在りし日のローカル線を感じることができる列車宿<ひのかげTR列車の宿/宮崎県日之影町>
日本一周犬ドギー。全都道府県には踏み入れてはいるけれど、列車や自動車で通り過ぎただけの県がいくつかあります。かつて高千穂鉄道が運行されていた宮崎県もその一つ。通り過ぎただけであった土地を改めて訪ねました。

宿に姿を変えて静態保存されている列車
高千穂鉄道

高千穂鉄道で運行されていた車両
かつてこの地には列車が運行されていました。その鉄道の名前は、
高千穂鉄道(たかちほてつどう)
国鉄
↓
JR九州
↓
高千穂鉄道となったのが平成元年(1989)。
運行当時日本一の高さを誇った高千穂橋梁など、行き止まりのローカル線ながら個性を持った鉄道でしたが、平成17年(2005)9月の台風14号で被災。近くを流れる五ヶ瀬川(ごかせがわ)の増水などにより、いくつかの鉄橋が流されるなど甚大な被害を受け運休。その後復旧が断念されたことにより廃線という、壮絶な最期を遂げました。
現在は一部有志によって「高千穂あまてらす鉄道」を設立。将来的な鉄道復旧を目的としつつ、先述の鉄橋をトロッコで往復する等、保存鉄道の運行という形で運営されています。
TR列車の宿

かつて運行されていたディーゼルカーを用いた宿
高千穂町と同じく高千穂鉄道沿線だったお隣の日之影町(ひのかげちょう)では、かつて運行されていた列車の払い下げを受けて、内部を改装した上で列車ホテルとして運営されています。
TR列車の宿→http://www.town.hinokage.lg.jp/docs/2016022300149/
TR=Takachiho Railway
日本各地にはブルートレインたらぎ等、かつての寝台客車を用いた列車ホテルはいくつかありますが、列車内で寝ることが想定されていない一般的な旅客列車が、列車ホテルとして活用されているのは珍しい事例です。
ブルートレインたらぎ→https://www.bluetrain-taragi.com/

高千穂鉄道と掲げられたまま
車両周りを眺めてみると車両標が残されていました。高千穂鉄道転換時にローカル線向けに新造された、本当にただのディーゼル旅客列車です。
豪華旅を求める人には不向きですが、変わり種宿に泊まってみたい旅人さんや、鉄道好きには唯一無二のお宿です。
列車宿の内部

宿の入口は列車時代と同じ
受付(奥に見えている薄緑の屋根の建物)を済ませて、お宿へ入ります。列車ホテル化後に備え付けられた階段を上がって、鉄道時代と同じ乗降口から出入りします。扉は手動です。
マイルールとして、旅先でテーマ性のあるお宿に宿泊する場合、明るい時間に到着して周辺がどんな場所か知りたい。というのがあります。この時は17時前に到着しました。
TR列車の宿さんは、運営の都合で17時半までにチェックインを済ませて下さい、との事でした。

かつての駅名が付けられている各部屋
四室ある部屋の名前は、かつての高千穂鉄道の駅名に因むもの。
今回は「槇峰(まきみね)」に宿泊。

4名1室のお部屋内部
列車内部はこんな感じ。座席が取り払われて二段ベッドが二脚とリビングチェア、テーブル。
4名1室×二部屋
2名1室×二部屋
1名1室×二部屋
定員・部屋タイプが異なる客室が各二部屋ずつ。旅人にとっては一人部屋の設定があることが嬉しいです。

テレビ・冷蔵庫あり
冷蔵庫があり、買ってきたビールを冷やすこともできます。食事は持ち込んでも良いし、隣接の日帰り入浴施設内にある食堂で食べることも可能。客室内に電子レンジはなかったように思います。
自分は普段はテレビをあまり見ないので必要なものではないのですが、この場所においては有れば嬉しく感じました。
交流型の宿ではないので、チェックイン後に誰かとだんらんするとかではなく、自然の音と言っても絶えず聞こえるのが五ヶ瀬川の流れ。中流域なので「せせらぎ」とは少し違います。他の聞こえてくるのは、時々通る自動車・バスの音くらい。環境としては寂しいところです。

現在風が出るのは背後のエアコンから
列車時代の荷物棚、エアコンのダクト、送風口はそのまま。けれど風はそこからは出ません。奥に見えるエアコンを利用します。
訪れたのが冬期で冷え込みの強い日だったのですが、強力なエアコンのおかげで室内はぬくぬくでした。

ぬくぬくのお手伝い、ふかふかの毛布
ベッドのシーツはセッティングしてあって、好みに応じて布団・毛布を使用。かつての二段式B寝台のような気分を味わうことができます。
水回りは旧運転台近くに集中

運転台の横が改造されて洗面台に
順番が後先ですが、出入口を入ってすぐのこの場所。
運転台横がリフォームされて、洗面台になっています。他には電気ポットや簡単なお茶セット等。
洗顔用の鏡が、運転士さんが車内後方を確認する際のミラーが転用されていることに感激。

運転席はそのまま
この場所は殆ど手つかずじゃないでしょうか。覗いて見ると、運行に関わる計器・スイッチがこれほどあるのかと感心させられます。

トイレは列車時代の場所と同じ。内部はリフォーム済み
運転台の後ろにあるのがお手洗い。区画自体は運行当時と同じで、中はリフォームされていました。
スリッパが設置されているように、館内は上履き使用です。
列車宿外回りの散策

車両を改造して延長した部分にある
宿泊室内から出て、列車周辺を探検します。
二両ある列車ホテルのうち、延岡寄りの105号は中間で切断されていて二基のシャワーユニットが設置されています。
が、隣接する旧日之影温泉駅2Fに日帰り入浴施設があり、そこの割引券をチェックイン時に申告すれば購入できるので、お勧めは温泉入浴です。

在りし日の駅名標
駅名標は高千穂鉄道規格のものでしょうか。イラスト入りなのが旅を盛り上げます。
二両ある列車ホテルのうち高千穂寄りの104号も中間で切断されていて、こちらはシャワーではなく各部屋を延長するために改造されています。
全体の部屋数が一名一室×2・二名一室×2となっていたので、どうやって部屋の広さを確保しているのかなあと思いましたが、こういうことでした。

駅周辺の名所案内は列車運行当時のまま
これはもしかしたら国鉄時代からの物かもしれません。
一番上で紹介されている青雲橋(せいうんばし)は、昭和59年(1984)11月の完成当時「東洋一」と謳われた国内有数規模の道路橋。
橋のたもとには「道の駅青雲橋」があり、水面からの高さ137mから眺める高千穂の山並みは、当地の観光資源の一つになっています。
現在はこの場所へ来るには主に自動車なので良いですが、この駅で列車を下りて徒歩…は、坂を上がらなければならず、ちょっと無理があります。

104号の列車愛称「せいうん」
青雲橋は104号の列車の愛称にもなっています。

105号の列車愛称「かりぼし」
五ヶ瀬川が形成した河岸段丘(かがんだんきゅう)に棚田が広がる高千穂エリア。刈り取った稲穂を干す作業が「刈り干し」であり、ヘッドマークに描かれている干し方は高千穂地方独自のもの。
宮崎県に伝わる「刈干切唄(かりぼしきりうた)」という歌がありますが、これは秋に行われる稲の収穫風景を唄った高千穂が発祥の民謡です。
四国へ渡った高千穂鉄道の車両

高千穂鉄道時代の愛称は「かぐら」
いくつか保有していた列車の運命は、解体されたものがあれば静態保存、動態保存、他社に無償譲渡、JR九州に売却されたものと様々。
その中でTR200形気動車201号は、四国の徳島・高知の阿佐海岸鉄道(あさかいがんてつどう)へ無償譲渡され、ASA300形気動車となりました。高千穂の山奥で走っていた列車は、現在四国南東部で潮風を浴びながら元気に走っています。
私が記事を書かせてもらっている四国遍路情報サイト「四国遍路」に、阿佐海岸鉄道の記事があります。
四国最小の鉄道事業者に間もなく登場する世界初の乗物【阿佐海岸鉄道「DMV(Dual Mode Vehicle)」】→https://pilgrim-shikoku.net/asatetsu-dmv
晩ごはんと温泉

かつての駅舎、現在は日帰り温泉
二両の列車の後ろ(高千穂寄り)にある、旧日之影温泉駅。
現在は1Fが物産館と食堂、2Fが日帰り温泉。
TR列車の宿さんは素泊まり宿なので「ごはんはどうするのだろう」と疑問に思うところですが、こちらで頂くことができます。ご当地グルメということで「チキン南蛮定食」をオーダーしましたが、量が多過ぎて食べるのに苦労しました。大食いの方にはコスパ抜群。
2Fは日帰り温泉と休憩処。小さな飲食提供所が併設されていて、オーダーすると1Fの食堂から配達されて、軽食を取ることができる様子。
温泉はテラス部分が露天風呂になっていて、外の空気に触れながらお湯に浸かることができます。
お湯に浸かりながら列車が走る音を耳にして…
鉄道在りし日の風情を思い浮かべると、災害で失われたことが残念でなりません。
夜行列車の旅を思い浮かべながら

宿ノートの素敵なメッセージ
ボリュームたっぷりの晩ごはんを食べて、時間を気にせず温泉に浸かって、風呂上りに生ビールを飲んで、列車(宿舎)に戻ってきました。
温泉が閉館になる頃には出入りする自家用車もまばら。自動車の出入りが無ければ、聞こえてくる音は五ヶ瀬川の流れだけです。
テレビを見るわけでもなくつけて、買って置いた宮崎の焼酎をお湯割りで飲みながら、夜は更けて行きます。
本当にただの元旅客列車。
けれど寝る時の雰囲気や匂いは列車を彷彿させるもので、朝目が覚めた時は動いていないとわかっていながらも、期待してカーテンを開ける自分が居ました。
※ペット不可のためドギーは自家用車に車中泊です
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