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2019-12-17

橋が上下に稼働する、筑後川下流の旧鉄道橋<筑後川昇開橋・福岡県大川市・佐賀県佐賀市>


筑後川昇開橋とドギー

ここは福岡、対岸は佐賀、流れる川は筑紫次郎(ちくしじろう)こと筑後川。その県境部分に「昇開橋(しょうかいきょう)」と呼ばれる、かつて鉄道が運行されていた橋梁が存在します。現在は地元でさんぽみちとして親しまれている名物橋を、旅犬ドギーと訪ねました。

筑後川昇開橋

福岡県側から撮影

左…福岡県大川市
右…佐賀県佐賀市

いわゆる跳ね橋の一種で、こちらの橋は中央部を両側から持ち上げる仕組み。

文化庁指定の登録有形文化財の証

まずは福岡県側へアクセス。昭和10年(1935)5月竣工の橋は国の登録有形文化財の指定を受けている、貴重な建造物。

同年同月、ドイツでは初のアウトバーン路線が開通しています。

昇開橋の案内

昇開橋は元々、国鉄佐賀線が筑後川を渡る際の鉄橋として建設されました。

筑後川沿いは品質の良い木材の産地。当時の輸送の主役は船で、上流で切り出された材木は筑後川に浮かべた船に載せられ、川を下って有明海に出て各地へもたらされました。
架橋にあたりそのような舟運を妨げないことが必須事項だったため、当時の技術者たちによって考案されたのが上下に稼働する跳ね橋でした。

筑後川の福岡県側の河口部にあたる大川市はかねてより物資の集積地であり、とりわけ集められた材木によって興った家具製造が盛んな街。鉄道の開通によって家具製品をより広く多く運搬できるようになり、街は一層栄えたことが記されています。

 

福岡県側の渡り口

踏切など鉄道モニュメントが、かつての鉄路だったことを彷彿させます

まずは福岡県側の渡り口。整備されて公園になっています。

この場所にはかつて筑後若津駅が置かれていました。鉄橋を渡ると佐賀県なので、県境の駅があったわけです。

コンクリート橋脚にプレートガーダーがかつての鉄道橋を彷彿させます

橋は路線廃止後補強や修復が行われ、遊歩道へと生まれ変わりました。

単線幅の遊歩道

遊歩道の上に立つと、その幅が単線鉄道幅であることがわかります。先の赤い鉄骨が可動部分。

現役稼働中だけれど

普段は船舶の航行を妨げないよう可動橋は上昇していますが、一日の内で数度降下する時間があり、その時には歩行者が渡ることができます。

ここで残念なことが二つ。稼働が行われない日に訪れてしまったことと、ペットを連れての通行はできませんでした。

 

鉄橋を観察

「コンクリート橋脚」+「プレートガーダー」

渡れないものは仕方ないので橋の構造を眺めることにします。

昭和の始めに建設された一般的な形状の鉄橋。無数に打ち込まれたリベットが良い感じです。

銘板は外されている様子

鉄橋の製造年などが記された銘板を掲げていた跡でしょうか。鉄道橋としては使命を終えているからか、取り外されていました。

干満差が激しい有明海

浜辺に出て昇開橋を眺めます。この時は潮が引き始める時間だったようで、干満差の激しい有明海らしくどんどん干潟が現れました。この大きな干満差が昇開式の鉄橋が建造された理由でもあります。

無骨な鋼鉄製の橋は鉄道橋そのもの。入念に手入れが施されている赤い塗装もグッド。今にも列車が走ってきそうな雰囲気があります。

可動部分のアップ

稼働時間になると昇開橋直下の指令室(白い小さな小屋)に係員が入り、所定の手順を行うことで橋桁の可動部分が上下します。

日本では東京の勝鬨橋(かちどきばし)や愛媛の長浜大橋など、戦前を中心に跳ね橋・可動橋がいくつか建造されましたが、現役で稼働しているものはごく僅か。勝鬨橋のように送電が停止されて可動することすらできない状態の跳ね橋が多い中で、筑後川昇開橋は定期的に動かされタイミングによっては渡ることもできる。希少かつとても貴重な存在です。

 

佐賀県側へ移動

佐賀県側にある橋の駅ドロンパ

対岸へ渡り佐賀県側へやってきました。昇開橋を渡ることができない時は、国道208号線へ迂回することで来ることができます。今回は犬連れなので国道迂回一択。

佐賀県側も渡り口は公園になっていて、こちらは「橋の駅ドロンパ」という佐賀県の特産品を販売する産直市があります。

佐賀県側も鉄道モニュメントがいくつも

佐賀県側にも踏切警報機やポイント転換機など、鉄道時代に使用されていたものがモニュメントとして置かれています。

不老不死の薬を求めて秦からやってきた始皇帝の使者

後ろにおいでる方は「徐福(じょふく)」さん。中国秦代の人物で、主君である始皇帝から不老不死の霊薬を手に入れるよう命じられ、渡航してきたのが日本の地。結果的に霊薬は見つからず、秦へ戻ることなく日本でその生涯を終えたとされる。

徐福が上陸したとされる三重・和歌山両県にまたがる熊野地方や京都府の丹後地方、ここ佐賀市にも徐福の伝承が残されていて、そのことにちなむ石像です。

渡し舟も運航されていた

この場所にはかつて筑後川を渡るための渡し舟が運航されていたようです。

筑後川昇開橋は戦前に開通したものの、それは鉄道橋。歩行者や自転車等の車両が川を渡る近代橋の開通は昭和30年代まで待たないといけなかった。それまでは専ら渡し舟が活躍していたことが、佐賀県側の公園に記されています。

もろどみ(諸富)駅の駅名標

佐賀県側の渡り口にも駅名標が設置されていますが、古い地図を見ると駅があった場所は少し先。団地付近に諸富駅があったようです。

佐賀県側の廃線跡は整備舗装されて、現在は「徐福サイクリングロード」になっています。google earthで航空写真を追っかけて行くと、廃線跡と思しき緩やかなカーブ等を長崎本線と合流する佐賀駅手前まで見て取ることができます。

 

佐賀県おさんぽ

佐賀県側の渡り口

反対側と基本は同じ。違うのは見えている景色が福岡県であることと、佐賀県側では「諸富鉄橋」の呼称を見ることができました。

潮の干満によって水位変動が大きいことがわかります

筑後川の土手に戻って鉄橋を眺めます。佐賀県側の右岸の方が深く水量も多い。そしてコンクリート橋脚に付いた痕を見るに、水位の変化がとても大きいことがわかります。

正体は潮の干満。有明海はすぐそこです。

 

昇開橋ビューポイントと筑後川下流の飛び地

ここは筑後川中洲の島

橋の渡り口から離れ、筑後川の中州「大中島」へ来ました。

正面に昇開橋を見ることができる

この場所、中洲の先端に立つと昇開橋を真正面に見ることができます。おすすめ。

左側の芝生エリアはドッグランに向いています。これもおすすめ。

福岡だと思ったら佐賀だったこの場所

元来た道路橋を渡ってこの場所に来たので、てっきり福岡県に戻ってきたと思っていたら、この中洲(島)自体は佐賀県だったことに後から気付きました。奥に見えている大川橋が福岡/佐賀県境の橋です。

 

筑後川下流は県境好きにはたまらないエリアで、地図を眺めていると右岸に福岡県、左岸に佐賀県が張り出している箇所がいくつもあることがわかります。

いわゆる「飛び地」
河川改修が行われ筑後川が直線化されたものの、県境線は旧流路のまま。県境線付近を拡大して見ると、飛び地エリアの外周を囲うように川か水路が存在することがわかります。

 

川が蛇行していると増水時に氾濫が発生し易くなります。

筑後川の別名は「筑紫次郎(ちくしじろう)」

坂東太郎(ばんどうたろう)…利根川
四国三郎(しこくさぶろう)…吉野川
と並ぶ日本三大暴れ川の一川。筑後川とそこへ暮らす人々の生活は、治水対策の歴史そのものでもあります。直線化工事によって川の流路が変更になっても県境変更が行われなかったため、下流域には飛び地がいくつも誕生しました。

 

好ドッグランスポット

昇開橋を前に走る走る

ドギーにとってはそんなことは関係ありません。そして県外でも旅先でも元気に走り回ります。

昇開橋を正面に眺める中洲先端の芝生。車両の進入がなく、最高のドッグランフィールドです。

ひとしきり運動して休憩中

自分たちが暮らす街で思いっきり走れる場所は知っていても、そうではない他所の土地でこうして走り回ることができるのは、とってもありがたいです。

 

筑後川昇開橋


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