南国薩摩に「鰻」と書いて「うなぎ」と読む、変わった地名の集落があります。素朴な温泉と火山由来の蒸気釜、名前の由来になった鰻池があり、観光とは一線を画した滞在が可能です。
鰻池集落
鰻池の畔(ほとり)に広がる鰻池集落は通称。大字名は「成川」になります。
背後に山がありますが、この山なみは集落と鰻池をぐるりと囲う形状。この場所自体が元々火山の火口。すなわち阿蘇のようにカルデラ地形ということになります。鰻池は噴火口に水が溜まってできたカルデラ湖なのです。
鰻池集落の名物
決して観光地ではない鰻集落ですが、
温泉
スメ(天然蒸しかまど)
西郷隆盛逗留の地
この三本が鰻池の見所でしょうか。
あっつい!鰻温泉
鰻池集落の財産区で運営されている日帰り温泉。
湯の特徴は、とにかく熱い!
集落内には旅館等を含めいくつか温泉がありますが、源泉は90度超え。沸騰したお湯に近い温度の温泉が噴出していることになります。ゆえに熱い温泉に慣れていない集落外の人間が鰻温泉に入るには、場合によっては危険が伴います。そういう場所なので、体調等をよく考慮した上で入浴しましょう。
お風呂で一緒になった地元の方は「よそから来て入る人が熱い熱いと言うから、ずいぶんぬるくなった。水でうめるから温泉も薄くなったような気がする」と嘆いておられました。
天然温泉と言えば「温泉たまご」
入浴前に注文しておくと、上がった時に食べることができます。雨の日はスメ(蒸気かまど)の温度が下がるので、温泉卵が作れない場合があるそうです。
温泉の恵み・天然蒸気かまど「スメ」
温泉と並ぶ鰻池集落の名物「スメ」
漢字では「巣目」と書きます。
地下に滞留している温泉由来の熱蒸気を、コンクリートの筒等を埋め込むことで地上に逃がす道を作りつつ、それらの熱蒸気を集約して熱源にしたもの。スメの上から蓋をすることで、更に高温になり卵なら茹で卵に。芋ならふかし芋に…と言った具合で、地球のエネルギーで蒸し料理を作ることができます。
スメは各家庭に設置されている、鰻池集落の生活には欠かせないもの。天然蒸気かまどに温泉。鰻集落の暮らしがうらやましくなります。
鰻池集落では地表のあちこちから噴気や硫黄が露出しています。
スメなのか、ただの噴気孔なのか。空き地のようなところからも蒸気が出ていました。都会ほど街灯が無いので、飲んで帰る夜道は足元危なそうです。犬の散歩も気を付けなければいけません。
最敬称・南洲翁
集落の道路は円形。池から遠い東側は土地が高いため、集落には坂があります。この坂を登って行った先には、
西郷南洲先生遺跡紀念碑(さいごうなんしゅうせんせいゆいせききねんひ)
至る所で「南洲先生」「南洲翁」の呼び名を見かけます。特に後者「南洲翁(なんしゅうおう)」は、彼に最も敬意を払った呼称。さすがせごどんの地元・鹿児島です。同時期に薩摩が輩出した大物に「大久保利通」がいますが、人気の面では南洲翁とは対照的な扱いです。
明治6年政変(1873)に敗れる形で明治新政府を離れた西郷隆盛。鹿児島に戻った翌年、お供数名と犬を連れて鰻温泉にやってきた。目的は湯治(とうじ)。
朝7時頃に起きて温泉入浴。朝食を取ってから天気が良ければ犬を連れて狩猟に出掛けた。南洲翁は開聞岳を好み、狩りは大抵その山麓へ出かけた。
夕方、狩りから戻った南洲翁は成果を報告。お供の者が調理して、犬たちに与えた。一般的には禁酒家と言われる西郷隆盛だが、鰻温泉の夕食では少しの焼酎を晩酌として嗜んだという。
夜は読書。をしたかったようだが、毎夜色んな客人が来てその応対をしていた。宿の者は気を遣って席を外していた。客が帰ると大抵11時頃眠りについた。
また雨の日は狩りには出ず、村の子どもたちに勉強を教えていた。
ある晩、見たことの無いヨソモノ男が訪ねてきた。南洲翁とは旧知の間柄らしい。二人が話を始めてからいつものように席を外していたが、次第に離れた場所まで男の声が聞こえてくるようになり、やがて怒号さえ聞こえるようになった。その男の名は江藤新平(えとうしんぺい)。江戸を東京と改めた男で、佐賀の七賢人の一人に数えられる明治維新の立役者の一人。だが、南洲翁と同じく明治6年政変で下野。不平士族の首領として佐賀の乱を起こすが、新政府軍の攻勢に敗れて敗走。南洲翁に打倒新政府の加勢を頼みに来ていた。
表舞台から遠く離れた辺境の温泉地で交わされた激論は、宿の女将・福村ハツの証言を記録した毎日新聞記者によって、鮮明に語り継がれている。
※江藤新平について、こちらのサイトで詳しく書かせてもらっています。
【高知県東洋町甲浦】江戸を東京と改めた江藤新平の捕縛の地
→https://pilgrim-shikoku.net/shinpeietoarrestplace-kannoura
鰻池集落の地蔵信仰
鰻池集落で信仰を集める神仏に地蔵菩薩があります。
集落の地面至る所から噴き出す硫黄と噴気を地獄に見立てて、現世と地獄を行き来できる地蔵菩薩に救いを求めたと言えるでしょう。
鰻地蔵板碑に隣接して存在する無人のお堂。内部には奉納された方々の名前が掲げられていますが、驚きの「鰻」姓。地名と人名はリンクするものなのでそのような名字の方々が居てもおかしくはないですが、自分の生活の中ではまず会った事の無い名前。これも鰻池集落のオリジナルな部分です。
奉納品が清酒では無く焼酎。二本、三本…。これには少しほっこりさせられます。
ドギーの鰻池さんぽ
火口のカルデラ湖・鰻池。
鰻池集落を旅するナビゲーター犬として、うちのドギーが訪れました。
本当は集落を旅して、彼の目線であれこれ紹介したかったのですが、なんせ地面至る所から高温の噴気が出る集落内。安心して歩かせることができません。鰻池湖畔のおさんぽはがオアシスだったことをお伝えします。
湖沼名が示す通り、かつて鰻池には多くの鰻が棲息。ウナギの養殖が行われていたようですが、水質悪化や後継者不足などによって、現在は行われなくなりました。そのおかげか、鰻池はいつ訪れても静寂が保たれ、いつも変わらないひなびた温泉街が広がっています。