離島の空港はそれ自体が大きな観光要素を秘めている存在であるように思います。沖縄県で最も東方に位置する北大東空港に島サイクリングの途中に立ち寄りました。
北大東空港の位置
北大東島の周囲(海岸線)は約18km。それほど大きい島では無いので自転車を借りれば十分回れる距離。丸一日時間が有れば朝イチから徒歩で回っても色んなものが見つかって楽しいと思います。
北大東空港、悲願の歴史
強い風雨に晒されていることがわかります。
北大東空港の開港は昭和53年(1978)と比較的新しい。自前の空港を持つことは島民にとって悲願でした。戦時中に海軍の守備隊が駐留、飛行場が築かれた南大東島と異なり北大東島には長らく空港が存在しなかった。
【旧南大東空港・関連記事】南大東島グルメと特産品巡り<南大東島/沖縄県南大東村>
南大東島は昭和40年(1965)にエアアメリカの定期便が就航したことに続き昭和42年(1967)には新しく立ち上がった南西航空(後の日本トランスオーシャン航空)が就航。県都・那覇との行き来が容易になりました。
しかしながら北大東島には空港が存在しなければ定期航空路も無い。飛行機に搭乗するためにはモーターボートやサバニ舟(沖縄式の帆掛け舟)で南大東島との海峡を横断していた。これは海が荒れたら行き来することができないし定期船が欠航しても飛行機が飛べば南は一定の補給(=飛行機に搭載できる程度の物資輸送)はできるけれど、北ではそれが一切叶わない。そんな不公平かつ困窮した状況にあった。
昭和46年(1971)4月、琉球列島米国民政府の援助のより北大東島東部に延長760mの仮滑走路が完成。この時点では未舗装でありあくまで緊急用飛行場の位置づけであった。
昭和49年(1974)秋頃、村民有志により南大東島に駐機しているセスナ機を使用する形で(仮)北大東空港と南大東空港が結ばれた。しかしながらそれは高額な運賃が必要であり結局南大東島で乗り換えが発生することから、ここでもやはり正規の空港建設が待たれた。
昭和51年(1976)5月、(仮)北大東空港を拡張する形で空港工事着工。
昭和53年(1978)4月、北大東空港竣工。同年南西航空の定期便が就航。住民の悲願はここに実を結びました。
北大東空港の運用体形
現在は琉球エアーコミューター(RAC)が就航している当航路。今回は飛行機に搭乗するわけでは無いけれど空港の待合室に入らせてもらって、自販機での水分補給とWC休憩をさせて頂きました。日陰が殆ど無い北大東島の屋外。ここはオアシスのようでとても助かります。
保安検査場は離島空港あるある搭乗手続きから保安検査・誘導まで、地上業務の多くを同じスタッフさんが行います。
・那覇
・南大東
飛行ルートはフェリーだいとうと似た感じの三角航路で、
□那覇 →北大東→南大東→那覇
■那覇 →南大東→北大東→那覇
□■どちらが先行か曜日によって異なります。
フェリーとの経路の違いは北大東(南大東)が先行だからと言って、再びそこには帰らない事。
往復飛行機を利用して一度に南北両島回るためには、
那覇→後行の島(B島)▲
B島→A島▲
A島→那覇
島内でそれぞれ一泊、最短二泊する必要があります。その代わり一泊を二泊するようなアレンジや毎日運航である点、フェリーと比べて就航率が高い利点があります。
なお「北大東⇔南大東」の航路距離12km(8マイル)は「日本一短い航路」
ドギーが暮らす街の鉄道・ことでん(高松琴平電気鉄道)さんに置き換えると「高松築港⇔円座」がほぼ同じ11.2kmです。
北大東→南大東…8,000円
高松築港→円座…380円
手段と背景が全く異なるので同列で考えてはいけませんが単純に距離だけでみると超高額路線です。
しかしながらその魅力はたっぷりで前述の「最短距離」ゆえの搭乗時間15分は「最短搭乗時間」、大海原に二つだけ浮かぶ南北大東島を空から見ることができます。南大東島の沖150km先には沖大東島(ラサ島)があるので、かなり気にして南方を注視した上で相当気象条件が良ければ、それも見えるかもしれません。
屋上展望デッキからの眺めもおすすめ
北大東空港も旧南大東空港のように空港ターミナルの屋上に上がることができます。
定期便は午後に飛来するのでそれ以外の時間は静まり返ってます。
空港デッキから眺める景色は東方。この次に現れる陸地は、
母島付近(東京都小笠原村)
ミッドウェー島付近(アメリカ合衆国領有小離島)
・
・
バハ・カリフォルニア半島(メキシコ合衆国)
子連れ狼ドギー
飼主の空港散策中、旅犬ドギーは日陰で待機しておりました。彼の水分補給も完了。北大東空港さんありがとうございました。