「遠いところまで来たなあ」の旅情が感じられる終着駅が好きです。ですが昨今はそれを訪ねようとすると、まるで廃線めぐりのようです。

高潮災害により大部分が廃止された日高本線

明治43年(1909)6月 馬車鉄道敷設
大正2年(1913)10月 苫小牧軽便鉄道・苫小牧-佐瑠太(さるふと、後の富川) 開業
昭和2年(1927)8月 国有化
昭和12年(1937)8月 浦河-様似の開通により日高本線全通。様似駅開業
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平成27年(2015)1月 高潮により鵡川-様似 不通
令和3年(2021)4月 鵡川-様似 廃止 ※苫小牧-鵡川は現存
平成27年(2015)1月に発生した高潮により沿線各所の鉄道設備が被災します。特に海から近い大狩部駅(おおかりべえき、新冠町)付近は路盤が流出するなど被害は甚大で、鉄道の運行が停止。代行バスが運行されますが、結果的に復旧工事が行われることなく令和3年(2021)4月に正式に廃止になりました。
廃線まで6年以上の年月を要していますが、
被害が大きくJR北海道単独での復旧費用捻出が困難
▶道や沿線自治体に費用負担を求める
▶話がまとまらず廃止
鉄道の廃止と言えば、昔は営業不振によるものが多かったのですが、昨今は路線が被災して復旧費用負担の話がまとまらず廃止になるケースが多い印象です。
様似という場所

「サラブレッド銀座」
と呼ばれる北海道日高地方。同管内各地で競走馬の生産や育成が盛んに行われています。
南部の様似町にもサラブレッドの生産牧場が点在していて、平成7年(1995)6月の第31回金鯱賞(GⅢ)で牝馬ながら牡馬相手に勝利したサマニベッピン号が、当町の様似渡辺牧場の生産馬です。同年12月の第28回阪神牝馬特別(現阪神牝馬ステークス)では、ダンスパートナー・サクラキャンドル・ワンダーパヒューム・ホクトベガという四頭のGⅠ馬を押さえて勝利を収めるなど活躍しました。わたくしが競馬ファンになった頃の活躍馬なので、よく覚えています。
現在の日本競馬界は1つの牧場が圧倒している状態で、日高地方を含む他地域から活躍馬が出現しにくい情勢になっていますが、また様似町産の強い馬が見たいですね。駅名標

平成27年(2015)1月8日の高潮被害により廃止になった印象が強い日高本線ですが、大きな被害が出なかった静内-様似では同月27日に運転が再開されています。しかしながら翌月2月28日に沿線で土砂流出があり再び不通になった後、復活されることなく令和3年(2021)4月に鵡川-様似が廃止されました。この1ヶ月間は鉄道ファンの間で幻と語り継がれる運転期間になっています。
実現しなかった日勝線計画

車止めがある終着駅であっても、例えばだんらん旅人宿そらうみ横を走ることでん琴平線のように、路線計画通りに設置された終着駅であればその哀愁はありません。琴電琴平駅の場合は駅を下りたらこんぴらさんなので、これから待ち受ける楽しさにワクワク感が高揚する気がします。
「膽振國苫小牧ヨリ鵡川、日高國浦河、十勝國廣尾ヲ經テ帶廣ニ至ル鐵道」
日高本線と広尾線は、大正11年(1922)4月11日に公布・施行された鉄道敷設法別表第133号に定められていた鉄道計画路線です。西は日高本線、東は広尾線として工事が進められました。様似駅は長らく終着駅でしたが、ここから先も鉄路を伸ばす計画が存在しました。そのルート上には太平洋に大きく突き出た襟裳岬や、道路完成まで黄金を敷き詰めるほど巨額の費用を投じたことに由来する黄金道路があります。それらをクリアすることができていれば、襟裳岬へ日高十勝どちらからでも鉄道で行く事ができたのですが、なかなか難しかったようです。例え全通していたとしても人口が少ない地域なので、収支面で廃止になっていたかもしれません。東側の広尾まで開通していた鉄道は帯広からの広尾線で、幸福駅で有名になった路線ですね。
苫小牧-鵡川-様似…えりも町…広尾-帯広
結果的に様似から広尾が未着工に終わり、広尾線は昭和62年(1987)2月にJR化を待たずして廃止。日高本線は前述の災害により令和3年(2021)4月に全体の8割が廃止になったため、同条文に規定された路線は僅かになってしまいました。また、起点の苫小牧や現在の終点である鵡川駅があるむかわ町は胆振國(いぶりのくに)なので、今や日高國に入ることも無くなった日高本線です。
なお、日高地方の様似から襟裳岬を経由して十勝地方の広尾に行く公共交通機関は、国鉄時代から路線バス「日勝線」が運行されています。この形態は阿佐線が未完成に終わった四国の室戸岬と似ている感じですね。
実現していれば、こちらの路線と繋がっていました。
駅では無くなった事を感じるもの

現代の車両には前後どちらにも運転台が付いているので、運転士さんが移動するだけで折り返し運転が可能ですが、蒸気機関車時代はそうはいきません。機関車の前後を変える転車台(ターンテーブル)が必要です。また、機関車を動かすためには石炭と水の補給を行う設備が必要になります。そのため終着駅には広大な敷地が必要でした。
様似駅の駅構内がとても広く取られているのはそのためです。襟裳岬方面への延伸も想定されて造成されたことでしょう。
ここが駅ではなくなったことを表すものを発見しました。

さまに▶にしさまに
と記された駅名標があったはずです。それがどのようなものであったか、上の写真を参考にされてください。
駅がその役目を終えると、様似駅のように駅舎が解体されないにしても、まず最初に駅名標が取り払われる気がします。

公式の駅名標は、駅ではなくなったら速やかに撤去しなければならない決まりがあるのかもしれませんね。
鉄道ではるばる様似までやって来て、列車を下りて「さまに」と書かれた出入口を通って外へ出ると、辺りは何も無い。様似駅は特級の果て感を持つ終着駅だったのではないでしょうか。
日高本線は、現役時代から先で別路線とは繋がってはいない盲腸線だったので、乗り鉄からしてもハードルが高い路線でした。乗り鉄であれドライブであれ同じ線(道)を行って帰るのは、誰だってあまりしたくないですもんね。私はそう思って断念した一人です。同じように考えて、乗っとけば良かったと後悔している旅人さんは多いのではないでしょうか。
様似駅とドギー

事実上の廃止から言えば7年以上経過していましたが、このときはまだ駅舎やレールが健在。周辺の再開発がまだ行われていなかったので、ドギーと共に終着駅「だった」雰囲気を十分感じる事ができました。
道内で他に災害により廃止された路線
こちらの落合駅を含む根室本線の一部も、日高本線と同じく被災後復旧工事が行われることなく部分廃止になった路線です。