画面上部に戻る

story

そらうみ旅犬ものがたり

チーム益田の挑戦。第40回フェブラリーステークス<旧益田競馬場/島根県益田市>

島根県西部の街・益田にはかつて日本一小さいと謳われた競馬場がありました。平成14年(2002)8月に廃止され現存しませんが、こちらの競馬場ゆかりのスタッフさんたちがこのたびJRAのG1に挑みます。

益田競馬出身の現役ジョッキーたち。今回の第40回フェブラリーステークスには御神本(みかもと)騎手が騎乗

 

日本一小さい競馬場

かつての2コーナー奥の丘の上から益田競馬場跡地を眺めたところ

益田競馬場は島根県益田市西部、蟠竜湖(ばんりゅうこ)近くにありました。

1周…1,000m ※東京競馬場は2,116m
フルゲート…8頭 ※東京競馬場は18頭

日本一大きなJRAの東京競馬場と比べるとその半分以下という大きさで、在厩する馬の多くはサラブレッドではなくアングロアラブと呼ばれる馬たちでした。

通称アラブ。競走能力(=速さ)ではサラブレッドに軍配が上がりますが、一般的にアラブはサラブレッドと比べて体質が丈夫で短いレース間隔で出走することができる馬が多いとされます。
このことは主催者からすると少ない在厩頭数でもレースに頭数を揃えることができるメリットがあり、関係者サイドからすると頻繁にレースに出すことができて出走手当など収入の機会が増えるため、戦後の馬資源が不足していた時代を中心に一定の需要がありました。見た目はサラ・アラほぼ同じです。

益田競馬場はサラブレッドが走るためにはコーナーがきつい事などその優れた能力を余してしまいそうな気がするので、その点ではアラブ系の馬メインの競走体系が理に適っていたんじゃないかなあと感じました。

 

アラブ専門の競馬場とニホンカイユーノス

私の出身地である兵庫県尼崎市にある園田競馬場はかつてアラブ系の馬専門の競馬場でした。それゆえアラブ系種に馴染みがあり総じてタフな印象があります。

ニホンカイユーノスという1996年(平成8年)益田デビューの馬がいたのですが、当時園田競馬場で行われていたアラブ版日本ダービーに相当する第36回楠賞全日本アラブ優駿(現在は楠賞になりサラブレッドの競走)に遠征してきて好成績を収めた時のレースは、数ある競馬レースの中で好きなレースの一つです(優勝は現JRAジョッキー岩田康誠騎手騎乗のヤングメドウ)。
その後ニホンカイユーノスは園田競馬場に移籍してきて、現在JRAジョッキーになった小牧太騎手を背に一時代を築きました。

*好きな馬はなんですか?
と聞かれたら、今でもニホンカイユーノスと答えます。芦毛のかっこいい馬でした。動画を見つけてきて貼りましたが、見れるといいなあ。ラスト100mの「益田の馬がきたーーー」の吉田勝彦さんの実況は、何度聞いても結果が分かっていても心が震えます。

 

残された新スタンドから見る競馬場の痕跡

益田競馬場末期に建てられた新スタンドが唯一の旧競馬場施設

平成14年(2002)の休止(事実上の廃止)に際して旧スタンドは取り壊され、厩舎地区や馬場は他施設等に転用されているため、年々その痕跡を見つけることは難しくなっています。
ただし益田競馬場末期に建てられたこちらの新スタンドは現役で、現在こちらでは南関東(大井・船橋・川崎・浦和)の競走を中心とする場外馬券場になっています。
益田から競馬場が消えた今となっては、広い意味では益田に残された数少ない馬事文化と言えます。

益田競馬場の大きな特徴の一つが、スタンドと馬場の間に道路が横切っていた点

管理道路等を除き一般車両が通行可能な公道が競馬場の中に通っているという、日本広しと言えどそんな公営競技場は益田競馬場が唯一でした。

*それってレースに支障が出ないの?
確か道路の両端に警備員さんが立ち、レースが始まる前になると車両の通行を制限していたような。それか開催日の開催時間中は道路工事のように時間通行止めにしていたか。歩行者の立ち見禁止を呼びかける看板もあったような。記憶が定かでないのですがそんな感じだったと思います。

現在洪水調整池になっている場所はかつての駐車場

現在の駐車場は新スタンドの裏側(後述)にありますが、競馬場時代の駐車場は走路下にトンネルがあって馬場内に駐車する形でした。駐車場は無料で競馬場に入場しなくても外向発売所があり、馬券は職員さんの手売り。1つしかないモニターをファンの方々みんなで眺めていたように思います(記憶があいまい)。

奥に見える建物は介護付き住宅だったと思います。敷地内には他に益田市の給食センターや職業訓練校などが新たに立っています。

新スタンド2階から北側を眺めたところ。海に近い競馬場でもありました

広い駐車場になっているところがかつてパドック(下見所)と装鞍所があった区画。日本のパドックは楕円形が多いのですが益田競馬場は珍しい真四角でした。現駐車場の土地が一段低くなっているように、スタンド1Fからパドックで馬を見るときはその四角形の二辺から周回する馬を見下ろす形だったように思います。

 

益田競馬場の末裔

新スタンド内には上記の写真と共に、益田競馬出身の現役3騎手が着用する勝負服が展示されています

岡田大(1978年7月生まれ) 益田競馬場→浦和競馬場
1996年(平成8年)デビューして3ヶ月で益田競馬場最大のレース「第44回日本海特別」を勝ったのを覚えています。JRAに例えるとデビューしてほどなく宝塚記念を勝ったイメージ。
日本海特別は8月と1月に行われる益田競馬場最大のレースで後者は有馬記念に相当。ちなみに1着賞金は100万円(同じ年の宝塚記念1着賞金は1億3,200万円。勝ったのはマヤノトップガン)なのにも驚きました。

こちらは岡田騎手が優勝した日本海特別競走ではないですが、調べたら同競走の動画がありました。そうですそうです、益田は女性が実況してました。この時代は確か道営(ホッカイドウ競馬)もそうですね。
優勝したニホンカイキャロル号は益田の怪物・ニホンカイユーノスのお姉さんです。

今だったらこのように配信等でレースを見ることが可能ですが、当時は地方競馬のTV・ラジオ放送はもちろんインターネット配信なんてあるわけなくどうやって情報を入手していたかと言えば、地方競馬全国協会(NAR)に電話して月1回の会報のようなものを送ってもらって全国各地の地方競馬の情報を後から得ていました。その後「ハロン」って地方競馬情報誌が発刊されるようになったのですが、今もあるのかな?


秋元耕成(1980年8月生まれ) 益田競馬場→上山競馬場→浦和競馬場
益田競馬場の次のキャリアに山形県にあった上山競馬場(かみのやまけいばじょう)ってのが光ります。そちらへも何度か行きましたが今あって欲しかった競馬場の一つです。上山競馬場の廃止に伴い浦和競馬場へ移籍して現在に至ります。

かつての新スタンドでは南関東競馬場のレースを中心にレースが放映されている

御神本訓史(1981年8月生まれ) 益田競馬場→大井競馬場
みかもとのりふみ騎手。今回フェブラリーステークスに浦和のスピーディキック号で参戦するジョッキー。競馬学校時代から知られていた敏腕で、益田競馬場廃止当時にJRAが獲得に動いたと噂されるほど。大井競馬場でキャリアを積み重ねて廃止から20年の時を経てJRAのG1に有力馬の騎手として今回参戦します。
同馬の管理調教師である藤原智行氏は益田競馬出身。世話をする末田秀行氏は藤原氏のお父様の厩舎でデビューした元騎手。廃止前日に行われた益田大賞典で御神本騎手との競り合いに勝ち、益田競馬場での最初で最後の重賞勝利を収めたと記憶しています。金沢競馬場所属を経て浦和競馬場の藤原厩舎の厩務員に転身されていました。
そして益田から飛び立ち日本を代表するジョッキーの一人になった御神本訓史騎手。馬に携わる三者とも益田競馬場出身。

かつての「日本一小さな競馬場」から散り散りになり再会した3人が携わる馬がJRAのG1に挑戦するというだけでも、関係者ではないわたくしにでさえこみ上げるものがありますが、今回出走するスピーディキック号は有力馬の一頭。応援したいと思います。好勝負になりますように。

 

日本一小さな競馬場跡をおさんぽ

競馬場跡地は前述の公共施設や公道になり、当時は馬が走っていた場所をこうしておさんぽすることができます

この場所は向こう正面。かつてのコースで言えば2コーナーを曲がり切って向こう正面に入る辺りです。

日本一小さな益田競馬場が廃止になり20年経ちましたが、今回のフェブラリーステークスに関係者さんたちにまたとないチャンスが巡ってきたことが素直に嬉しいです。20年以上前の競馬場在りし日に2度訪れることができていたのが改めて良かったと感じました。

本当ならドローンを飛ばすと競馬場跡がよく分かるところなのですが、この場所は近くに萩石見空港があり規制があることから空撮は行っておりません。

今回訪れた場所

旧益田競馬場(きゅうますだけいばじょう)

日程

令和4年(2022)2月


back

前の画面に戻る

前の画面に戻る

© そらうみ旅犬ものがたり