かつて広島県の三次(みよし)駅から島根県の江津(ごうつ)駅まで、100kmを超える距離を結ぶ長大な鉄道路線がありました。
歩いて渡ることができた鉄橋
両者の都市名をとって「三江線(さんこうせん)」
広義的な意味では山陽と山陰を接続する陰陽連絡線となるべく建設され、国鉄路線としてはきわめて遅い昭和50年(1975)に全通を果たした路線でしたが、その役割を担うことはできず乗客減少により平成30年(2018)4月に廃止されました。
全長約108kmという100kmを超す長大路線の廃止は名寄本線など北海道では前例があったもののそれ以外の地域では初めての事であり、地域への影響等から注目が集まったのは記憶に新しいところです。
江の川と付かず離れずだった三江線
三江線の特徴として起点から終点まで多くの区間で一級河川・江の川(ごうのかわ)に沿って走っていたことが挙げられますが、廃止から数年経った現在も多くの場所でレールが残されていたり手つかずになっている場所が多く、こちらの第一江川橋りょう(だいいちごうがわきょうりょう)もその一つ。
当鉄橋の大きな特徴として橋の下流側に歩道部分が設けられていて、鉄道が走るすぐ横を歩いて通行することができる鉄道歩道共用橋だった事。三江線には江の川だけで10を超える鉄橋が架けられていますが、公式的に歩行者が歩いて渡ることができる鉄橋はこちらの第一江川橋りょうが唯一の存在でした。
鉄道が運行されなくなり老朽化と相まって現在は通行することができなくなっています。
粕淵集落と三瓶山
鉄橋の三次寄りの地点には粕淵(かすぶち)駅が設置されていました。空から眺めると赤茶色の石州瓦が特徴の家屋を多く見ることができますが、少し浮上すると集落の向こうに冠雪した山が現れました。
中国地方では珍しい独立峰として知られる三瓶山(さんべさん)。頂上付近に火口跡であるカルデラを持つ活火山で、最高地点の男三瓶山(おさんべさん)の標高は1,126mを誇ります。
かつて島根県内を走る「急行さんべ」と名付けられた列車がありましたが、名称はこちらの山名から取られたもの。
※ただし三江線を走っていたわけではなく山陰本線経由で米子-下関・小倉
山陰本線…三瓶山の北側
三江線…三瓶山の南側
急行さんべは昭和62年(1987)4月1日の国鉄分割民営化。すなわちJRとなってからも山陰路を走り続けましたが臨時列車化を経て平成11年(1999)に廃止され、現在は同名の列車は存在しません。
ドギーとおさんぽができた鉄橋
往時の歩いて渡ることができた時代にドギーと鉄橋をおさんぽしました。三江線廃止後は鉄橋を歩いて渡ることができなくなったので、このおさんぽはとっても貴重な思い出です。