トカラ探検隊と旅犬ドギーは宝島を離れ次なる島を目指します。
海賊キッドの宝
トカラ列島唯一の交通手段・フェリーとしまに乗船するために港へやってきました。
3時半起き
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準備
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ビーチハウス出発
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港に4時半到着 ※今ここ
フェリーとしまは宝島入港5:00/5:10出発。起きる時間こそ早いですが接岸前に出港地近くに居なければいけません。ただフェリーに乗ってしまえば次の目的地である諏訪之瀬島(すわのせじま)へは約4時間の航海。暖かい船室でまたぐっすり寝させてもらいます。
昭和12年(1937)にアメリカの新聞でそのように紹介されると、世界中のトレジャーハンターと呼ばれる人々が宝島へやってきました。結局宝は見つからなかったものの世界に宝島の存在が知られる一大ムーブメントだったようです。
キャプテンキッドこと「ウィリアム・キッド/1645?-1701」はスコットランド生まれの船乗り。同時期の日本は江戸時代・元禄年間(1688-1704)。元禄2年(1689)3月から8月にかけて松尾芭蕉が奥の細道の旅に出ていた頃。
松尾芭蕉がおくのほそ道で訪れた場所をドギーと旅した時の記事はこちらです。
船乗りと言えば聞こえは良いですが海賊船の親方。ただ海賊稼業に身を寄せることになったのにも理由があり国が海賊行為を許可していた背景も存在します。大航海時代以降数々の海外植民地を得たヨーロッパ諸国。そこには常にライバル国が居ました。イギリスであればフランス・オランダ等。しかしながら自国を含め列強国の行動範囲は地球規模なためその管理に到底手が回るわけではありません。
そこで考え出され制度が「私掠船(しりゃくせん)」。一部の民間船に敵国の船へ妨害を行う任務やそのために必要な武装を認めました。それによってライバル国を蹴落とそうと画策します。そこでは略奪行為を行うことが暗黙の了解だったようで事情や経緯は異なりますが十字軍遠征と似たような歴史です。
そんな国情もあってどっぷり海賊稼業に手を染めていたキッドですがさすがに調子に乗り過ぎたのでしょうか。お尋ね者になってしまいます。アメリカのボストンで捕らえられた後ロンドンに送られテムズ川の絞首台で絞首刑に処されました。その亡骸は海賊への見せしめとして数年間放置されたとか。
その捕らえられるまでの過程の中で自分の身が危うい事を察してそれまで奪った財宝を世界各地に隠した。その一つが日本のトカラ列島の宝島の洞窟だったというストーリーです。海賊キッドが宝物を隠した地下深く。それによって繁栄したと言われる伝説の海底都市が描かれたのが宝島の玄関口・前籠漁港にある壁画です。
フェリーとしま到着
海の方からひときわ明るい光が射してきました。
接岸は少し早い時間。結構風があります。
船を係留した後ランプウェイが下りてきました。これを出すのがなかなかの秘奥義で荒波押し寄せるトカラ列島の港で船を旋回することはもちろん、ランプウェイを出してフェリーと島を接続させるのは並大抵のテクニックではありません。
フェリーとしまでは荒天が予想される場合、乗船券発売時に「ランプウェイ条件」なるものが掲示されます。「条件」なので「確定」ではありませんが、もし島でランプウェイを出せなくても文句言わないでよという事。その次の条件が人間の乗降や手荷物程度の荷物を運ぶことができるタラップが出せるかどうかになります。タラップを出すことが叶わない場合は「抜港(ばっこう)」。すなわちその島への接岸を諦めて次の島へ向かいます。
ランプウェイが出せないと大きな荷物を取り出すことができないので、フォークリフトでの運搬が必要なコンテナ等の大きな積荷を島に運び入れることができません。ガスやガソリン等の燃料が届かないために泊まった民宿でお湯が出ない。なんて事態も有り得るわけです(珍しくはない事でしょうからそれなりに予防策を取られていると思います)。
トカラ列島の中では「平島」「小宝島」が比較的ランプウェイ条件が出やすい島です。地形等も含めた港湾能力によるものです。以前小宝島を旅している時にキャンプ場で一緒になったバイク旅人さんの電話に、乗船する前々夜に船員さん?から電話がかかってきて、明日の下りのフェリーにバイクだけ積んでくれと指示されていた場面に居合わせたことがあります。
<1日目>
鹿児島
↓
<2日目>
小宝島←ここでバイクだけを積む
↓
名瀬▲
<3日目>
名瀬
↓
小宝島←バイクの持ち主が乗船 ※
↓
鹿児島
3日目の「※」の時に海が荒れる予想でランプウェイが出せないことが濃厚だからとの事。その方はバイクを持ち込んで下り上り下り上り…のような感じでトカラ列島のアイランドホッピングを楽しまれていました。
荒れた海とランプウェイを見るとその方の事を思い出します。名前もどこの誰かも分かりませんがお元気でしょうか。トカラ列島へ来ると他の旅先ではなかなか無いようなことがごく当たり前に起こるのが面白いです。
名残惜しい感じがあまりしないのは滞在時間が実質半日で島民さんとの接点が殆どなかったからでしょうか。
この時は小宝島に「ランプウェイ条件」が出されていました。自分たちの旅程に直接関係はありませんがそれだけ海が荒れているという事。早く眠りに落ちなければ!
諏訪之瀬島に接近
おはようございます。仲間より一足先に目が覚めました。
デッキに出てみると平島を離岸するところでした。
宝島→小宝島→悪石島→平島(※今ここ)→諏訪之瀬島
諏訪之瀬島が見えてきました。右側のなだらかな丘の上にトカラ列島で唯一の空港があります(運用休止中)。
その平地で一時期リゾート開発が行われ、トカラ列島で唯一の滑走路が造成されました。事業主は薩摩硫黄島の記事にも登場したヤマハリゾートさん。硫黄島も諏訪之瀬島。どちらも活火山の孤島ですが、そういう開発・観光コンセプトだったのでしょうか。
ヤマハリゾートさんの絶海の孤島開発についての記事はこちらです。
山から上がる噴煙が風に流されていますが噴煙立ち込める辺りが諏訪之瀬島の港。これから船は火山灰真っ只中に突入します。その台地の左下に注目。
座礁したタンカーが島に打ち寄せられているのが目に入りました。後から島の方に聞くと平成29年(2017)2月に漂着したものでした。その後撤去されたのが平成30年(2018)6月。1年4ヶ月間座礁したままの状態だったようですが我々の旅はその真っ只中での来島になりました。
遭難した船を見るとドラえもんの映画を思い出します。バミューダトライアングル。
諏訪之瀬島
こちらの島を旅先に選んだ理由は「泊まってみたいゲストハウスがある」ことなのですが、そのオーナーさんが港に迎えに来てくれていました。