日本百名山に選定されている一座であり中国地方最高峰の1,710mを誇る大山(だいせん)に、うちの登山犬ドギーと登頂達成しました。
登頂達成からの下山
前述のように大山は山体の崩落が懸念されています。昔は行くことができた稜線歩きが現在は通行止め。行くことができません。
この天気で長い間ここに居ると身体を冷やすので、早々に切り上げて下山を開始することにします。
下りも相変わらずのガス模様ですが、
少し下ったところで晴れてきました!
下界が見えます。奥のだいせんホワイトリゾート(スキー場)と、手前の三角形型の区画が大山寺の門前街。今回登り始めた夏山登山口がある場所です。
大山の魅力の一つに「日本海が見える」ことが挙げられますが、この時は見ることができず。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと) が置いた綱が浜になった弓ヶ浜。山の上から見たかったなあ。
振り返って大山。山が崩れていることがわかります。
さらば大山!良いお山でした。
はい、無事に下山完了。登山犬ドギーさん、疲れたのか ムスっとしています。殆どダッコされてたのにー!
下山後の楽しみ
日帰り入浴施設が無かった大山に近年オープンしたありがたい温泉。大山登山で汗をかいた身にとってもありがたい。夏山登山口から歩いて行けます。食事もできます。
大山は山岳信仰の聖地として、また訪れる参詣者を支える門前街として発達しました。そのことに由来する古いものが所々に残されています。
天保7年(1836)頃に発生した全国規模の飢饉「天保の大飢饉」
特に鳥取藩は “申年がしん” と呼ばれる大飢饉となり、多くの人々が亡くなり治安が悪化した。その凄惨さは今でも家庭や学校で語り継がれるほど。鳥取県内にはそのことを伝える遺跡が数多く存在するようでこのお地蔵さまもその一つ。
「とんでもない」 「途方もない」
ことを 「てんぽな」 「てんぽ」 と言うことがあるが、飢饉が発生した時の元号・天保(てんぽう)に由来すると言われる。飢饉地蔵の歴史と教訓は、飽食な現代社会で忘れてしまっていることを物言わず語り継いでいます。
山登ってお腹減ったので風呂上りに早いディナー。自家製豆腐食べ放題。1,000円くらいだったと思います。温泉は380円。
内容からするとどちらもお値打ち。ワンチャンは入場できませんが、一般的な大山登山の後には立ち寄りお勧めです。
大山寺へ続く参道
今回は時間が無くて大山寺へ参拝に行くことができませんでしたが、かつての大山山岳信仰の歴史を継承する名刹です。
お山に登らなくても 温泉とお寺の観光で来てみたいと思います。