平成23年(2011)12月の開催をもって廃止された熊本県の荒尾競馬場。その近くをドギーと旅することがありました。その時に、ここに競馬場があった事を伝える観客スタンドが近々解体されることを知りました(今はもうありません)。

2000年代に起きた地方競馬廃止ラッシュ

旅のスタイルの一つに「旅打ち」なる楽しみ方が存在します。旅の傍ら公営競技場(競馬・競艇・競輪・オートレース)に寄ってそれらの観戦を楽しむスタイル。
それでいくとドギーの飼主は競馬場を訪ねる旅打ちライダーでした。ドギーと旅を楽しむようになった今はそれ目的で旅をすることができなくなりましたが、かつては日本各地の競馬場を訪ね歩いていました。
しかしながら2000年代になると公営競技は不振に陥り事業が赤字に転落するようになると、次々に競馬場が廃止されていきます。
2001年 中津(大分)
2002年 県営新潟・三条(新潟)、益田(島根)
2003年 足利(栃木)、上山(山形)
2004年 高崎(群馬)
2005年 宇都宮(栃木)
2006年 岩見沢・ばんえい旭川・北見(北海道) ※帯広競馬場に集約して存続
2008年 道営札幌・道営旭川(北海道) ※門別競馬場に集約して存続
2011年 荒尾(熊本)
2013年 福山(広島)
一場に集約された道営・ばんえいを除くと10場もの競馬場が短期間のうちになくなったことになります。
現存する競馬場の中にも岩手のように決選投票の際に一票差で廃止にストップがかかったところや、笠松のように地主らが一時的に賃借料を下げて支援したところ。高知のように絶望的な額にまで賞金を下げて存続を図ったところなど。当時の競馬場廃止ラッシュを考えると、いま各地で地方競馬場が存続しているのが奇跡とも言えます。
私が一時期勤めていた北海道のばんえい競馬も四市ある開催者のうち岩見沢・旭川・北見が撤退を表明。帯広市が取り残された時に民間企業の参入により持ち堪えた経緯があります(最も長い期間を過ごした北見競馬場は現存しません)。
幸い2000年頃には大人になっていたので全国を旅することができて、多くの競馬場は廃止になる前に訪れることができましたが、その当時は特に写真に興味が無くカメラを持たずに旅をしていたことさえあり、失われた競馬場の写真があまり残っていないのが悔やまれます。
2000年代に起きた地方競馬廃止ラッシュ

ここでは平成23年(2011)12月23日に廃止になるまで、83年間レースが繰り広げられました。

炭鉱が多く存在した北部九州では、その労働者たちの娯楽として数多くの公営競技が開設されました。三池炭鉱を擁する荒尾にあった競馬場もその一つです。
しかしながら戦後になり海外から安価な石炭が入ってくると国産の石炭はあまり売れなくなり、エネルギー自体が石炭から石油へ転換されていく中で、三池炭鉱の主要な坑口であった万田坑は昭和26年(1951)に閉山になっています。
三池炭鉱自体は産出する石炭を火力発電用に電力会社に買い取ってもらうなど国の保護政策によって生き永らえてきましたが、その制度が打ち切られた事により平成9年(1997)3月をもって完全に閉山になりました。三池炭鉱の閉山は荒尾競馬場にとっても大きな転機になった出来事で、荒尾競馬場が単年度赤字を出すようになったのが三池炭鉱閉山翌年の平成10年(1998)からになります。

炭鉱の閉山は突然起きる事ではないので荒尾競馬場ではそれを見越して早くから経営改善に着手しており、1990年代に全国各地の地方競馬で赤字に転落していた中にあって珍しく、荒尾競馬場は黒字を保ち続けていました。
大きな敷地を有する競馬場ではその土地や建物に多額の賃借料が発生しているケースが多々あり、暗黒時代の地方競馬ではその負担が大きな足枷になっていました。高知競馬場の賃借料はかなり大きな額だったはずです。岐阜県の笠松競馬場ではそれが大きな額であるため競馬事業の廃止を表明したところ、地主らが競馬場の収支が好転するまで賃借料を下げて存続を図ったケースがあるくらいです。
荒尾競馬場は競馬場施設が完全に自前で土地の大部分が荒尾市の市有地であったため、その多額の費用が発生しない強みはその頃から言われておりました。
平成13年(2001)3月には大分県にあった中津競馬場が突然廃止になり、厩舎関係者らが大混乱になった際は可能な限り受け入れを行った経緯があり、競馬場運営に対する危機意識も高かったようです。
しかしながらどんどん膨らむ累積赤字に競馬事業の続行は困難と判断。平成23年(2011)12月をもって荒尾競馬場は廃止になりました。
入口とコンコース

この記事を書いている今は旧荒尾競馬場の観客スタンドは取り壊されて存在しません。訪問当時はスタンドが現存して、その1階ではJRAや他場の地方競馬の場外発売場になっていました。

ここで嬉しいものを発見。

騎手がレースで着用する勝負服は、JRAは馬主がデザイン。地方競馬では騎手がデザインを決めてレースで着用するのですが、そのデザインを紹介した額が残されていました。荒尾競馬が解散して騎手たちも散り散りになった今、これは貴重かつ往時を知るファンとしてはとても嬉しいものですね。
岩永千明 佐賀に移籍、引退
尾林幸彦 中津から移籍、引退。弟の尾林幸二は兵庫県競馬の調教師
佐藤智久 当初は中津デビュー予定だった、引退。
杉村一樹 中津から移籍。2010年第24回ワールドスーパージョッキーズシリーズ地方競馬代表として出場。川崎に移籍、引退
田中純 佐賀に移籍 ※現役
西村栄喜 船橋に移籍 ※現役
林陽介 引退
牧野孝光 岩手の菅原勲厩舎で厩務員に転身
宮平鷹志 北海道に移籍、2024年引退。唯一の沖縄県出身者だった(現在は2025年にJRAで同県出身者がデビュー)
松島慧 引退
村島俊策 引退
吉田隆二 引退
吉留孝司 浦和に移籍 ※現役
記憶を頼りに記しています。
フルゲート12頭の競馬場を13名の騎手で回していたんですね。昔の高校野球のようです。誰かが負傷したら騎手が足らない。
晩年は冬になると冬期休催になる北国の競馬場から人馬が籍を変えずに出走することができる制度が発足して、岩手や北海道の騎手が乗っていたイメージがあります。
牧野騎手は同地で2,600勝以上挙げた荒尾史上最多勝利ジョッキーですが、現在は岩手で厩務員をされているとか。菅原勲調教師が競馬学校時代の同期のようなので、そのご縁なのかもしれません。菅原勲調教師と言えば、騎手時代に主戦を務めたメイセイオペラが岩手所属の身ながらJRAのGⅠを勝利した唯一の存在です。
冬になると人馬資源を他場に求める制度自体は珍しいものではなくて、古くは和歌山県の紀三井寺競馬場がそのようにして出走馬を確保していましたし、現在も金沢競馬場と笠松競馬場の間で似た制度があったように思います。
パドック

左回りのダート路面で、中央に大きな楠が立っていたことが印象に残っています。

出走馬表は黒板にチョークで手書き。裏に人が居てレースが終わるとひっくり返して次レースを表示。昔の野球場であったり、競馬場であれば現在も姫路競馬場が同じ様式です。昨今はすっかり電光掲示板に取って代わられましたので、現存している姫路競馬場の手書き表示は貴重な存在です。
スタンド内

荒尾競馬場は競馬開催が終了した後は場外馬券場に転用され、名称が「BAOO荒尾」「J-PLACE荒尾」になりましたが、施設の多くは競馬場時代の発売窓口がそのまま使用されていました。
昔の競馬場は本当に煙草の煙がすごかった!
競馬場が好きでもタバコを吸わない私にとって、その点はとても辛かったです。火の不始末もたびたび起きていましたね。ゴミ箱が燃えるのを何度か見た気がします。

地方競馬はインターネット発売が普及する前は、馬券購入はもちろん映像を見たいだけでも本場と直営場外馬券場に行く必要がありました。それを考えると今はいい時代になりましたね。地方競馬でも全国発売が行われるようになりましたし、インターネットでいつでも買えるし、いつでもレースが見れる。特にいつでもリアルタイムでレースを見ることができるのがとても嬉しい。
競馬の構造がファンが購入する馬券によって成り立っているので、馬券を購入することは反対ではないです。でもどうせ買うならやっぱり目の前で馬が走っている場所で買いたい。これが当たっても外れても一番幸せになれます。なのでもうこれ以上競馬場が無くなって欲しくないです。

なので、かつての馬場に出て最も海に近かった競馬場を見ておきたいと思います。
馬場とスタンド

走路があった場所が数段高くなっているので、観客席より高い位置を馬たちが走っていたのか?と思われそうですが、そんなことはありません。再開発に向けて路盤の嵩上げが始まっていました。
正面左辺りに見える白とグレーの建物が新生BAOO荒尾。この時まだそれは工事中でしたが、このほどそれをオープンする目途が立ったというわけで、旧スタンド内にあるBAOOをそちらへ移転させてスタンド解体の運びとなったようです。
荒尾競馬場の跡地には道の駅と福祉施設が融合した施設を中心として、集合住宅や大型量販店などに転用され、敷地の真ん中には有明海沿岸道路が南北(写真の右から左)に縦貫する計画のようです。ここに足高の高規格道路の橋脚が立ってしまうと海は見えなくなってしまうわけで、「最も海に近い競馬場」は完全に昔の物になります。
とまあ失われた物をいつまでも惜しんでも未来は来ないので、せめてもBAOO荒尾が整備されたことを感謝しないといけませんね。ここにかつて馬事文化が存在した事を伝える存在として。

海が見える競馬場を記憶に留めておきたくて、スタンドの中二階部分に登ってみました。
日本国内でオーシャンビューの競馬場は多いわけではなくて、思いつくところでは函館競馬場くらいでしょうか。他では大井競馬場が運河部分ではありますが、観客席から水辺が見えます。かつての益田競馬場が、スタンドから走路挟んで向こう正面ではないですが、パドックごしに日本海が見えていました。

とは言えオーシャンビューは良いことばかりではありません。荒尾競馬場から見えている海は西向きの有明海で、夏場の夕方などは強烈な西日が降り注ぎます。競馬場から女性向けの案内に「UV対策が必要」と記載されていたほどです。
スタンドの上層階は特別観覧席で入場料とは別に500円必要だったのですが、ファンサービスの一環で女性は無料。男性も誕生月であれば無料でした。そちらへ入場する機会はなかったのですが、上層階から有明海や雲仙を眺めて見たかったですね。

昔の荒尾競馬場は女性が実況していたように記憶しています。確信が持て無かったのですが、やはりそうでした。検索すると動画がありました。
2000年頃の地方競馬では女性アナウンサ-が競馬実況を行う競馬場がいくつかありました。
ホッカイドウ競馬
益田競馬
荒尾競馬
JRAのレースで女性が公式実況を務めたのが令和6年(2024)3月の藤原菜々花アナウンサーが初めての事なので、その点では地方競馬がかなり先を行っていたようです。現在は全ての地方競馬場が男性実況です。
旧荒尾競馬場とドギー

でもそれが出来るのはこれが最初で最後。この場所は有明海沿岸道路の荒尾北インターチェンジ予定地になります。
また、競馬場スタンドは令和4年(2022)11月以降に解体されました。
新しく造成されたBAOO荒尾にはかつての荒尾競馬場のゴール板などが移設されたようなので、また近くを旅することがあればぜひ立ち寄ってみたいです。

馬の遊具は公園内に8頭ちらばって存在して、それぞれメンコの色が白黒赤青黄緑橙桃の色。競馬の枠番ごとにかぶる帽子の色に対応という細かい設定。今はもう公園も馬の遊具も無いでしょうね。これもドギーと撮っておけば良かったなあと後悔しています。
飼主の競馬場めぐり
現存行けた:
札幌、函館、新潟、東京、中京、京都、阪神、小倉
帯広、門別、盛岡、水沢、大井、笠松
現存まだ:
福島、中山
浦和、船橋、川崎、(新)名古屋
廃止行けた:
(※①)北見、(道営)旭川、岩見沢、上山、宇都宮、足利、高崎、(旧)名古屋、福山、益田、中津、荒尾
廃止行けなかった:
(ばんえい)旭川、(道営)札幌、(県営)新潟、三条
※①
観客席には入ったことが無い