることができません。また、種子島から奄美・沖縄方面行きのフェリーは運航されていないので、そこから南進しようとすると一度鹿児島に戻らないといけない。という制約があります。そこまで拘る方はいませんね。
沖縄県内及び本島の58号区間は、国頭村字奥(くにがみそんあざおく)の「奥橋(おくはし)」が起点。
那覇近郊区間では4車線にも5車線にもなる「ゴーハチ」は、こちらの静かな場所から始まります。
九州・沖縄を合わせて最も交通量が多い道路が国道58号。その殆どを沖縄本島中・南部でカウントしていると考えると、沖縄がいかに車社会であるかがわかります。
旅犬ドギーも奥へやってきました。天気が雨であまりおさんぽができず少々不機嫌。橋の欄干の上がツルツルなので、介添人をつけての記念撮影です。
奥簡易郵便局
建物の規格は通常の郵便局ですが、サービス面では簡易局に換装されています。市街地から遠く離れたこの場所で、郵政サービスを受けることができる貴重な存在。
奥共同店
「奥」と言って旅人の間で必ず名前が挙がるのが「奥共同店」
「共同店」って?
個人が食糧・雑貨等を仕入れて客に販売する対価として現金を得るのが個人店。共同店は市町村よりも小さい単位である「集落」「ムラ」の住民らが、地域の生活安定を主目的として運営するお店。生協などが近い業態です。
かつては全国で見ることができた共同店ですが、現在は沖縄県と奄美大島で50軒ほど見ることができる程度。スーパーマーケットの発達や、近年では移動スーパーやインターネット通販等の影響が大きいのではないかと察します。
奥共同店は全国の共同店第一号。開設は明治39年(1906)と、100年を超える歴史を持っています。
営業時間は随時変更があるのでしょうが、整理すると
1~3月…7:00~18:30
4月…7:00~19:00
5~9月…7:00~19:30
10月…7:00~19:00
11~12月…7:00~18:30
開店7時は通年同じ、定休日は不明。
共同店で取り扱っている商品は、地域の産業が強く反映されます。奥では食糧や日用品は基本として、釣具やガソリンと言った漁業に必要な物品の販売があります。
奥の特産品販売
奥共同店で販売されている商品の特徴に、お茶の販売があります。
お茶の産地でもある奥集落の特産品「奥みどり」
茶葉の販売はもちろん、
店内で試飲することが可能。他には奥共同店オリジナルTシャツの販売もありました。
何かを購入することが共同店存続の力になりますが、かと言って必要以上の商品の購入は慎まないといけません。来店した際には店員さんや居合わせた集落の方々との挨拶も、共同店を利用する上で大切なマナーであるように感じます。
奥共同店の歴史
奥共同店の始まりが記された銘板がありました。元々は売上好調の個人商店だったものが、奥集落の発展を願って共同店に移管されたようです。
明治39年(1906)春は、同年3月26日に会社合併により大日本麦酒(だいにっぽんびーる)が誕生。戦後に会社分割が行われ現存しませんが、それによって誕生したのが現アサヒビール・現サッポロビールです。
沖縄県内で創業100年を超える事業所の一覧記事が、店内に掲げられていました。見たところ酒造所が数多くランクイン。沖縄戦まではこれよりも古い事業所が大小数多く存在していたことでしょう。
奥共同店は今年2019年で創業113年。共同店第一号として老舗記録を刻み続けています。