「北海道」とは明治時代になって命名された地名ですが、その考案エピソードになった場所が道北の天塩川(てしおがわ)沿いに存在します。
北海道命名の地を駆け抜ける特急サロベツ
北海道命名のエピソードになった場所は音威子府村。「おといねっぷ」と読みます。鉄道で旭川から稚内へ向かう場合おおむね半分の距離に位置する村で、人口約830人は北海道で一番小さな自治体です。
安政4年(1857)6月。天塩川探索を行っていた松浦武四郎一行がこの地を訪れた際、アイヌの長老アエトモからアイヌ語を教わりました。その中でアイヌの人々が自分たちの土地を指す「カイ」という言葉を知ります。
明治になり新政府は蝦夷地を日本の領土として画定すると共にその改称に着手しました。豊富な蝦夷地探検の実績を買われ蝦夷開拓御用掛の役職に就いていた松浦武四郎は、明治2年(1869)新しい蝦夷地の名称について意見書を提出します。その中の一つに「北加伊道(ほくかいどう)」がありました。加伊とは前述のアエトモ長老の出会いで教わったアイヌ語で土地を表す単語に漢字を当てたもので、それまでに国内に存在した東海道や南海道の地名に倣う形で北海道となりました。
道内各地の地名
音威子府はアイヌ語の「オトイネプ」(川口が泥んこの川)、天塩川はアイヌ語の「テッシ・オ・ペッ」(梁が多い川)が語源。ここでの梁(やな)とは川の中にある岩を魚を捕る仕掛けの梁に例えたもので、アエトモ長老と出会ったこのときの探検は天塩川を河口から上流へ遡ってこの地を訪れておりました。
現在この場所には国道40号や対岸には宗谷本線の列車が走っており、鉄道は本数が少ないもののタイミングが合うと列車が北海道命名の土地を横に見ながら駆け抜けて行きます。
北海道命名之地に立つドギー
うちのドギーは松浦武四郎氏のような偉大な探検家ではありませんが、各地の名勝旧跡を訪ねる旅犬として色んな土地の自然と歴史に触れております。