能登半島の先端は「禄剛崎」と書いて「ろっこうざき」と読みます。
能登半島最先端の地に立つ白亜の灯台
能登は北前船など日本海を行きかう船舶にとって重要な場所であり古くからその存在が知られていました。
時に食糧の補給。悪天候時の風待ちや船員の休息など一定の需要があり、金沢など街道のメインルートから遠く離れているにも関わらず陸地には集落が発達しました。
しかしながら海流の速さからくる浅瀬への座礁事故なども多く発生していたようで、陸地の存在を知らせるために古くから狼煙(のろし)が上げられていたようです。灯台がある場所の地名(字名)は狼煙とつくのはそのためです。
禄剛埼灯台
禄剛埼灯台は明治16年(1883)7月10日初点灯。同年同月27日、東京に鹿鳴館が完成しています。
石造灯台の資材は船で運ばれ岬の崖下に下ろされ、設置された索道によって引き上げるという難工事となり完成まで2年を要したことが伝えられます。
灯台に掲げられている扁額に初点灯日が記されていますがそこには菊の紋章が入っており、同様のものは他では見ることができない禄剛埼灯台唯一の特徴になっています。
ドギーと禄剛埼灯台
ドギーと訪れたときは初春の陽気に誘われたお出掛け日和の心地良い天候。そのわずか1ヶ月少し先でこの場所が大地震の震源地になるとは思いませんでした。
このたびの能登半島地震に被災された方々の無事と、能登の人々に一日でも早く平穏な暮らしが戻りますよう願っております。