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そらうみ旅犬ものがたり

学校の教室に泊まれる。かつて鉱山団地にあった小学校<自然王国白滝の里/高知県大川村>

四国のほぼ中央、山の中に小さな村があります。村の名前は土佐郡大川村。人口約350人は青ヶ島村など離島の自治体を除けば日本で最も人口が少ない自治体になります。

びっくりするくらい山の中にかつて高知県一の鉱山があった

 

学校の教室に泊まれる。かつて鉱山団地にあった小学校

大渇水になり早明浦ダムの水位が減るとかつての役場庁舎がダムの湖底から現れる映像が流れますが、そちらがかつての大川村役場。早明浦ダムの完成によって村にある集落の大部分がダム湖底に沈み、同時期に村内の鉱山が閉山していたことにより多くの村民が離村しました。

1960年代には人口4,000人を超える人々が大川村に暮らしていたのが信じられないほど、現在は静かで落ち着いた風景が広がります。

向こうの山の中腹付近にかつて坑道や選鉱所があったそうです。背後の山が愛媛県との県境で索道が架けられていた

かつて村内に存在した白滝鉱山(しらたきこうざん)では銅が採掘されていました。開坑は古く元禄12年(1699)の記録が残されています。

鉱毒水の問題や採算性の問題等により以降は閉坑と開坑を繰り返してきましたが、明治20年(1887)9月に鉱山の経営権が住友家の手に渡ってからは経営が安定。後年四国では第3位、高知県では第一位の産出量を記録することになります。

かつて鉱山団地にあった小学校が整備・増築され体験型の宿泊施設になっている

その後白滝鉱山の経営を引き継いだ宇都宮荘十郎によって近代化が図られ、白滝集落は大いに賑わいました。山を越えて現在の愛媛県四国中央市へ至る約21kmの架空索道(さくどう)が整備され、往路(愛媛方向)では銅の鉱石が山を越えて輸送。復路では米などの食糧や生活物資が白滝に運ばれます。

鉱山最盛期には従業員の家族ら数千人が暮らすほどになり、索道によってもたらされる物資で近隣の山村より豊かな暮らしが実現していたそうです。映画館など娯楽施設もあり、高知市でも上映されていない最新の映画を白滝では見ることができたとか。小学校もありました。

 

自然王国白滝の里

谷水が引かれた25mプール。ドギーはプールサイドでのおさんぽ

しかしながら白滝鉱山は採算性等の問題で昭和47年(1972)3月に閉山。昭和54年(1979)に会社用地は大川村へ引き渡されました。

そのうち旧小学校の再整備が行われ「自然王国白滝の里」としてスタート。体験型の宿泊施設となり、かつての教室での宿泊や体育館の利用、夏季にはプールも利用することができます。ただしプールの水は谷水を直接引いたものでとても冷たいそうです。

はちきん地鶏の炭火焼ディナー

夕食には大川村で育てられているはちきん地鶏のバーベキューや、追加料金で大川牛を食べることもできます。村内で育てられている大川牛は年間の出荷頭数が少なく、幻の牛と称されているようです。

 

白滝の作り手さん

出発時に白滝のスタッフさんと写真を一枚。以前自分が先達としてお四国参りを案内させて頂いたお遍路さんで旧知の方

先日、自分が運営しているだんらん旅人宿そらうみへ来てくれた2名の女性リピーターさん。夕食だんらんの中での他愛もない会話で、

「明日はどちら行かれるんですかー?」
*「白滝言うとこです」
「…それって大川村の?めっちゃ山ん中ですよ!」
*「みたいですねえ。地鶏の炭火焼食べれるとかで」
「人口350人の小さな村ですけど、一人そこで暮らしている方知ってますよ!ちょっとメールしてみよ」



■「ああ、●●さんね!予約もらっとりますき」
「ええー」
「観音さん(←あだ名)白滝のスタッフさんだったんですか!」
■「びっくりするくらい山の中やき、運転気を付けて来てもろうてね」

このような土佐弁全開でのやりとりがきっかけになり、後日時間を作って自分とドギーも訪れた次第。旅人さんが繋いでくれたご縁ですね。ありがとうございました。

 

自然王国白滝の里
https://www.sirataki.or.jp/

※ドギーは車中泊しました

今回訪れた場所

自然王国白滝の里(しぜんおうこくしらたきのさと)

日程

令和4年(2022)6月


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