長崎を旅するにあたり訪れたい場所に教会があります。平戸島のほぼ中央部、白亜の美しい教会がある集落をドギー訪ねました。
白亜の大きな教会堂
名称:紐差カトリック教会(ひもさしかとりっくきょうかい)
所在地:長崎県平戸市
竣工年:昭和4年(1929)
長崎県平戸島のほぼ中央部、紐差集落の高台に位置する白亜の教会。設計・施工にあたったのは、明治後期から昭和中期にかけて長崎県を中心にカトリック教会堂の建築を行った鉄川与助(てつかわよすけ/1879-1976)。
長崎、特に平戸という島嶼部は潜伏キリシタンが連想される土地柄。
明治になって禁教が解かれると、自分たちの教会堂を持つ方向へ動いた。
という図式が広く知られているお話ですが、紐差教会に関しては元々仏教徒だった人々が改宗を行って信者になったという、興味深い伝承があります。理由は定かではなくこれは自分の想像ですが、この地域の人々はありがたいものをそれは神、いやいや仏などのような区別をしていなかったのかもしれません。
例えになるかどうか分かりませんが、私が暮らす四国で八十八ヶ所を回っていると昔のお遍路さんたちが寄進した標石(しるべいし=道標)を頻繁に目にすることがあります。それらの標石のうち結構な本数において「長崎」「肥前國」と記された標石を見つけることができます。実際に佐世保や五島列島等に八十八ヶ所を移したミニ八十八ヶ所があることから、長崎の風土として元来神仏への信仰心が篤い地域なのでは、と考えております。
自分が記事を書かせてもらっている四国遍路情報サイト「四国遍路」に、長崎県(肥前國)の方が寄進した標石の記事があります。
紐差の方々は地域に確固たる信仰の場所ができたからそちらへ通うようになった。それがたまたま教会だった。紐差集落が平戸島の中央部に位置しているアクセスの良さもあったかもしれません。
※想像です
紐差集落
紐差教会が建てられたのは昭和初期。鉄川与助氏が手掛けた教会としては新しい部類に入りますが、長崎原爆で浦上天主堂が倒壊して再建されるまでの昭和20年(1945)8月~昭和34年(1959)11月の期間は日本一大きな教会堂だったとされます。
長崎県では平成30年(2018)6月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコ世界遺産に登録されましたが、そちらに紐差教会は含まれておりません。平戸エリアでは動画「0:00~0:05」で中央左に見える安満岳(やすまんだけ/530m)が潜伏キリシタン信仰の山として世界遺産に登録されています。
教会内部は美しいアーチを描く柱やステンドグラスがはめこまれた窓が存在しますが、訪問時は新型コロナウイルス対策の関係で、一般の方々の見学は中止されていました。信者さんにとって信仰の場であるため、普段から内部の撮影は出来なかったように記憶しております。