宝島とは誰が名付けたのでしょうか。「トカラの島」が訛ったとかキャプテンキッドが宝を隠したからだとか。島へのアクセスを改めて考察するとここがとびきりの秘島であることが分かります。
宝島の滞在時間選び
フェリーとしま、次は奄美大島・名瀬港へ向けて出港準備中。長い時間を共にした愛船。名残惜しく船出を見送りたいところですがこのとき既に12:30。定刻から1時間delayです。その日の潮流と道中の荷役量によるので端っこになる宝島が時間通りに到着するのはなかなか難しいのだと思います。限られた滞在時間を生かすためにここは歩きながら出港を見送りました。
結果的に温泉や商店が夕方まで開いていなくて散策時間は余裕たっぷり。
宝島はトカラ列島の端っこに位置する島なので他の島のようにアイランドホッピングに便利なわけではありません。フェリーとしまの運航パターンが、
【1日目】鹿児島→
【2日目】→トカラ列島各島→奄美大島
【3日目】奄美大島→トカラ列島各島→鹿児島 ①
【休航日】
【1日目(5日目)】鹿児島→
【2日目(6日目)】→トカラ列島各島→奄美大島 ③
【3日目(7日目)】奄美大島→トカラ列島各島→鹿児島 ④
鹿児島から一番遠い宝島を選んだ場合持ち時間は「①17時間30分」。3日目の折り返し上り便を見送ると、次に上り便がやってくるのは4日後(最初の航海から7日後)。時間にして「④89時間30分」。
「①17時間30分」
「④89時間30分」 ※6日目に奄美大島へ下るなら「③72時間」
究極の選択がここにはあります。
*「宝島での滞在時間を長く取るために、宝島に近い場所からアクセスするといいんじゃない!」
すなわち奄美大島からアクセスすると適当な滞在時間を確保できるのかなと調べてみましたが、
【3日目(1日目)】奄美大島→トカラ列島各島→鹿児島
【休航日】
【1日目(3日目)】鹿児島→
【2日目(4日目)】→トカラ列島各島→奄美大島 ②
【3日目(5日目)】奄美大島→トカラ列島各島→鹿児島 ⑤
鹿児島→宝島→鹿児島…「①17時間30分」
奄美大島→宝島→奄美大島…「②約54時間」 ※一航海飛ばし
鹿児島→宝島→奄美大島…「③72時間」 ※一航海飛ばし
鹿児島→宝島→鹿児島…「④89時間30分」 ※一航海飛ばし
奄美大島→宝島→鹿児島…「⑤約95時間」 ※一航海飛ばし
トカラ列島を旅しようと思ったら日数が必要。宿泊費用が嵩みます。そこへ鹿児島か奄美大島までの旅費。仕事していないと旅費の捻出はなかなかのハイレベルです。それより難しいのは仕事していてこれだけの時間を休める気がしません。ましてや行って欠航になって期日に戻れなくなってしまうことを考えると渡航自体に熟考を要します。
今でこそ普通に行って普通に帰ってきていますがデータを並べてみると、このとき宝島へ行くことができたのはなかなかの奇跡だったのだなと思えます。
宝島
*「この島の形をどこかで…」
と思った貴方は地図で読書している旅人さん。日本最東端「南鳥島(みなみとりしま/東京)」と似ています。他では「沖永良部島(おきのえらぶじま/鹿児島)」、「宮古島(みやこじま/沖縄)」も近い形状と言えます。いずれも珊瑚礁が海面に浮かび上がって出来た島なので、何か因果関係があるのかもしれません。トカラ列島でこのような「隆起珊瑚礁(りゅうきさんごしょう)」の有人島は小宝島・宝島の二島だけです。
宝島の集落は「前籠漁港(まえごもりぎょこう)」から南に少し登った丘の上に広がっています。役場の出張所は七島全てにあるとしてこの島には「郵便局」「売店」「温泉」があります。人生三島目のトカラ上陸が宝島ですが商店と郵便局がある島は初めて!
海賊キッドの宝物はあくまで伝説ですが、日本史にその名が登場する事となった「イギリス坂」に実際に降り立つのも楽しみです。
今回の宿泊はキャンプで役場出張所に届けなければいけません。上陸時に港へいらしていたそれらしき方に話しかけたところ、
*「これから昼ごはん食べに戻るから(キャンプ場に)荷物置いてゆっくりしてから来て」
おおらか万歳!
島の形が似ている沖永良部島や宮古島にはハブはいないとされますが、宝島にはハブが棲息しています。トカラのハブは毒性が弱く噛まれたとしても死亡例は無いと言いますが、この島には常駐されているお医者様は居ません。Dr.コトーだとしてもお医者様が居る島の話。できれば出会いたくない存在…なのですが、この後道路上で轢かれてお亡くなりになっている個体を見つけてしまいました。
南西諸島には島一つ置きにハブが棲息していると言われますが、それはちょっと違います。
●奄美大島
●徳之島
×沖永良部島
×与論島
●沖縄本島
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という具合に。有力な説は「山がある島=ハブが居る島」。気象の変動等によって海面が上昇した時に山がある島はハブたちがそこに集まって水没を免れたけれど、そうではない島は水没してしまった。天地創造みたいな話ですが実際ハブがいないとされている島々は山は無くなだらかな島ばかりです。
ビーチとキャンプ場
というわけで仮許可?も頂いたので先にキャンプ場に向かいます。トカラ列島には公共交通機関が存在しません。宿を予約していれば港に迎えの車が来てくれますがキャンパーは自力移動が前提。絶海の孤島でのキャンプはその点も楽しみどころです。
とは言えキャンプ装備+食糧一式を運ぶのは大変。その点では宝島はそれほど遠いわけではなく平坦で助かります。悪石島は港からキャンプ場へ向かうにあたりまず鬼のような坂がありました。
トカラ列島でキャンプを考えている場合は「移動」「荷物運び」「燃費」を考えると、原付(50cc)か小型(125cc)のバイクの持ち込みがお勧め。特に一度に島をいくつも回ろうとしている場合は特に。宝島・小宝島のように港からキャンプ場までが近くて平坦であれば良いですが、これまで寄港してきた島々を見るに徒歩で荷物を持ってキャンプ場へ…は大汗もの。
キャンプ場に到着。厳密にはキャンプ場はこの西側(左)。テントは明るいうちにさっさと張るのが鉄則ですが、この時は風があったので夕方になるまで待ってからテントを張ろうということに。ひとまず無人のビーチハウスの隅っこに荷物を置かせてもらって休憩。
この部分だけを切り取って「ここ沖縄です」と言っても誰も疑わなさそうなロケーション。小さな入江になっていて外波が入ってこないのもプラス。それでいて高確率でプライベートビーチになります。
訪れた時が11月で天候は曇。風が強くてこれで海に入ると上が水中の生物を観察してみたいです。
ビーチの外には白波が押し寄せます。隆起珊瑚礁の島は陸から海になっていきなり深くなるわけではなく「リーフ」と呼ばれる浅瀬が島の周囲に広がっているのが通常。潮が引いている時間はそこに波が当たって白波が発生します。これは奄美・沖縄の島々で見ることが出来る風景。
懐かしいですね、キリンさんのこのシリーズ。県外へ行って見つけると何かと手が伸びていました。普通のビール価格で地ビールのような気分が味わえると言いますか。家に居て冷えてない麦酒は飲みたいと思わないですが、旅先だと何でも美味しく感じます。そこが絶景であればあるほど。人間の味覚なんていい加減なもんだなあと、と言うか屋外の空気の味や目からの情報、その場のメンバーや楽しい時間が味になるのかなあと思います。食べもの・飲みものの味をより一層引き出す感覚は、これからも大切にしていきたいと思います。
宝島さんぽ
ビーチの散策と休憩後宝島のおさんぽに出掛けます。まずは役場出張所へ行きキャンプ場の使用申請と明日乗船予定のフェリーの切符購入。売店や郵便局に行ってみたいし、もちろん温泉!何もないはずなのに時間が足りないのはなぜでしょう。
背後にそびえる山は「イマキラ岳/標高292m」。頂上まで車道が通じているようで徒歩でも楽々登頂できると思います。しかしながら今回ここへ行くには時間が足りませぬ、、、
正確にはいくら楽チンと言っても気象条件が良い時に行きたい。この日は見ての通りの天気なので景色を期待して行ってもそれが見えるかどうか。そういう意味では一本フェリーを見送るとそのチャンスが2度3度生まれます。時間のことも全く気になりません。宝島から出る船を見送ると幸せになれそうな気がします。
上陸時の指示を守ってだいぶ時間を遅らせてからキャンプの申請にやって来ました。
*「キャンプ?」
「はい、お願いします」
*「明日上るんでしょ?」 ※上る…鹿児島方面、下る…名瀬方面
「ええ」
*「そしたら朝早いよ。テントの片付け大変」
「ですよねえ。でもがんばって起きます」
*「もし良かったら、ビーチハウスに泊まったら?」
「ええーーー」
*「でも布団や暖房は無いからね」
所定の金額を支払って前籠海水浴場の建物に泊まれることになりました。これが公式・非公式の措置なのか分かりません。とりあえずとってもありがたい申し出でした。
役場支所横にあるのが宝島唯一の売店。冷蔵庫にビールがある…!
しかしながら午後は営業時間外。朝もその時間は既にフェリーとしまで島を離れた後なので今回来店のチャンスは夕方二時間。温泉も17時からなので夕いちで温泉に入って風呂上りに売店に来て冷えたビール!の計画が立案されました。それにしても17時までまだまだ時間があります。
集落がどの辺りにあるのか道がどう繋がっているのかがよく分かります。いつの時代のものか分かりませんが表示されている内容は生物や花など、どちらかと言えば宝島の自然素材に重きが置かれている気がします。
この時代の観光はロマン推しだったのでしょうか。実際に小説「宝島」発表後は海賊キッドの宝を求めてトレジャーハンターたちが結構な人数来島したそうです。
宝島の教育機関
集落の一番高いところにある学校にやってきました。
その歴史を紐解くと「宝島小學」という地域有志によって開かれました。今で言うところの私立。それよりは江戸時代のような私塾が近いイメージでしょうか。明治新政府が奨励した教育関係の法整備は当初はなかなか広まらなかったのが実情。長男以外に教育は必要ないという意見や、農村等では畑仕事の働き手を取られたら困る等、教育を施す側・受ける側それぞれに混乱があったためです。
それらの点を考えると宝島のような絶海の孤島で教育の必要性を感じ、生きて行くだけでも精一杯だった時代に多額の私財を投げ打って学校を開き、島の教育に尽力した島の先人たちの先見の明に頭が下がります。
丘の上に立つ宝島小中学校へ続く通学路。樹木が間違いなく亜熱帯な感じです。
明治7年(1874)開校は国内に現存する教育機関では古参級。それが大都会ではなく地方の離島の端っこに存在したのは特筆すべき点です。
学校は宝島集落の一番高い丘の上に位置していて校門前からの眺めは最高です。例によって小宝島と悪石島がちらっと。
学校で飼われているのでしょうか。国内の温暖な離島へ行くとほぼほぼヤギを見る気がします。ヤギは草をよく食べるので牧草地の整備等を目的として人間によって島へ持ち込まれるケースが頻繁にあったようです。
それが管理しきれなくなり野生化して草はともかく根まで食べ尽くすようになり、樹木の支えを失った土壌が崩落すると言った弊害が起きているようで、場所によってはヤギが駆除対象になっている場合もあります。こちらのヤギは人間の管理下で家畜として飼われているものでしょうが、島内では結構な数の野生と思しきヤギを多数目にしました。