我が国の近代化に大きく寄与した鹿児島県の曽木発電所。このエリアにはその遺構の他に観光名所となっている滝があるので、そちらにも行ってみます。
曽木の滝
ダム湖に沈んでいる曽木発電所。そちらは正式には「曽木第二発電所」です。なので「第一発電所」がありました。それは第二発電所の少し上流に位置しています。
天下人「豊臣秀吉」は薩摩(現鹿児島県西部)の島津攻めの帰り、肥後(現熊本県)に向かう途中でこの滝を見るために立ち寄ったと伝わります。昭和32年(1957)に当地を訪れた「柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん/1885-1967)」はその話を聞いて
「もののふのむかしがたりを曽木の滝 水のしぶきにぬれつつぞ聞く」
と詠んだ。柳原白蓮は大正天皇の従妹(父が大正天皇母の兄)で、朝の連続ドラマ小説「花子とアン」では「葉山蓮子」として描かれました。吉高由里子さん演じる花子の友人として女優の仲間由紀恵さんが好演したのは記憶に新しいところです。
曽木の滝は那智の滝のように一本が高いところから流れている形状ではなく、上流から流れて来た川の水が分散されて落下することで幾筋も滝が重なる独特の景観を作り出しています。
旧曽木第一発電所
第一発電所はこの「曽木の滝」近くにあったようでここではその遺構をいくつも見ることができます。
水力発電は水が流れる力でタービン(発電機)を動かして電力を作る発電方法。そのためには十分な水量と高いところから低いところへ水が流れている必要があります。曽木の滝は水力発電に必要な要件を自然の状態で満たしていました。
滝から取水された川の水はこちらの導水管を伝って流れ、下流に設けられた発電所のタービンに送られることで発電が行われました。その電力が化学工業の発展や様々な日用品を生むことになったのは前述の通りです。
曽木第二発電所の記事はこちらです。
先へ進み川に近付いたところで、大人でも少しかがめば通ることができるくらい大きな円が開いていました。すなわちこれほど大きな導水管によって発電用の水が流されていたことになります。近付いて見ると天然の岩盤をくり抜いたものでは無く、積んだ切石に後から穴を開けたもののようでした。
曽木第一発電所では稼働から3年後の明治42年(1909)9月に洪水が発生。発電所が被害を受けて発電が停止されました。
それによって滝の下流に新しく建設されたのが「曽木第二発電所」。そちらでは昭和40年(1965)2月に操業停止になるまで発電が続けられました。鶴田ダムの完成によって湖に沈んだ旧第二発電所の遺構は、夏が来ると姿を現すサイクルが繰り返されています。
紅葉は美しいけれど、ここに来たらやっぱり…
曽木の滝がある大口(現伊佐市)は標高が高く内陸であるため、一日の気温差や冬の冷え込みが南国薩摩とは思えないほどきつい。紅葉見物にも適した土地と言えます。紅葉はもちろん素敵なのですがここに来るのであれば出来れば初夏に。ダム湖から姿を現した旧曽木第二発電所を眺めて頂きたいです。