道北を目指して日本海側、通称オロロンラインを走っていると「小平(おびら)」という街があります。かつて鰊漁や炭鉱で賑わったこの地は終戦間もない頃に疎開船が襲撃された悲しみの地でもあります。
樺太緊急疎開船へ国籍不明潜水艦の襲撃
終戦から1週間経った昭和20年(1945)8月22日。ここ小平沖を通りかかった輸送船三隻が国籍不明の潜水艦に相次いで魚雷攻撃等を受け、そのうち二隻が沈没。乗員乗客合わせて1,700名以上の尊い命が失われるという大変痛ましい事件が発生しました。
三隻の船は全て樺太からの緊急疎開船で、ソ連軍の樺太侵攻によって住む場所を追われた人たち。疎開上陸予定地である小樽を目指して航行中のもので北海道上陸はあと少しと言うところでした。
日本がポツダム宣言を受け入れたことによって米英は即座に戦闘を停止。ですが樺太へ侵攻したソ連軍にそれは通用しなかったようです。それどころかまだこの段階では北海道の北半分を手中に納めるべく行動中であったとも。ロシアが世界一大きな国土を持つのは領土への野心が世界一だからかもしれません。
日本最北の文化財
三船殉難事件の慰霊碑がある向かいに大きな木造建造物がありますが、こちらは当地で鰊漁において最も繫栄した花田家の番屋だったもの。
番屋とは漁民が漁場の近くの海岸線に作る作業場兼宿泊施設の事で、当所の場合は2階建てのうち主に1階は作業場で2階は居住区。花田家やその一族と従業員ら多い時には200名以上がこの建物内で食住を共にしていたようです。建物は「旧花田家番屋」として重要文化財に指定され、建造物においては日本最北の重文指定を受けています。
付近は道の駅として整備され建物外観は鰊番屋を模したもの。道の駅の名前は「おびら鰊番屋」です。
三船殉難事件の地を訪問したドギー
波が押し寄せ静かな風の音と合わさってとても心地良い場所でした。いまこうして北海道を旅することができるのは平和だからなのだと、この地に立つと改めて実感することができます。