東北秋田にかつて面積日本第二位を誇る湖があり名前を「八郎潟」と言いました。現在は陸地化され本州とは思えない広大な農地が広がっています。

ニューヨークと同じ緯度にあるかつて日本第二位を誇った湖
八郎潟では有史以来湖を陸地へ変える小規模な干拓が行われてきましたが、湖を埋め立ててしまうほどの大規模干拓が実行に移されたのは戦後の事。人口増加にあたり食糧増産や雇用機会を生むことを目的に昭和32年(1957)に着工されました。昭和39年(1964)の干拓式をもって当初の計画が完了。同年10月には干拓地に新たな自治体「大潟村」が発足しましたが、合併や分割を伴わない市町村の誕生は秋田県のみならず日本全体としても最後の事例になっています。
かつて面積が220㎢(①琵琶湖669㎢②八郎潟220㎢③霞ヶ浦220㎢)あった八郎潟は多くが陸地化され、南東部の八郎潟調整池や干拓地を囲う形で残された東部承水路と西部承水路といくつかの水路を合わせた現在の八郎潟の面積は48㎢で日本第⑱位になっています。
また干拓以前は満潮時に海水が流入する汽水湖だったものが農業用水確保のため、唯一の流出河川である船越水道に八郎潟防潮水門設置することで淡水化が完了。干拓前はシジミなど汽水域に生息する生物とそれらを獲る漁業が行われていましたが、現在は限定的なものになっているようです。
陸上に誕生した経緯度交会点

かつて水域だった場所を陸地化したことによって訪れることができるようになったのが「経緯度交会点」
北緯40度と東経140度の交点かつそれが陸地上に誕生しました。場所は大潟村のほぼ中央部で、八郎潟全体としてもほぼ中心と言って差し支えない地点。
40や140のようなちょうどの数字が交わる場所は世界中にたくさんありますが、
海洋7:陸地3
と言われる地球においてその地点の多くは水上にあり人類が立つことができません。実際干拓以前の同地点も湖上にありました。

世界地図を広げてみると北緯40度にある都市はニューヨーク(アメリカ合衆国)・北京(中国)・ナポリ(イタリア)・マドリード(スぺイン)など。
東経140度にある都市はハバロフスク(ロシア)・キングストン(オーストラリア)など。
干拓の是非については見解が分かれるところですが、本州の中で日本離れした広大な景色を堪能することができるようになった点は、戦後誕生した新たな観光資源と言えそうです。
大潟村は干拓地であるがゆえ土地の起伏がほぼ無く遠くの景色を眺めるにはあまり適した場所ではありませんが、空から八郎潟干拓地を眺めてみるとその先には男鹿半島の寒風山や世界自然遺産の白神山地。東北を代表する名峰の鳥海山が見えることが分かりました。
このたびの秋田大雨災害に遭われた方々の無事と、被災地に一日でも早く平穏な暮らしが戻りますよう願っております。