日本には47の都道府県が存在しますがその中の3つ、もう少し足を伸ばせば4つめも迫っている地点が関東地方にあります。全県制覇旅犬として外せないスポットをドギーと訪ねその成り立ちを解きます。
三県境位置
該当するのは「埼玉・群馬・栃木」の三県。
埼玉…加須市(旧北埼玉郡北川辺町)
群馬…邑楽郡板倉町
栃木…栃木市(旧下都賀郡藤岡町)
それぞれ、
さいたま…かぞし(旧きたさいたまぐんきたかわべまち)
ぐんま…おうらぐんいたくらまち
とちぎ…とちぎし(旧しもつがぐんふじおかまち)
と読んで下さい。
県境すなわち交通や文化の分かれ目となるので一般的には山脈や河川で分けられていることが多い。実際こちらの三県境も当初制定された時は川が県界となっていたものが、その後の河川改修などによって陸地化したため生まれたもの。県境はそのまま引き継がれたのでこのような場所となったようです。
連続する陸地(=平地)に県境が存在する事自体珍しいものですが、それが三県接するとなると極めて稀な例です。
整備された三県境地点
三県が接することとなったのは決して新しい事では無く昔から存在していました。
それが情報の発達によって世間に発信されるようになり、関心の高まりとともに周辺が整備されたようです。ちょっとした公園のようになっており駐車場やお手洗いもあります。近くには東武日光線・柳生駅(やぎゅうえき)があり、都心などから交通機関を利用したのち徒歩数分でこの場所へ来ることもできます。
こちらが三県が接する地点。現在はU字溝が設置され水路で県が分かれていることがはっきりわかります。けれど人々の関心が向いていない時代は水路が無い場所もあり本当に平地が連続していて境界は地権者のみぞ知る様子だったとか。
この場所の出来事と三県境の成り立ち
現在の県境が確定したのは各県とも明治9年(1876)ごろ。当地は官営富岡製糸場に代表されるような殖産興業を推し進める大日本帝国にとって最重要輸出品であった生糸や絹織物の生産地。鉄道(陸上交通)が発達するまでは利根川やその支流である渡良瀬川(わたらせがわ)を川船を通じての輸送が行われた事でしょう。
他方では鉱業が発達。渡良瀬川上流の鉱山と言えば歴史の教科書にも登場する「足尾銅山鉱毒事件」。鉱山から流出する鉱毒混じりの水が下流へ流れ、特に河川改修未発達の時代は川が氾濫するとその鉱毒被害がより広範囲に及び、たまりかねた住民が代表者を立てて政府に直訴を行った。田中正造氏ですね。
結果的に渡良瀬川最下流で洪水被害の大きかった谷中村(やなかむら)を強制廃村、調整池(現谷中湖、渡良瀬遊水池)とすることで解決を図った。これには反対派のアジトが旧谷中村にあったことが真意のようです。栃木県の名の由来は当初県庁が置かれた街(現・栃木市)に由来するものですが、県南の政府に盾突く住民に県政を任せておくわけにいかないからと県庁を県北の現宇都宮市へ移した説があります。
しかしながら県庁の移転が明治17年(1884)。足尾銅山鉱毒事件が明治23年(1890)頃からなのでこれは俗説でしょうか。
鉱毒事件後、渡良瀬遊水池建設に伴って河川改修が行われ渡良瀬川自体の流れも大きく変わった。かつての狭く曲がりくねった流路は埋め立てられ場所によっては平地が誕生した。それがこの三県境地点だったようです。
三県境に接する二市一町の費用分担によって周辺が整備され記念プレートが設置されました。全て平成の大合併後の市町村名で記されています。
埼玉犬
埼玉はこれまで高速道路で通過しただけのドギー。三県境で埼玉県初上陸です。ドギーの立っているこの場所の合併前の町名は「北川辺町(きたかわべまち)」
加須市(かぞし)と合併する前は埼玉県で唯一利根川より北側に位置する自治体で、町が丸ごと飛び地のような存在でした。文化圏も埼玉県ではなく加須や栗橋に出るより茨城県の古河市(こがし)へ出る方が圧倒的に近く、そちらとの結びつきが強かった特殊なエリア。
利根川を少し下流へ進むとあるのが「猿島郡五霞町(さしまぐんごかまち)」
こちらは茨城県で唯一、利根川の南岸に位置する町。古河よりも幸手(さって)や栗橋の方が近く、町のメインバンクも茨城県に拠点を置く常陽銀行ではなく埼玉県の武蔵野銀行を指定金融機関としている。
どちらの特例も利根川の河川改修が生んだもの。三県境付近は文化的には茨城県、というよりも古河市の文化圏。実際に「埼玉・栃木・茨城」の三県境はすぐ近く。こちらは渡良瀬川上にあり行くことができませんが同地点に「三国橋(さんごくばし)」という名の橋が架かっています。
群馬犬
三県境で最も話題が薄いのが群馬県。現在の河川流路を見ると群馬県と同一なのが自然なようですが群馬色はあまりないのかもしれません。
栃木犬
埼玉県と同じく、うちのドギーにとっては高速道路の移動中でサービスエリアに降り立っただけだった栃木県へ降り立ちました。
上野(こうずけ)…群馬県
下野(しもつけ)…栃木県
どちらも毛の国で両県が接するエリアは「両毛地域(りょうもうちいき)」。JRの路線名も両毛線(りょうもうせん)ですが「け」の呼称は群馬県の方が好んで使用しているイメージがあります。
広大な栃木県。全てを訪ねて行くには相当な時間がかかりますが、まずはこれで上陸の足跡を残すこととします。
今や観光スポット
奥に見えている水色の屋根が「道の駅きたかわべ」。方角で言えば群馬県ですが道の駅がある丘の上は埼玉県。
ここで見えている群馬県部分は、三県境奥の田んぼから電線がある範囲と写真の右斜め奥から入って来る部分。埼玉県に群馬県が入り込んでいる印象ですが、これも元々谷田川の流れがあった場所で河川改修により平地になっています。
詳しくは地図をご確認ください。