北陸地方に「吉崎」という場所があります。こちらは住宅街の中に福井県と石川県の県境線が通っている珍しい地域になっています。
屋根瓦の色で県が異なることが分かる街
福井県あわら市吉崎●丁目
石川県加賀市吉前町
どちらも吉崎を名乗っています。地図で見ても山や川で隔てられているわけではなく、連続した同じ住宅地。少し地図を引きで見てみると吉崎の部分はどちらかと言えば石川県の領域で福井県が有利なように県境が曲げられているようにも見えます。
この奇妙な県境線は文明3年(1471、室町時代)に吉崎にやってきた蓮如上人(1415-1499)に起源があるとされます。浄土真宗の僧侶である蓮如は比叡山での迫害から逃れるため越前國吉崎を訪れ、この地を仏教不況の拠点とした。吉崎はその門前街として栄えることになります。
吉崎には鹿島の森というほぼ海に面した小高い丘があり、吹き付ける厳しい季節風を遮ると共に見張り台としての機能も有していることから、その部分が一種の要塞であったとも考えられます。北陸地方において本願寺派が強い勢力を持っていたことは、一向一揆の勢力として時の為政者である室町幕府や織田信長らを代わる代わる100年近い期間に亘って苦しめたことからも明らかです。
明治初期の府県統合では一時期北陸三県が一つの石川県(=大石川県)になり吉崎は境目の街ではなくなる時期がありましたが、その後明治14年(1881)福井県が分県したことにより吉崎に県境線が引かれることになりました。その際には前述のように新政府の裁定を仰ぐ事態になりましたが、蓮如上人ゆかりの吉崎御坊があったのは旧越前國という主張が通り吉崎が福井県に編入されたものと考えられます。
県境の見分け方(一例)
吉崎を歩いているとそこが福井県なのか、石川県なのか。見分ける方法はいくつかあり、
家屋に掲示されている選挙候補者のポスター
駐車している自家用車のナンバープレート
道路の舗装が変わっている場所がある
マンホールのふたに表記されている管理者
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主だった特徴としてはそんなところですが、吉崎の場合は空から眺めてみると屋根瓦に特徴があります。福井県側は黒っぽい越前瓦の家屋が多く石川県側は赤っぽい加賀瓦の家屋が多くなっています。この点はgoogleearthでも見て取れます(全てがその國由来の瓦なわけではありません)。
かつては越前の中に加賀がある、またはその逆と言ったいわゆる飛び地が入り乱れていたり両県に跨って立つ民家があったりしたようですが、区画整理が行われ現在はそのようなことはないようです。
越前加賀県境の館
唯一県を跨いで建てられているのが「越前加賀県境の館」。入口が両県に跨っていて館内の床には県境線が記されています。
この場所では毎年綱引きが行われていて、その勝者が領地を少し拡張できるというイベントが人気を博しています。