日本一古い鉄橋が存在する山形県。それは一つだけではなく、荒砥鉄橋の双子と言える鉄橋が県内別の場所で現役運用されています。
日本最古の鉄道橋vol.2
名称:最上川橋りょう
所在地:山形県中山町・寒河江市
所属路線:左沢線
竣工年:大正10年(1921)
山形県民にとって母なる川・最上川(もがみがわ)。その中流部を付かず離れず走る路線が左沢線。読みの「あてらざわせん」は全国屈指の難読路線名ですが、そこへ架かっている最上川橋りょうは製造年を紐解くと「現役最古の鉄橋」になります。
こちら左沢線に架かる鉄橋は元々別の路線で運用されていたもの。全8連トラスのうち中山町側の3連は九州鉄道遠賀川橋梁(おんががわきょうりょう、現筑豊本線)として使用されていたもので、寒河江市側の5連は愛知・岐阜県境の木曽川に架かる初代木曽川橋梁(きそがわきょうりょう、東海道本線)。それぞれ鉄道の発達と共に次代の橋に架け替えられ、その際に分割して移設された先の一つが山形県のこの場所だったという事です。
初代木曽川橋梁が架橋されたのは明治20年(1887)。今から135年も前のもので全国見渡してもこれより古い鉄橋は存在しません。橋の構造は「ダブルワーレントラス」と呼ばれるものでトラス形状に特徴があります。
山形県内ではフラワー長井線が最上川を渡る際の鉄橋が同じダブルワーレントラス構造(橋梁名も同じ)ですが、これらは元々同じもの。木曽川橋梁として役目を終えた後、200フィート→150フィートへの改造が施された上で3連(フラワー長井線)と5連(左沢線)に分割されそれぞれの地に竣工しました。計画段階では長井線・左沢線は接続されることになっていたので、分けて同じ山形県内に移されたのにはそのことも関係していたのかもしれません。そのような生い立ちから両鉄橋は「双子橋」として長年親しまれています。
中山町側に架かる遠賀川橋梁(100フィート)は明治39年(1906)の竣工。こちらも相当古いものになります。径間は100フィートでトラス1つあたりの長さは木曽川橋梁より短い。遠賀川時代は11連あったようですが、8連が大糸線高瀬川橋梁(長野)・3連が左沢線最上川橋梁(山形)・1連が田川線彦山川橋梁(福岡)へ移設されたことが記録されています。
どちらのトラスも最初からこの場所で日本最古の時間を刻んでいるわけではありませんが、鉄道黎明期の構造物を目にすることができる場所としては貴重です。
母なる川と母なる山を同時に見ることができる場所
山形県民にとって「母なる川(=最上川)」と「聖なる山(=月山)」を同時に体感できるこの場所は、山形を代表する景色の一つと言えます。
ここでは月山に目が行きがちですが、その反対側では蔵王山の山並みを望むこともできます。