旅犬ドギーと神奈川県にやってきました。犬連れ旅で都会へ行くのは大変かなあとこれまで都心部は敬遠しておりましたが、こちらは競馬関係ということもあり飼主が行きたかった場所です。

かつての競馬場が現在は公園に

A.競馬場
ですね。
この場所にはかつて横濱競馬場がありました。
1866年9月開場、1943年6月に閉場。日本で初めて洋式競馬が行われた地であり、1880年6月に行われた「Mikado’s Vase」は現在の天皇賞の源流に。1939年4月に第一回競走が行われた「横濱農林省賞典四歳呼馬」は、施行場を中山競馬場に変えて現在は皐月賞として行われているなど、日本の競馬黎明期を牽引する存在でした。
戦争激化によって1942年(昭和18年)6月に競馬開催が中止され、翌年閉場。結果的に競馬場として復活することはありませんでしたが、現在は横浜市が無償貸与を受けて公園として整備したものがこちらの根岸森林公園になります。
ドギーと都会を旅する難しさ

ドギーと私のように自動車で旅をする者たちにとって大事なのが「車の駐車」。都市部ではそれが難しいか、あっても都度駐車料金が発生するのだろうと思い、ドギーとは都会への旅は避けておりました。今回そこへ飛び込んでみてそれは想定以上の困難がありました。
昨今駐車料金が高騰しているのは止むを得ない事として、都市部では一時的な停車も難しい。駐車でなく「停車」です。地図を見て道を確認したり、宿の予約や問い合わせのような返信を急ぐ案件があっても、車がすぐに停まれない。これはとても困りました。
ドギーと私が暮らしている香川県であれば他車に迷惑にならない路肩等に一時停車したり、コンビニさんに一旦停めさせて頂いて自分の用件を済ませてから飲み物を買うなどするのですが、コンビニに駐車場が無かったり、あっても「スマホ操作のための駐車禁止」「昼寝禁止」等の注意書きがお店の窓に掲げられているのをいくつも目にしました。そこまで自動車の停車が困難なのは私の想定の範囲を超えていて、逆に言えばいつもはコンビニさんに甘えていたのだなあと気付かされました。
世の中のコンビニオーナーさん、いつも広い心でお客さんを迎えて下さってありがとうございます。
根岸森林公園は駐車場が用意されています。区画が二つあって第一と第二。価格は良心的な設定です。ドギーと飼主は第一駐車場に車を停めさせて頂きました。
競馬場コースを想像することができる遊歩道

かつての観客席は北側にあったようなので、現在地が指している場所を競馬場に置き換えると第3コーナーと第4コーナーの中間。逃げ馬であれば後続を十分引き付けて余力を蓄えたり、差し・追い込み馬であれば慎重に進路を選んでスパートを駆けようかという局面。重要な勝負どころに、今居ます。
旧横濱競馬場の特徴の一つとして、この「右回り」が挙げられます。
世の中には運動会の徒競走からスピードスケートにF1まで数多のトラックスポーツがありますが、レースの様子をちょっと想像してみてください。それら全ては左回り(=反時計回り)なはずです。トラックスポーツではないですが野球もそうですね。これは世界共通です。
ですが競馬には左回りもありますが右回りも存在します。代表的なところでは有馬記念が行われる中山競馬場(千葉県)は右回り。菊花賞が行われる京都競馬場(京都府)も右回り。日本ダービーこと東京優駿が行われる東京競馬場(東京都)は左回りです。
一般的には競馬場は広大な土地を必要とするので、土地の高低差に加えて観客席の配置を考えたときに、それに適した周回方法が採用されるようです。京都競馬場の場合は第3コーナーにかけて上り坂、第4コーナーにかけて下り坂がありますが、これを左回りにするとなれば第1コーナーから第2コーナーにかけて勾配が存在することになり、発走地点に制約が発生して距離設定が難しくなるような気がします。
その理由が定かかどうかは素人である私には分かりませんが、日本の競馬場は右回りが多いです。競馬において範を取ったのは英国と米国ですが、英国はやや左回りが多く、米国は完全に左回り。なので本来競馬も他スポーツと同じく左回りが自然なのでしょうが、日本で一番最初に開場した旧横濱競馬場が右回りを採用したことにより、後発の競馬場がそれに倣ったと言われます。根岸の丘の上に造られたのが横濱競馬場なので土地の制約等から止むを得なかったのでしょう。
ちなみに左回りの競馬場は右回りと比べて少数ですが、その多くが東日本にあります。JRAだと東京・新潟・中京。NARだと盛岡・船橋・浦和・川崎が左回り。私が仕事をしていた京都や阪神は右回りですし、ホームタウンにある園田も右。北海道のばんえい競馬も直線の競走ではありますが方向としては右回りです。

前置きが長くなりましたが、こちらがかつての第3・第4コーナーの中間地点。この遊歩道は公園内でもやや内側を周回するように敷設されているので、実際に走路があった位置ではない気がしますが、右カーブを描きながら延びて行く遊歩道に競馬場の光景を想像せずにはいられません。

今居る地点はドギーと飼主が入園した地点の反対側。競馬場時代は最後の直線だったと思われる地点です。いかに根岸の丘陵地帯に建てられたのが横濱競馬場だったとは言え、これは馬が競走できたとのか?と思える土地の起伏です。
その点について、競馬場は海軍のち進駐軍に接収されてからゴルフ場として利用されていた時代があったことが理由として言えそうです。競馬を開催すれば収益を上げることができますが、それを毎日開催できるわけではありません。競馬場維持のため非開催時にも何らかの収入が欲しいところです。
そこで馬場内にゴルフ場が整備される例があります。本場英国の事は分からないのですが、競馬場の馬場内がゴルフ場として使用されていた例はかつての阪神競馬場もそうですね。競馬もゴルフも英国発祥。愛好者に共通点があるのかもしれません。

直線や決勝線(ゴール地点)があったであろう場所を通り過ぎて、今度は第1コーナーに差し掛かろうかと言うところ。遊歩道の分岐が現れました。最終的には第3コーナー付近にある第一駐車場へ戻らないといけないので、第1コーナー→第2コーナー→向正面と回らないといけないのですが、その周回を一旦中断して左の道を進み馬場外へ出ることにします。
旧横濱競馬場の戦後の歩みが見られる場所

かつての横濱競馬場の馬場から出て観客席があった公園北側の区画にやってきました。のはずだったのですが、こちらはなかなか物騒な光景が広がっています。

戦中は帝国海軍に。戦後は進駐軍に接収された旧横濱競馬場。その大部分は昭和44年(1969)に日本政府に返還されましたが、一部の区域には今なお米軍施設が残されています。それは北側に集中していて、かつての馬場とスタンドの間にある米軍施設や、西側(左上)に広がる根岸住宅地区と呼ばれる米軍住宅など。後者は平成27年(2015)に全住民の退去が完了しましたが、家屋等がそのまま残されているためゴーストタウン化の懸念があるとニュースで見たことがあります。

撮影禁止区域と見て、一瞬この企画はボツなのかと残念に思ったのですが、そこは個人で楽しむものであれば自由との注釈を見て安心しました。

諸々の事情により現在は内部へ立ち入ることはできませんが、近寄ることが可能です。そちらへ行く事にします。
⚠公園内でのドギーの撮影について
横浜市の条例により公園での犬の放し飼いが禁じられているため、ドギーを繋いでいるリードを写真に映らない位置で手に持って撮影しております。
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