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そらうみ旅犬ものがたり

愛の国から幸福へ。大ブームになったローカル線の今「幸福駅/北海道帯広市」

「愛の国から幸福へ」。昭和後期にそんな旅ブームがあった事を覚えている方はいらっしゃるでしょうか。

旧広尾線幸福駅に整備された幸福交通公園。ドギーがおさんぽできる部分が多く、犬連れの旅先としてもお勧めの場所です。

 

愛の国から幸福へ

幸福ブームの始まりは昭和48年(1973)3月。NHKの旅番組に「愛の国から幸福へ」と取り上げられたことで、それらの駅の存在はたちまち全国民が知る所になりました。

ブームを受けて「愛国▶幸福」の普通乗車券が飛ぶように売れ、昭和56年(1981)末までに累計1,200万枚が売れたほど。その売り上げは9億4,000万円にも上ったそうです。
広尾線はこの時点で赤字が大きく存廃が取り沙汰されていましたが、切符が売れた事でブーム最盛期の昭和49年(1974)には収支は大幅に改善されたほど。
しかしながらそれも一過性のもので、時の流れと共に赤字額は元の数値に戻っていき、幸福駅がある広尾線自体がJR化を待たずして昭和62年(1987)2月に廃止されました。

 

幸福交通公園

路線廃止後、幸福駅については幸福交通公園として整備され、現在でも多くの方々が訪れる十勝の人気スポットになっています。

広尾線運行当時は乗車するのは愛国駅から幸福駅、切符を買うのは愛国駅。という感じでしたが、広尾線が廃止されてからは幸福駅が単体で訪れるスポットになった感があります。ここには実際に運転されていた車両が2両、静態保存の形で留め置かれています。
廃止もしくは廃車になり、旧線ゆかりの場所などに車両が移設され保存されるケースは多々ありますが、必ずと言って問題になるのが保存状態です。動かない列車はアッと言う間に劣化が進みます。屋根を架けて保存されるケースもありますが、そのような管理には多額の費用と大きな手間が必要です。結果野ざらしになり、さびさびのぼろぼろになって、誰も寄り付かなくなってしまった車両は少なくありません。

それからいけば幸福駅の旧車両は野ざらしです。廃止から40年近く経過しているにも関わらず、です。個人的には、この場所だからこそ屋根が無い方が駅や車両が映えて良いと思いますが、そのためには再塗装など入念な手入れが必要です。現役車両ならば手入れすればそのぶん長持ちして、より長く収入を得ることが可能になりますが、当所の場合は動かないものなので手入れしたとて運賃収入が発生しません。
それにも関わらず、これらの車両は錆や劣化を探す方が難しいほどピカピカ。今にも動き出しそうな雰囲気さえあります。帯広市なのか、地域や旧鉄道員の力なのか。どなたの尽力か分からないのですが、幸福駅を恒久的なものとするための並々ならぬ心意気が感じられます。

 

旧幸福駅と幻の延伸計画

幸福の地名は元々入植者の出身地に由来するようです。

十勝のこの場所へ入植したのは福井県の方々が多かったようなのですが、故郷を離れても幸せに暮らしていきたいとの想いから、出身地の地名から一文字取って幸福と名付けたのが帯広市幸福町の始まりです。

この辺りでは幸福駅ばかりが有名ですが、


愛国駅…742人/1日
大正駅…321人/1日
幸福駅…13人/1日
中札内駅…232人/1日
昭和56年度(1981)


駅の規模としては幸福駅が最も小さく、愛国駅が突出していることが分かります。そのことについて理由は様々存在するのでしょうが、

・乗車方向が「愛の国から幸福へ」の通りで、切符の売上は専ら愛国駅だった
・愛国駅での乗車券購入は記念として購入する人が多かった
・当時存在した周遊券など、幸福駅での乗降がカウントされないフリー乗車券の利用が多かった

特に2つめでしょうか。それだけ有名になったならば、鉄道だけではなく自家用車やバイクで訪れて記念購入した方も多かったはずです。または、誰かに渡すためのおみやげ購入。住民による広尾線利用は、大正駅や中札内駅くらいが平常時の乗降者数だったのではないでしょうか。だとすると、いくらブームでたくさんの人が来るからと言っても、収支はなかなか厳しそうです。

広尾線現役当時は線路がこの先へも伸びていました。終点であり十勝管内最南の街の広尾や、未開通に終わった襟裳岬の方角になります。

「膽振國苫小牧ヨリ鵡川、日高國浦河、十勝國廣尾ヲ經テ帶廣ニ至ル鐵道」
広尾線と日高本線は、大正11年(1922)4月11日に公布・施行された鉄道敷設法別表第133号に定められていた鉄道計画路線で、苫小牧から帯広を南回りで接続する計画が規定されました。
広尾線の終点・広尾駅、日高本線の終点・様似駅。どちらも戦前に開通しましたが、両者を接続する路線は地形が厳しかったことや、戦争による資材不足等で未着工・未接続に終わっています。ゆえに両線とも終点に向かうにつれ乗車人員が減っていく盲腸線となり、広尾線は全廃。日高本線は部分廃止になり2割しか残っていないなど、往時を思うととても寂しい状況になっています。

昨今、終着駅めぐりが廃線めぐりになっている気がします「様似駅/北海道様似町」

こちらは、広尾線と繋がる計画があった日高本線の終着駅だった様似駅をドギーと訪れた時の記事です。

広尾線と日高本線が繋がって、襟裳岬をぐるっと回る日勝線構想は夢のまた夢だったであったと思いますが、せめて幸福駅まで残せなかったのかなあ…と思います。
それは情ではなくて、幸福駅の近くにあるとかち帯広空港の存在です。広尾線を改良すれば、帯広市街地と空港を連絡する空港アクセス鉄道に成り得たんじゃないかなあと思います。愛の国から幸福へブームは一過性のもので路線を維持するまでには至らないでしょうが、空港であれば年間を通して一定の需要が見込めます。仙台や宮崎が空港アクセス鉄道を持っていて利便性が高いですね。熊本にも在来線を改修して空港アクセス鉄道を整備する動きがあります。
現在地に帯広空港が移転開港したのが昭和51年(1981)。まだ広尾線が現役で走っていた時代でどうにかなったと思えてしまいます。

 

車両内に入ることができるキハ22形

車両内に入らせてもらいました。2両あるうち、プラットホームに付けられている帯広寄りの車両が、中に入ることができたように思います。

内部はシート等が取り払われ、幸福を求めてやってきた方々の絵馬が掛けてあったり、結婚式のものとおぼしき写真が掲出されていたり。何かのイベントスペースにされることがあるのかもしれません。

 

幸福駅で高松市に出会った

こんなところで高松市を見つけてしまいました。愛と幸福の都市交流事業?そんなのがあったなんて知りませんでした。

平成29年(2017)3月なので、だんらん旅人宿そらうみの3年目が始まった頃に、そんなイベントがあったのですね。
高松市側の根拠は「世界の中心で愛を叫ぶ」の舞台になり、映画後にロケ地めぐりがちょっとだけブームになったことでしょうか。その映画公開は平成16年(2004)5月なので、平成29年に純愛と聞いて高松やセカチューを連想できる人は少ないように思うのですが…

とは言え、帯広はばんえい競馬厩務員時代に過ごしたことがある街なので、両都市に交流があった事が嬉しいです。

 

旧幸福駅とドギー

ドギーと訪れたのは春が過ぎたころで、夏のように暑くはなく気候的に丁度良い時期。天候にも恵まれ最高のおさんぽ日和でした。

通常廃線跡と言うと朽ちた感があるもので、ある意味哀愁が魅力だったりします。しかしながら幸福駅跡にはそれがあまり感じられません。広場の芝生はきれいに手入れされていて、草ぼうぼうになっているような部分がないです。そして車両はピカピカ。さすが愛の国と言うだけのことがあります。

今回訪れた場所

幸福駅跡(こうふくえきあと)

日程

令和4年(2022)5月


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