歌枕の地として数多くの俳人が訪れた象潟(きさかた)。俳聖と呼ばれる松尾芭蕉も、先人の足跡を追って象潟を訪れました。その時と今では景色が異なりますが、かつてこの辺り一帯が海であり島々が広がっていたことを、こちらの寺院の境内から窺い知ることができます。
象潟を代表する寺院
「蚶満」は潮の満ち引き=干満に通じ、この地が海であったことを伝えています。
山号の「皇宮」は、神功皇后(じんぐうこうごう)がこの地に留まった伝説から。寺号の読み「かんまん」はかつて寺が真言宗であった時代に、不動明王の真言「…ウンタラタカンマン」から名付けられた説もあります。
あの人は戦国大名の末裔?
境内への入口にある古い山門。
古さを感じる山門は、江戸時代中期の建造との推定。当地を治めていた矢島(やしま)藩主・生駒家の寄進によるもの。
生駒氏と言えば豊臣秀吉恩顧の武将で、遡ると讃岐國を治めていた戦国武将。現在、ドギーと飼主が暮らす香川県のお殿様ですね。それが徳川の時代になってからお家騒動が発生。徳川家光の耳に入り、讃岐國から出羽矢島藩(現秋田県由利本荘市)へ転封となる。冬には雪が多い厳しい気候という讃岐とは正反対の土地に移ったものの、当地で家系が途絶えることなく明治維新を迎え、大名として名誉を回復している。
※生駒騒動について、こちらのサイトで詳しく書かせてもらっています。
【法泉寺】法泉寺に祀られている生駒家のその後
→https://pilgrim-shikoku.net/hosenji-ikomafamily
「由利本荘」
の
「生駒さん」
と言えば「乃木坂46」で初代センターを務め人気アイドルグループへ育て上げた「生駒里奈」さん。秋田県由利本荘市出身のようですが、この街は江戸時代に生駒氏が転封になった旧矢島藩を市域としています。そして姓が殿様と同じ「生駒」。生駒ちゃんは戦国大名の末裔かもしれません。もしそうであれば、遠い先祖は讃岐國の人物ということになります。
あれこれ縁や繋がりを想像して楽しむ。歴史の楽しみ方の一つです。
お地蔵様と地震供養
蚶満寺の境内にいくつか祀られている仏様のうち、こちらは六体ある地蔵菩薩。
いわゆる「六地蔵」
仏道の上では子どもが死ぬと、その恩を親に返す前に亡くなった。ということで、地獄に落とされてしまいます。そこで親に詫びるために河原の石を積むことで懺悔を行うのですが、その様子を見ていた鬼が現れ一生懸命積んで出来上がった石塔を蹴倒して、また一からやり直しになってしまいます。その繰り返し。地獄にも雨は降るようですが、上空は紅蓮の炎に巻かれていて、雨が降っても炎に当たったところで蒸発してしまい、子どもの元へは落ちてきません。
まさに鬼のような話です。
そんな環境にあって救いのヒーローとなるのが、お地蔵さま。地蔵菩薩はこの世とあの世を行ったり来たりすることができて、特殊な力で守られているので地獄の炎に巻かれず、子どもの元へ現れることができます。
今日、水子供養でお地蔵さまに水をかける風習があります。これは地蔵菩薩に水を掛けることによってお地蔵さまが持つ水筒(?)に水が溜まります。それを地獄の炎に巻かれずに、飲み水を待ち望んでいる子どもに持っていくことができる唯一の存在が、お地蔵さま。現世に生きる遺族がそうすることで、亡き子どもへの供養になるわけです。
東北地方と言えば冷涼で、昔は思うように米が採れず、飢饉が頻発したことでしょう。そうなると「口減らし」として、止むを得ず子どもが間引かれる…なんてことは、珍しいことではなかったように思います。祀られているお地蔵さまには、その供養も込められていることでしょう。
蚶満寺の六地蔵横に、象潟の海が陸地化した象潟地震から百年経った時に建てられた供養塔がありました。
文化元年6月4日(1804年7月10日)の22時頃の発生。死者は366人と記録されています。
寺から眺める西の松島
「松島は笑ふが如く、象潟はうらむが如し」
と芭蕉が絶賛した羽後象潟の風景は、陸前松島に似た島々が広がる風景だったのでしょうが、現在は田んぼの中にある丘。蚶満寺の周辺では、かつての多島美をより感じることができます。
象潟は江戸時代の地震だけでなく、時折鳥海山の噴火の影響も受けている土地。
それも恐竜が闊歩していたような数千万年…という時代ではなく、数千・数百年のいわゆる有史の時代に風景が変わるほどの自然現象が何度も発生していることから、学者らの評価が非常に高い。そのため、天然記念物に指定されています。
かつて海であった象潟の必需品「舟つなぎ石」
現在の象潟の陸島には、大なり小なりこのような石の柱を見ることができる。
能因法師、西行法師、松尾芭蕉…
「俳人の聖地」として象潟を訪れた歴史上の歌人たちは皆、この石に縄で舟を繋ぎ、島々に上陸したことでしょう。
芭蕉句碑
西施(せいし)
とは、古代中国に居たとされる絶世の美女。世界で有名な美女と言えば
「楊貴妃(ようきひ)・クレオパトラ・小野小町(おののこまち)」
が有名ですが、西施はその世界三大美人には入っていない。
芭蕉が象潟を訪れたのが旧暦の6月16日(現7月下旬)。俳句に詠われているような、雨降りのどんよりした日であったことでしょう。
美女の定義は、国によって・時代によって全く異なるのが世の常ですが、西施の悩める点「大根足」。西施を描写する際、常に裾の長い衣をまとっている姿が描かれますが、これはその太い足を隠すためだったとも伝わります。
その西施悩める姿と、芭蕉にとっては「せっかくの聖地巡礼」なのに、夏に咲く合歓の花(ねむのはな、夏の季語)を濡らすような雨が降るこの時の象潟の様子は、西施と同じように悩む心境を重ねたものでしょうか。
「松島は笑ふが如く、象潟はうらむが如し」
太平洋側の松島は晴れることが多くても、日本海側の象潟は夏でもどんより曇ることが多い…
このことは、当地の気候の特徴を、よく捉えていると言えます。
日本を代表する観光列車との遭遇
蚶満寺の境内入口には、JR羽越本線(新津~秋田/271.7km)の線路があり、踏切があります。
「カンカンカンカン…」
列車本数は多くないものの、お寺を参拝していると踏切の警報器音と、列車が駆け抜けていくのがわかります。
参拝を終えて、踏切が近い駐車場に戻ると警報機が鳴り、慌ててスタンバイ…
一瞬、何が来たのかわかりませんでした。でも、ただ者ではない列車のオーラは伝わってきました。
JR東日本のフラッグシップ「トランスイート四季島」
かつての寝台列車ファンからすると、現代の夜行列車はもう自分の手が届かないところに行ってしまわれたのが残念でなりません。
日中の明るい時間にこの場所を走っていたわけではありませんが、
「日本海」「あけぼの」「トワイライトエクスプレス」
当区間を乗った時、その時の自分は何をしていたんだろう。遡って思い返してみると、その時の境遇やドラマがあり、とても感慨深いものがあります。
旅犬には旅犬の撮影スポットがあります
象潟の陸島群を眺めるには、国道7号の「道の駅象潟ねむの里」に展望台があり、そこから眺めると象潟の風景と鳥海山との位置関係がよくわかるのでお勧めです。
ペットは公共施設に入場することができない場合が多いので、ドギーとの旅ではその土地の有名スポットではないけれど、風土がよく伝わる場所を探して、そこで旅の写真をパチリ。それを探し当てるのも、旅犬ドギーとの旅の楽しみの一つです。