平成29年(2017)7月に発生した九州北部豪雨により、鉄道として復旧されることがなかった日田彦山線。同線の名物駅の今をドギーと再訪しました。

九州北部豪雨で失われた鉄路

前述の通り、日田彦山線は平成末期に発生した豪雨災害で沿線が大きな被害を被りました。元々利用者が少なく、多額の復旧費用を投じたところで新たに赤字が増大することが明白であり、運行するJR九州は復旧作業は行わず廃止の意向を表明していました。
しかしながら、同線が走っている福岡県東峰村にとっては唯一の公共交通機関であったため、鉄道の復旧を強く要望。交渉は長期間に亘ったものの、結果的に福岡県が仲裁及び支援する形でBRTでの復旧に着地しました。
既に被災後の姿ですが、BRTでの復旧が決定していなかった時期に訪れたので、レールやプラットホーム等はそのまま(手つかず)です。
BRT

BRTとは「bus rapid transit」の略で、日本語ではバス高速輸送システムと呼ばれます。
ここでの「高速」の根拠は、走行スピードが速いと言う意味ではなく、バス専用道路を走ることにより定時性が確保出来る事を指します。海外では都市部などにおいて、予め建設されたバス専用道路を走ることで定時性を確保するBRTを見ることができますが、日本でそれは少数派な気がします。愛知県の名古屋市のゆとりーとラインが数少ない例ではないでしょうか。
日本では大きな災害に遭ったJR路線が復旧を断念。その旧鉄道路盤に舗装など改修が加えられてバス専用道路に転用される例が多く、BRTと聞くと被災した鉄道路線の復旧形のようになっています。平成23年(2011)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に被災した気仙沼線・大船渡線は、被害の大きかった沿岸部の区間がBRTとして復旧しました。こちらはいち早く公共交通機関を復活させるためにBRTを仮設。それがそのまま既成事実になった感があります。
BRTひこぼしライン

日田彦山線BRTと言うものの、それが全線に亘ってBRT化されたわけではありません。
小倉
│🚞 (※61.km)
城野
│🚞 39.5km
添田
│🚌 7.7km
彦山
│││🚌 14.1km
宝珠山
│🚌 7.4km
夜明
│🚌 (※8.5km)
日田
日田彦山線は城野(じょうの)-夜明(よあけ)の68.7kmですが、全ての列車が小倉発着で運行されます。終点側も鉄道時代は日田駅まで運行されていました。
現在の日田彦山線BRTは添田-日田で運転されていますが、BRTの根拠になるバス専用路線を走るのは彦山-宝珠山の区間に限られます。

同じ区間を自家用車等で移動するのであれば、大きく迂回する国道500号か狭路が続く福岡県道52号のどちらかを選択することになります。前者は時間がかかり、後者は常時安心して通れる道ではありません。これらの区間を通行することなく時間と距離を短絡することができる釈迦岳トンネルの存在が、BRT(bus rapid transit)の根拠になった形です。
そしてもう一つの理由が、同区間に存在するコンクリートアーチ橋群の存在です。日田彦山線BRTのアイコンに使用されている絵柄がそれになります。そこをバスが走る観光資源として存続を模索する道筋です。
コンクリートアーチ橋は主に昭和時代になってから建設された路線で用いられた工法で、特に炭田が多かった九州北部で多く見ることができる気がします。鉄は不足しているから鉄橋は架けられないけれど、戦争を継続するためには物資を運ばないといけないので鉄道が必要。そのような地域で見ることができるのがコンクリートアーチ橋です(他にも理由があると思います)。
時代が下ってそれが観光資源に成り得る可能性があるなんて、世の中どうなるか分かりませんね。
昭和時代に建設されたコンクリートアーチ橋について書いている記事はこちらです。他にもいくつか同様の場所を訪ねた時の記事がありますので、タグの「コンクリートアーチ」からたどってみてください。

手元に昔の時刻表が無いので鉄道時代の運行本数が分からないのですが、かつて乗車した時はこんなに本数は無かったように記憶しています。運行経費面からも便数を増やせるのはBRTのメリットですね。

日田彦山線の星になることができるように願いを込めて名付けられたのが、ひこぼしラインの由来。鉄道ファンとしては日田彦山線が鉄路復活にならなかったのはとても残念ですが、ひこぼしラインが未来へ続く路線であるよう尽力されている、JR九州や福岡県の思いやりを見た気がしました。
BRTひこぼしライン

宝珠山駅(バス停)の南方向を眺めると、日田方面に続いていたレールが少しだけ見えました。簡易な転車台が設置されているようで、これからイベント等に使用するのかなあという感じです。
そのことも含め、後編で紹介させて頂きます。