明け方5時、フェリーとしまは最初の島に到着。ここから吐噶喇列島のアイランドクルーズが始まります。

口之島

防波堤のイラストに「N30°」と記されているように、島を北緯30度線が横断しています。ポツダム宣言の取り決めで北緯30°以南が日本国政府から切り離されることが決まっていたため、戦後口之島以南の南西諸島がアメリカ合衆国の施政下に入りました。一時的に国境の島だったわけです。
口之島への寄港は、
下り(鹿児島→吐噶喇列島)…5時
上り(トカラ列島→鹿児島)…翌11時25分
のパターン。時期によってはこの通り真っ暗です。

乗船客の乗り降りと荷役が終わると船はすぐに出港。寄港時間は10分!コンテナ等は積む時が一番最後=出す時一番最初になるように考えられているのでしょうが、毎度毎度その早さと正確さに恐れ入ります。

旅の仲間、もちろん自分もまだ眠気眼です。各島間の所要時間はおおむね1時間。起きてきては外を見て船室に戻って寝転んだと思ったら到着して。所要時間を考えると寝不足のはずですが行きはワクワク感が勝っていると言いましょうか。まだ元気なんでしょうね。
中之島

現在もトカラ列島では最大の人口を有し商店があります!
中之島への寄港は、
下り(鹿児島→吐噶喇列島)…6時
上り(トカラ列島→鹿児島)…翌10時25分
のパターン。端っこの島であるほど極端なダイヤですが真ん中の島になるにつれ、下り・上り共に平均的な発着時間になっていきます。
臥蛇島

中之島を出港したところで臥蛇島(がじゃじま)が見えました。正確には手前が小臥蛇島、奥が臥蛇島。両者は繋がってはいません。それどころか両島とも見ての通り断崖絶壁。砂浜があるわけではなく船の発着に便利な湾があるわけではありません。となると船の乗降はどうしていたのか。昔は「艀(はしけ)」と呼ばれる方法が用いられていました。
ある程度大きな船が接岸することができる港を持たない。もしくは荒波が押し寄せるため接岸させると陸地に打ち付けられ船体を損傷してしまう。
そのような時には沖に碇泊している船に向かって島から小舟を出して、乗客や荷物を迎えに行くのが艀という方法。臥蛇島に限らずかつては全国各地の地形が厳しい島では艀が頻繁に用いられていました。しかしながら艀作業は荒海に小舟で乗り出す危険な作業。かつては人力船。後年には動力船に変わったようですが、危険であることには変わりはありません。厳しい環境の島であればあるほど艀作業が生活の生命線になりますが、臥蛇島の人口減は艀作業を存続することができないほどになりました。そこで止む無く全島離村になったわけです。
諏訪之瀬島

この頃になると夜が明けて各島がはっきりと見えてきます。諏訪之瀬島には厚い雲が掛かっているように見えますがこの大部分は火山の噴煙。トカラ列島には今も噴煙を上げている島がいくつかありますが、その中で最も盛んに活動しているのが諏訪之瀬島の御岳(おたけ/796m)。つい最近も噴火がニュースになっていましたが、ニュースにならないような噴火は日々起きています。

今回の目的地は「宝島」とこちら「諏訪之瀬島」。乗降順の関係で一度諏訪之瀬島を通り過ぎて宝島に行って一泊してから、翌日の上り便でこちらの島に戻ってきて上陸する計画です。

諏訪之瀬島への寄港は、
下り(鹿児島→吐噶喇列島)…7時10分
上り(トカラ列島→鹿児島)…翌9時10分
のパターン。トカラ列島アイランドクルーズも中盤に差し掛かり下り・上りの時間が変わらなくなってきました。航路図では平島が先になっていますが、現在は諏訪之瀬島へ先に寄港する順序に変更されています。
平島

島名のように平たい島なのかなと思ったら、他の島と比べると山は低いですが、そこは「トカラ列島なりの平たさ」です。それよりもここでの「平(たいら)」は平家伝説に由来する説があります。

平安時代末期に勃発した壇ノ浦の戦いで組織的な戦闘が終了したとされる平家ですが、その末裔が落ち延びて隠棲したと伝わる場所が西日本を中心に存在します。四国では一番有名なのがかずら橋で有名な「祖谷(いや、徳島県)」。落ち延びたと伝わる「越知町(おちちょう、高知県)」。九州本土では「椎葉村(しいばそん、宮崎県)」など。しかしながら平家落人伝説はそこまでに留まらず、三島村の「硫黄島(いおうじま、鹿児島県)」や十島村のここ平島など。
硫黄島や平島は絶海の孤島と言える場所ですが、それが故追手が来ない・来れないだろうと敢えてここに移り住んだと言われることがあります。
薩摩硫黄島に伝わる平家伝説をドギーと訪ねた時の記事です。
平島への寄港は、
下り(鹿児島→吐噶喇列島)…8時10分
上り(トカラ列島→鹿児島)…翌8時15分
のパターン。上り下りの時間がほぼ同じなのでここがトカラ列島における交通の中間と言えます。平港は港湾設備の関係で他の島と比べてフェリーとしまの就航率が下がります。条件付き(=もしかしたら寄れないよ)での運航や他の島には寄れても平島には寄港できない、いわゆる抜港(ばっこう)と呼ばれる措置が取られることがあります。

決して平たくない平島ですが港背後の斜面を眺めるとなかなかの崩落具合。そして白い点をいくつか存在するのが分かりますが、こちらは島に生息する山羊(やぎ)。草をひたすら食べるヤギは雑草地では重宝されますが、草の根まで食べてしまうため土壌崩壊を起こす点が懸念されています。臥蛇島と同じように全島離村が行われた東京都の八丈島でもそのことが問題になっています。

島の断崖絶壁にばかり目が行ってしまいますがこの辺りまで来ると海の色が変化していることに気が付きました。確実に沖縄に近付いていますね。
悪石島

地名に「悪」が付いているのをここ以外で見た覚えがありませんが、世の中に存在するのでしょうか?その由来は平島と同じ平家落人伝説で断崖絶壁の地形もさることながら、わざと地名に悪い字を当てて来たがらなくさせたという説があります。
初めて訪れたトカラ列島の島が悪石島だったのでトカラの中でも思い出が多い島。なぜここを初めに訪れたかは、やはりその地名に惹かれたからです。その時は島でキャンプ泊だったのですがキャンプ場が中央に白く見えている斜面の右側。この白は硫黄の色でこの部分は地面から噴煙が上がっています。キャンプ場は芝生だった気がしますが、そんな場所が近くにあるものだから結構暖かかった気がします。そしてその小山に登って噴煙が出ている穴に卵や芋を置いてふかして食べたり、なかなか他ではできない経験ができました。島には温泉もあります。

悪石島への寄港は、
下り(鹿児島→吐噶喇列島)…9時15分
上り(トカラ列島→鹿児島)…翌7時05分
のパターン。ここで上り・下りの時間が逆転します。

船が接岸する際は島民男子が総出で港湾作業に当たるようです。ここでその方々の背中を見ると「悪」の字…
長袖にも悪、ツナギにも悪。やはり個性では悪石島が随一のものがあります。
小宝島

悪石島から小宝島は他の島と比べて少し離れていて1時間以上かかります。小宝島と宝島は見ての通りの距離ですぐ近くにあります。そして形もそっくりです。

今回は上陸しませんが二回目にトカラ列島を旅した時に来島したのが小宝島。その理由は「一番小さいから」

島は中央部以外は平坦で一周が徒歩約20分。温泉あり泳ぐことができる浜辺ありで、季節によっては楽しみどころがたくさんあります。ちなみに国内で最後まで艀作業が行われていた島でもあります。来島時はキャンプ泊だったのですがその場所は中央に見えている砂地の辺りです。

明け方薄暗い時間帯に着く島と明るくなってから到着する島とで印象が異なるのは当然なのですが、小宝島に来ると港の雰囲気が明らかに違います。地質学上・生物学上の境界線が悪石島-小宝島の間にあるらしく、その線をフェリーとしまで越えたからです。
悪石島までが大和(やまと)。小宝島以南が琉球(りゅうきゅう)と例えることもできます。
小宝島への寄港は、
下り(鹿児島→吐噶喇列島)…10時45分
上り(トカラ列島→鹿児島)…翌5時40分
のパターン。ここまで来ると鹿児島から来る時はゆっくり乗船することができますが、鹿児島に戻る時はかなり早起きしなければいけません。

心なしか太陽が近くなった気がします。それは太陽が出て来たからと言うこともありますが水の色は南西諸島のそれです。
宝島

「宝島」という魅力的過ぎる名前がすでに個性。今回の目的地です。悪石島とは真逆のイメージを受けますが古くは海賊キッドがその宝物を島に隠したことに由来する説があります。

それぞれの港に島の特徴を表すイラストが描かれていますが宝島のそれは巨大。そして色彩も明らかに南の島をイメージするもの。

宝島への寄港は、
下り(鹿児島→吐噶喇列島)…11時30分
上り(トカラ列島→鹿児島)…翌5時
のパターン。これでトカラ列島の有人七島コンプリート。約12時間の船旅でした。鹿児島からそれだけ時間が掛かることがあって、現在フェリーとしまの全便が奄美大島の名瀬港(なぜこう)まで運航されています。宝島-名瀬は時刻表の上で3時間40分。名瀬へ行けば商店がたくさんあって買い物が事足りますし、空港もあってそこから島外へ出ることができます。そういう意味でもトカラ列島の悪石島までは鹿児島都市圏、小宝島・宝島は奄美都市圏と言えそうです。
ちなみに「名瀬」の読みについて公式的には「なぜ」で記載されていますが、地元の方々は専ら「なせ」と濁らず発音しています。うちの徳之島の親戚方も同様。フェリー運航案内の放送も「なせこうを●時定刻に出港しました」と放送されていました。その理由はわかりませんが「なせ」と聞くと鹿児島に来たなあと実感することができます。
ドギークルーズ

少し元気がないようですが船旅の時はごはんを食べないのでそれが理由だと思います。
「手荷物」としてのドギーですが船員さんは時々声をかけて下さっていて、先の島へ進むにつれ乗船客が少なくなることもありデッキを少しだけおさんぽすることも出来ました(イレギュラー対応です)。

これから宝島の冒険が始まります。なんかこの響き良いですね。